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季節のものさし

先週(2月23日)、気温がぐんと高くなった日があった。その時を境に、庭のふきのとうが一斉に地面から顔を出し始めた。

「あれ……?昨日はなかったはずなのに」

足元を見ると、透き通ったイエローグリーンの葉っぱがあっちにもこっちにも生えている。ふきのとうはお喋りしないけど、正確にお知らせの鐘を鳴らしてくれているように思える。

「いいですか奥さん、そろそろ今季の冬も終わりですよ」

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もうすぐこの地で迎える二度目の春だ。

昨年は何が何だか分からないまま、流れゆくままに春を迎えたけれど、今年は二度目ということもあり、ある程度は予測しながら過ごすことが出来そう。

ふきのとうもそのうちの一つ。

初々しい彼らが出現したことで、この先の台地がどうなっていくか一気に想像が膨らんだ。ここからはあらゆる植物の生きるスピードが速まって、ぐいぐい上に成長していくタームに入る。

暮らす場所によって「季節を感じるものさし」は変化していく。

わたしの実家は海の町にある。

海はどんな季節よりも冬が綺麗だった。だから海が澄んでいけばいくほど、冬が厳しくなっていくことが分かった。つまりこれまでは「海の透明度」が自分にとっての季節のものさしであった。

実家を離れてからというもの、海を見られる機会はほとんど無くなった。けれども今は別のものさし(庭先の草花、地域の田畑がその役割を果たしている)が出来て、変わらず季節というものを感じることが出来ている。

イベントや行事でも季節を感じることは出来るけれども、自然からの静かな合図を受け取るのが好みだ。大袈裟に騒がないところが安心できる。だからこそ気が付けたときの特別感も大きい。

温暖化など地球環境の変化が大きい昨今において、こうして毎年ふきのとうが変わらず季節のものさしになっていることは喜ばしいこと。出現が極端に早まったり、遅くなったり、あるいは顔を出さなくなったりしたら、もう春を感じるものさしでは無くなってしまうのだから。

いつまでもこの季節に知らせを頂戴ね、と囁きたい。

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ふきのとうは天ぷらで食べると苦みが消えて美味しいよね。油と出会ってなんぼ。フキ味噌もお洒落な味になってご飯が進む。

あんまり面倒くさくない方法で食べるか、いっそ食べないか、どうしよっかなあと悩んでいる。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。