見出し画像

花は花。みんなそれぞれ生きている。


果種かしゅちゃん、こんにちは。今帰り?」

 学校からの帰り道、駅前のロータリーを抜けた交差点の角。そこは、一年中どの季節でも華やかだった。赤、桃、黄、橙、紫。バラ、ユリ、ガーベラ、スターチスが顔を揃え華やぎ、パンジー、ガーベラ、ゼラニウムの苗が足元を賑やかす。色取り取りの花々は、花弁ひとつとっても艶やかで瑞々しく、十分に手が込められていることがわかる。
 店先でしゃがんでいた女性は果種かしゅを見つけると立ち上がった。長く艶やかで明るい亜麻色の髪の毛を縦に巻き、頭の後ろの高い位置で一つにまとめていた。若く見えるが、恐らく三十も半ばは超えているだろう。果種かしゅがまだ幼稚園にも上がらないくらいのことから変わらずこの店にいる。手についた土を腰に巻いたエプロンで拭った。

「はい。草取りですか? 手伝いましょうか」

 昔からこの店先でしゃがみ込んで花を眺めるのが好きだった。色取り取りの花がそよそよと風に揺れる様子を見ていると、なんだか楽しそうで、気持ちが昂ってくる。最高潮に達すると、勢いよく立ち上がり、その場で足踏みをして踊っていた。そんな頃から、女性がやるように、見様見真似でプランターの草むしりをするようになった。今でも時間が合えばたまに手伝っている。高校生にもなると、タダ働きもさせられないから、とお小遣い程度の報酬をくれるようになった。

「うん。でも、今日はもう終わるから大丈夫。また今度お願いするね」

 パンパンっとエプロンの土を叩いて落とすと、女性はにっこりと微笑んだ。この人の笑顔はまさにお花みたいだと、いつも思う。このお店と同じく、しっかりとケアされた瑞々しさのある笑顔。高校生にもなると分かる。こんな風に毎日笑えるのは、しっかりと整えているからだ。自分自身を。身の回りやどこか遠い世界で、日々起こる出来事に、心は一喜一憂する。同じような毎日を過ごしていても、全く同じではいられない。心躍る日もあれば、荒む日もある。それでもいつも、例え仕事中だけであろうとも、花のように微笑んでいられるのは、自らを整えているからだ。
 この人は強い人。そして偉い人。このお店の花が物語っている。

「じゃあ、また来ますね」
「うん。気をつけて帰ってね」

 軽く会釈をして、その場を立ち去った。あんな大人になれるだろうか。果たして……。
 女性とお花を思い浮かべながら、いつもの帰り道を辿る。家の近くの、古い商店が立ち並ぶ道を通り、そこから続く古い家が多い住宅地へと入る。道路に面してすぐ玄関があるような家が多く、そのうちの一軒に、玄関脇からぐるりと周りをプランターが囲んでいる家がある。プランターの土は軽く干涸び、そこから伸びる花にも艶はない。いくつもあるプランターには多種多様の花が咲いている。少し雑草も伸びている。

 カカカ、タッカタッカ、キュッ。ジョーボボボボ。

 何十年と存在しているような色の褪せた突っ掛けを無造作に履き、早足で軒先に出てきた女性の手には、スーパーの日用品コーナーで売られていそうな何の洒落っ気もないジョウロは握られていた。軒先にある水道の蛇口を勢いよく捻り、水をドバドバと注いでいく。それから軒先から脇の方へと手早く水を撒いていく。
 その動作は「花の手入れ」というよりも「日課をこなす」に近いと思った。
 一日に一度、もしくは数日に一度の水やりなのかもしれない。それでは土が干涸びる日もあるだろう。花や葉に艶がないことにも頷ける。けれど、この花たちは懸命に咲いている。そして、こうして水やりをしているのだから、女性にとっても必要なものであることは確か。その家の花は、年季の入った突っ掛けと、使い込まれてくたっとしているエプロンと似ていた。

「あら、果種かしゅちゃん。おかえりなさーい」

 家の前を通ると、女性は水を撒きながらこちらへ振り向いた。ぺこりと会釈をすれば、空いた手をひらひらと振ってくれる。それから、何かを思い出したようにジョウロをその場に置き、また、カカカっと突っ掛けを響かせて「そうだそうだちょっと待ってて」と呟きながら足早に家の中へ入って行った。果種かしゅは言われるがままに家の前で足を止めた。足元で竜胆がそよそよと揺れている。
 大層な花だなと思った。この環境下でもその花弁からは立派な威厳が感じとられた。

「ほら、これ持っていきな! いっぱいもらって、こんなに食べられないから」

 急いで戻ってきた女性の手には、ガサゴソ音を立て、コンビニのビニール袋が提げられていた。差し出された袋の中には飴やらチョコやら和菓子からが無造作に詰め込まれていた。袋の中の賑やかさは、この家の花に似ていた。
 思わず、くすりと笑みがこぼれる。

「ありがとうございます」
「毎日お勉強頑張ってるから、甘いもの補給しないとね!」
「はい! 今日の夜からの糧にします」
「頑張るんだよ!」

 また、一度大きく頷き返事をしてその場を立ち去った。振り返れば、女性はまだ手を振り見送ってくれている。もう一度ぺこりと頭を下げた。後ろでカカカっと突っ掛けの音がする。水やりに戻ったのだろう。

 あの女性も整えている。たまに干涸びる日があったとしても、懸命に咲き、生きている。どんな花でも、どんな人でも、どんな環境でも、整えながら生きていく。

頂いた応援は執筆の励みにさせて頂きます。