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征天霹靂X(2)

前話

2:チーズケーキと旅の魔法!

 静岡県、熱海。
 平日の金曜日だが、人はそれなりに歩いてる。僕は密かに勝手に、彼らに親近感を抱きながら商店街を歩いていた。海が近いので魚屋が目立ち、あちこちから特有の生臭さが立ち込めている。そんな臭いを染み込ませながら、魚を捌いて干物にし、或いは煮るなり焼くなりして美味しい食事を提供している。
 お金を稼ぐ為に――生きる為に、必死に。
「おーい、暗いよ〜?」
 隣から心配そうな声が聞こえる。新幹線の中で出会った小悪魔JK、淡侘あわわび理恩りおん――本人からは『リオン』と呼ぶように言われてるので、それに倣うこととする――の声だ。
「折角の旅なんだからさ〜、楽しもうよ〜。私まで楽しくなくなっちゃう」
 勝手について来といて、どの口が言ってるんだ――その言葉は辛うじて呑み込む。反抗すればリオンに大声を上げられ、痴漢か誘拐犯行で捕まりかねない。
 それだけは嫌だった。折角の旅が、ちゃぶ台を返されるどころか台無しになる。心を解放するどころか、牢に閉じ込められてしまう。それだけは――。
 ……いや、むしろそうなった方が良いのか?
 ここで犯罪を犯したフリをして捕まり、会社と縁を切った方が良いのか?
 ――ふと、そんな末恐ろしい考えが現れたのに驚愕し、僕は首を横に振る。何を馬鹿な。代償が大き過ぎる。何も得られないどころか、何もかも喪うのに。
「……本当に大丈夫?」
 リオンが今度は顔を覗き込んできた。本当に人形の様に整った可愛らしい顔だ、と思った。
「……ああ、大丈夫だ」
「そんな覇気のない声で言われても――おっ」
 突如リオンは、とある店へ目線を移す。リオンの目はキラキラと輝いていた。
「ねえ、ねえ! あの店で休憩しよ!」
 その方向には、チーズケーキ店がある。細長い建物で、1階部分は販売店、2階に登ると休憩スペースとなっているらしいことが、レジ前の貼り紙から分かる。
 お前さっき新幹線でアイス食べてたろ、とツッコミを入れつつ、その地での旨いものを食べようとは思っていたので、丁度良いと言えば丁度良い。
「……仕方ない、じゃあ休憩するか」
「そうこなくっちゃ! すみませーん、お姉さん!」
 早速リオンは接客担当の女性に話しかける。「いらっしゃいませ」と返すのを遮るように、「この、焼きたて半熟バスクチーズケーキで!」と注文する。
「おじさんはっ!?」
「……この、飲めるバスクで」
 どれも美味しそうで少し迷ったが、チーズケーキをドリンクタイプにして飲みやすくした『飲めるバスク』なるものを注文することとした。
「かしこまりました! 2点で960円となります!」
 当然支払者は自分だ。財布から1,000円札を取り出す――。
 ……。
 ふと思いついて、店員さんに一言。
「凄く食べたそうにしてるので、先にチーズケーキの方を出してあげて下さい」
 一瞬、女性店員はきょとんとしたが、微笑みながら「かしこまりました」と1000円札を受け取った。
 我ながら、僕自身に驚いていた。普段ならこんなに会話できないコミュ障だというのに。
 これが、旅の魔法というヤツだろうか。普段の社会では周囲の視線に抑圧されて上手く言えないのに、旅になるとそれが掻き消えて、何でもできる気がしてしまう。
 或いは、知らない土地の知らない人で、これ以上人生で関わりがなくなる人だから、こんなに色々言えるのだろうか。
 いずれにせよ。
 この一言が出てきたのは、僕にとっては大きい・・・・・・・・・
 40円をにこやかに渡されるやいなや、「こちらで少々お待ち下さい」とレジ横に移動させられる。もう多分、彼女と関わることは金輪際無いだろう、と思いながら。
「チーズケーキ♪ チーズケーキ♪」
 体を左右に揺らしながら、楽しそうに待っているリオン。その姿は中々可愛い。勝手に一人旅についてくる面倒な存在だが、可愛いことには変わりはない。
 だが、可愛いは必ずしも正義ではない。可愛ければ、何をしても許される訳ではない。
 その事実を、若さと可愛さに取り憑かれたリオンに突きつけてやることに決めた。
 あまりにも、大人げない方法で。
「お待たせしました〜、まずはチーズケーキです」
 そう言って女性店員が小さな紙袋を渡した。焼き立てバスクチーズケーキは、銀色のカップに入ったケーキだが、そのまま渡すのでは熱いからだろう。
「やった! ありがとーございますっ!」
 満面の笑みで受け取ったリオンは、ソワソワしながら袋を少し開ける。ふわり、という甘い匂いと共にチーズケーキの姿が見えたのか、「美味しそ〜……」と恍惚とした声を漏らす。
 僕は、その姿にこう提案してやった。
「先に2階に登って休憩しててくれ。食べていても構わないから」
「本当!?」
 ガバっ、と顔を上げるなり、リオンは袋を大事に両手で持ちながら、「待ってるね〜!」と階段を登る。ツインテールを揺らしながら、カンカンカンという快活な音が、2階へと消えていく。

 ――上手くいった・・・・・・

 僕は、そう思った。
 つまり僕は、このままリオンを置き去りにする・・・・・・・・・・・つもりだった。
 自身のことを、嫌な奴だと思う。
 しかし一方で、迷惑していたことも事実。大体、思い出してみればこれは一人旅。そこに、新幹線でたまたま座ってきたリオンが――淡侘あわわび理恩という名の女性が、半ば僕を脅して着いて来ただけ。
 そんな奴と旅しても楽しい筈がない。
 ぽっと出の面倒そうな事情の少女に自由を奪われるのは、申し訳ないが我慢ならない。
 折角、あんなに苦労して有休を手にしたのだから、旅先でまで苦労したくない。
 だから、コイツとはここでお別れだ。
 スマホも持っていなさそうだったし(実際、連絡交換も何もしていないし、写真を隠れて撮られたこともなさそうに見える)、ここで逃げてしまえば僕を探す術はなくなる――。
「……あ、あの。お客様?」
 ハッ、と我に帰る。心配そうな顔で女性店員が、注文したドリンクを手にこちらを見つめてくる。
「……あ、あ。ありがと、ございますっ」
 僕はしどろもどろになりながら、飲めるバスク――チーズケーキ風味のドリンクをひったくる。さっきはあんなに流暢に店員に話しかけられたのに。
 旅の魔法が解けてしまったような気分に、僕は一瞬興醒めした。だから、スーツケースを引っ張って一目散に走り去る。正しく逃げるように――この場所から、この現実から。
 「お客様ー!?」という店員の声を背に、僕は商店街の人混みへと紛れる。もう多分、彼女と関わることは金輪際無いだろうから、こんな終わり方でも良かった。
 そして僕は、何の物語の主人公でもない、そこら辺の『一般通行人A』へと戻ってゆく。


to be continued...

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