征天霹靂X(6)
6:空の暴露。
目が、覚める。
目の前に――いや、眼下に広がるのは、熱海全景だった。
歩いている人は最早視認できず、車はミニチュアの様に可愛らしく、建物もまるで子供用の知育玩具で組み立てた風体だ。海も、あの熱海城で見た景色とは比べるべくもない程の広大さを誇示している。
……まるで意味が分からないが、僕は空を飛んでいる。それも生身で。何の機材も使わずに。
「目、覚めた?」
隣から声。
寝転んだ体勢のまま浮かぶリオンが微笑んでいた。手指を組んで頭の後ろに添え、脚を組んでいる風で、随分リラックスしている様子だった。
僕は自分の頬を抓った。
痛い。
……これはどうも現実らしい。
ということはつまり――どう考えても彼女は人間ではない。人間である筈がない。常識として人間は、空を飛べないのだ。
飛べないからこそ、タダの人間なのであって。
飛べてしまったら、最早ソイツは人間ではない。それは、『化け物』か『神』と称される。
「……降ろせよ」
僕は、苦労して有休を勝ち取り、熱海旅行に来たのだ。
残念ながら、こんな化け物と共に行動するために来たのではない。
「怖い顔しちゃってさあ」
リオンは小悪魔の様な笑みを浮かべた。
「別にいいよ〜。でも、アタシがこの浮遊能力を解いたら、アタシは兎も角、曲直瀬容――君は死ぬけど」
「……っ」
それは、そうだ。
今や僕は、生殺与奪の権を目の前の少女に握られている。抵抗する術など無い。
「……リオン。お前、何者なんだよ」
「んふふ。そうだねえ。流石にここまで来たら答えない訳にはいかないよね」
リオンは、寛いだ姿勢のまま、あっさりと口を割った。
「アタシはね、神サマなんだ。正確には神サマの娘ってトコかな。今絶賛家出中でさ、旅しながら逃げてんの」
もう僕は驚かなかった。驚きすぎて、感覚が麻痺しているとも言う。
「……僕のこと、何故知ってるんだ」
「知ってるよ。だって会ったことがあるんだもの。覚えてない?」
「覚えてない、と言われても……」
見覚えがない。
どこかで会ったことがあるだろうか。会ったことがあるとすれば、例えば子供の頃……。
子供の、頃――?
……。
「ふーん、改めてになるけど、やっぱり覚えてないんだね」
リオンは笑みを崩さないまま言う。だけど、僕はそれどころじゃなかった。
子供の頃の記憶が、丸ごと抜け落ちている。
今になって気付いた。あんなに長く会社に勤め、社会人生活をしてきたというのに。何で今まで気づかなかったんだろうか。
いや、過去を振り返る暇もなく、未来を想う間もない程、現在が忙しかっただけか。やはりブラック企業に勤めて良いことなど何一つない。
それはさておき、何故だ。
何故僕には、過去の記憶が無い……?
「……僕の過去の記憶が、抜け落ちているんだけど」恐る恐る、尋ねてみる。「リオンに、関係あるのか?」
「大正〜解!」
屈託のない笑みへと変わった。
「人間と神サマの関係にはね、1つ制約があるんだ。人間側に、神サマとしての身分を明かしてはならない。元はといえばぜーんぶ、ゼウスのおっさんのせいなんだよね。ったく、あのエロジジイが」
ゼウス――神に、そこまでの暴言を吐いて良いのか。
すごく恐ろしくなったが、気に入らない上司の陰口を言う様なモノなのだろうか、と思ってやり過ごすことにした。こんなの、全部受け止めていてはキリがない。肝心要の部分だけで良いのだ。
「……ということは、だよ」
僕は、何とか今までの情報を総合して結論を導く。
「僕とリオンは、会ったことがある」
「そ」
「リオンは、神としての身分を明かしてしまった。その禁を破ったので僕は罰として記憶を喪失している」
「すごいすごい! で?」
「……リオンは、僕に再び会うために、家出してきた?」
「やあっと分かってくれて助かったよ〜」
リオンはリラックスした姿勢を解き、ふよふよと僕へと近付いて来る。やはり整った、可愛らしい顔だった。ここまで整っているのは神の家系だからか――僕はそう納得した。
「……さっきの、身長の高い女性は?」
「あ〜……なんて言うんだろう。まあ、神の使いだと思ってくれたら良いよ。アタシの事、連れ戻しに来たんだよ。あのクソジジイがさ〜」
「連れ戻しに来たにしては……」
なんか、物騒過ぎるよな。
普通、『ぶち殺す』とか言うか?
「神サマは死なないからね。老衰しない限りはずーっと生き続ける。ほら、病気とか戦争とかで死んだら、世界の管理ができなくなっちゃうからさ」
……これが、神とやらの価値観。まあ確かに、神、ちょっとやそっとじゃ死ななそうだもんな……。
しかし。
「世界の管理、って。あれか、神社とか教会とかで願いや祈りを捧げてるのも聞いてるのか?」
「聞いてる筈だよ。アタシは聞いたことが無いけど――まだ、その資格がないからさ」
資格。
まあ確かに、資質とか結構問われそうだものな。例えば願いや祈りを叶えたことによる世界の影響を考えて、バランスを取るとか――。
「アタシまだ『願い・祈り処理検定』3級だから。これが特級にならないと実務できないの」
「資格ってそっちかよ!」
……え、何。神って現代社会の会社とさして変わらないのか?
何か、グッと親近感が湧いた気がする。一方で神として大事な神聖さは失われた気がするが――。
「あ、でもね。願いを叶えることはできるよ。それだけの力は実はあるの。資格が無いだけで」
「……」
「だからさ、曲直瀬容」
リオンは、僕の肩に手を乗せる。
「願い、言ってみない? ちょっとしたヤツなら多分大丈夫。バランスとか何とかはさ、クソジジイが何とかしてくれるよ」
……いや、本当に大丈夫か?
色々不安でしかないのだが……まあ、願いはあるが……。
「……良いんだよな?」
「良いよ良いよ! ドーンと任せなさいっ!」
笑みを浮かべるリオン。
……そこまで言うのなら、まあ。
「なら、願いは――」
その瞬間。
ぴすっ、という聞いたことのない音がリオンから鳴った。
それは、何かが――恐らくは銃弾が、リオンの頭を貫通する音だった。頭に開いた穴から、血液がダラダラと流れている。
肩に乗った彼女の手から、力が抜けてゆく。そしてリオンの体はそのまま落下していった。
……それは、まずいんじゃないか?
その不安は直ぐに的中した。
今、空を飛んでいるのはリオンのお蔭だ。
もし、リオンが死んでしまったら――。
ふっ、と落下する感覚!
「やっぱりいいいいいいいいいいっ!?」
下には何かの建物!
今度は死ぬ! 絶対に死ぬっ!
そう思った途端、強烈な痛みと共に、僕の意識はまた暗闇の底へと落ちていく――。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?