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白い部屋

毎朝、白い部屋で起きる。6畳にベッドがふたつだけの寝るだけの部屋。

そこはもともとわたしの部屋だった。わたしが結婚をして家をでて父が使うようになり、その父が病気をして仕事のものを自宅に置くために部屋の大移動をした時に母の部屋になり、その母もいなくなって、またわたしの部屋になった。

壁も備えつけの棚もベッドのシーツも布団カバーも白いので朝、明るくなってくると、自然と目が覚める。東南の角の部屋だ。

2歳から住むことになったこの家はもともと5人家族。祖父、祖母、父、母、わたし。祖父は、明治生まれ、祖母は大正、あとは昭和。いまは、平成も過ぎてしまって令和というのですよ。もとの家族の誰も知らない、今。

2017年にひとりになった。正しくいえばひとりではないにしても、ひとりっ子で両親があちらにいってしまえばもとの家族の残り1だ。それから3年たくさんのからまった糸をほどいていくようなあとのことを一先ずおえて、つぎのことを、とおもったら新しいウイルスの流行により世の中が「とまれ」となった。ぽっかりとあいた時間のなかでぼんやりおもった。残り1がいなくなったらなにもないんだな。べつに残らなくてもいいのかな、それもいいのかも。でも「かなしいことは自分の手でなしにするしかない。」というテレビドラマのセリフをきいた。残り1はかなしいとも少しちがうけれど自分の手で「なし」にするということは「あった」ことのその先にあるもの、と、そう思ったので書くことにした。家族の「あった」ことを。

毎日はつづいていく。「あった」ことのその先に。



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