まつざきしえ

職業はシュフ。 知らない日々をいく。

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マガジン

  • 白い部屋で

    ひとりになったわたしの「もとの家族」のこと。

  • つねひごろ

    つねづねおもうこと。雑記。

最近の記事

祖父の寝巻き

今どき浴衣で布団に入るのは温泉宿に泊まった時くらいだろう。明治生まれの祖父は昼間はワイシャツにベルトをしてズボンだったが、夕方お風呂に入ると浴衣に着替えた。寒がりだったのでその浴衣の下は夏でも長袖の下着にステテコで浴衣一枚ではだけているようなこともなかった。冬ともなれば何枚も重ねて着ていた。その下着はというとラクダ色をしていて最近ではまったくみかけない。お風呂に入ってから夕飯だったので晩酌の時は浴衣を着ていたのだけれどお酒をのんだからといって浴衣が乱れたことは記憶にない。

    • 祖父のおひるごはん

      祖父の背中をよくおもいだす。祖父がいた頃とはリフォームしてしまったので間取りも全然違うけれど「ここ」に長くいるのでよくおもいだす。猫背で顔を洗う背中、新聞を読む背中、晩酌する背中。その中でもいちばんなのはおひるごはんの時にパンを焼く背中だ。時間に正確な祖父はテレビから流れてくるNHKの正午の時報には準備万端整えていた。 それはトースターでパンを焼く準備。ふつうはトースターは台所の固定の位置に置かれ、そこで焼いてからお皿にうつし食卓へ運ばれるものなのだろう。だけれど祖父のやり

      • 祖父のかばん

        祖父の日課であった散歩に行く時、必ず玄関先で「散歩に行ってきますよ。」と大きな声で言ってから出かけていった。普段着でうろうろとしているヒマな老人と思われることはおじいさんの美学に反すると思っていたらしく、いつもネクタイまではしなくとも背広に着替えてかばんを持って出かけていった。 それはクラッチバッグでA4の書類がはいるくらいの黒いかばんだった。経理の仕事をしていた祖父だから仕事でも使っていて、長く愛用したものなのだろう。年季のはいった、よく言えば祖父に馴染んだものだった。そ

        • 祖父が帰らなかった夜

          幼い頃の記憶は曖昧で断片的だ。すこしかすれていてとおいもの。だけれどもはっきりと突然に思い出すこともある。わたしの中にひっそりとつもっているさまざまなことがら。 祖父はとても真面目で家族の誰よりも几帳面で、朝、顔を洗ったタオルをそのまま自分で洗い、四隅をきっちりと整えて干すような人。その背中は少し猫背だった。 その朝、いつもの祖父の姿はなかった。祖母と母が大きな騒ぎにしてはいけないけれど、どうしたんだろう、どうしようと顔を突合せていると電話が鳴った。だれがその電話をうけた

        祖父の寝巻き

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        • 白い部屋で
          7本
        • つねひごろ
          1本

        記事

          かみさま ほとけさま

          朝、起きてまず窓をあけて風をいれる。その日のお天気と空気をみてから、台所にたちお湯をわかす。ひとつはやかん。もうひとつは鉄瓶に。前の晩に洗っておいた大中小のコップと湯のみを、コップには水を注いでから小さいお盆にのせる。お湯がわくまでにお茶の準備。両親がいた頃は必ず緑茶だった。「朝茶は難逃れ、だからお茶を飲むの。」と母はいった。必ずだった緑茶は自分の好みでほうじ茶にかわった。 やかんがわいたらポットへいれる。あとでコーヒーをいれたり、料理に使うためにいれておくのだ。鉄瓶がわい

          かみさま ほとけさま

          祖父のこと つづき

          病院に行くとなった朝、それまで行くことを嫌がっていた様子はなかったのに、いざとなったら激しく抵抗したのだという。食べられなくなって体力がもたないというから病院へ行こうという年寄りのどこにそんな力があるのかというくらいに柱を掴んで行きたくないと抵抗した。その祖父の離すまいと柱を掴む指を、父がひとつひとつはずしてようやく抱えるようにして車に乗せたそうだ。「もう帰ることできないってわかっていたのかもね。」と母は亡くなってからそう言った。 車に乗るとさっきまでの抵抗が嘘のように大人

          祖父のこと つづき

          祖父のこと

          「なんだ、揃いも揃ってのぞきこみやがって。」祖父の容体がおもわしくないと告げられた祖母があわてて招集した親族にベッドを囲まれて、祖父が目をあけてはっきりとした口調でそう言って、そこにいた全員が呆気にとられた。祖父からみたら異様な光景にうつったのかもしれないが呼ばれた方はそれぞれの思いをもってのぞきこんでいたのだ。だから危篤だという祖父がいつもの調子で放ったその言葉を聞いて、驚きでもなく、安心とも違うなんともいえない感じで、呆気にとられたのだ。今、思えばそれは祖父らしい一言だっ

          白い部屋

          毎朝、白い部屋で起きる。6畳にベッドがふたつだけの寝るだけの部屋。 そこはもともとわたしの部屋だった。わたしが結婚をして家をでて父が使うようになり、その父が病気をして仕事のものを自宅に置くために部屋の大移動をした時に母の部屋になり、その母もいなくなって、またわたしの部屋になった。 壁も備えつけの棚もベッドのシーツも布団カバーも白いので朝、明るくなってくると、自然と目が覚める。東南の角の部屋だ。 2歳から住むことになったこの家はもともと5人家族。祖父、祖母、父、母、わたし