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大岡裁きの元ネタ 北条泰時

大岡越前守忠相といえば、時代劇でもお馴染みの、江戸時代の名奉行である。
ドラマの最後に、胸のすくような解決策で締める「大岡裁き」は特に有名だろう。

中でも「三方一両損」や、「真の母親の見分け方」などは、いかにも日本人好みの話だ。

しかし、この逸話のモデルは、大岡忠相ではない。
ほとんどが鎌倉時代の執権、北条泰時の話だという。

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北条泰時といえば、承久の乱の戦後処理として「御成敗式目」を作った人物である。
「御成敗式目」は、”土地” ”相続” ”訴訟”に関して、細かい規定を作った法律だが、裏を返せばこの3つに関する問題が多かったのだろう。

同じ鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』の中に、泰時の裁き(?)が登場する。

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九州のある御家人が死んだ。
二人の息子がいたのだが、兄はいたって孝行息子であったにも関わらず、その御家人は死の間際に弟の方に所領を全て与えてしまい、兄は所領を失った上に借金まで抱えてしまった。

式目の規定では、この孝行息子を救う術が無い。
気の毒に思った泰時は、孝行息子を自邸に引き取り、自腹を切って面倒をみた。
そのうち、九州に欠所(相続人のいない所領)が出たので、それを与えた。

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法的にいえば、これはおかしな話である。
式目に照らし合わせてもこの息子を救う規定が無いなら、泰時にこれ以上面倒をみる義務は無い。
そして、欠所が出たならこれは幕府の財産となるべきなのだ。

しかし、日本人でこの逸話を理不尽だと感じる人は、ほとんどいないのではないだろうか。
日本人にとってはこれが自然であり、どこか心の琴線に触れるからこそ、この逸話は今でも名裁きとして言い伝えられているのだろう。

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泰時が式目を制定した際、その目的を弟の重時に語った。

「多くの裁判事件で、同じような訴えであっても、強い者が勝ち、弱い者が負ける不公平をなくし、身分の上下にかかわらず、依怙贔屓無く公正な裁判をする規準として作った。
 従者は主人に忠を尽くし、子は親に孝を尽くすように、人の心の正直を尊び、土民が安心して暮らせる、というごく平凡な『道理』に基づいたものである。」

『道理』とは、一般人の思う自然な姿であり、誰もが納得できる過程と結論であろう。
逆に言えば、そもそも鎌倉幕府ができたのも、それまでの律令政治が「不自然」で納得がいかなかったからこそである。

古い規定と現実にズレが生じ、民意がそれを不自然と感じた時に、時代は動くのではないだろうか。

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