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40歳プロコーチの私は、気分が底まで落ち込んだ時、60分をこう使って復活する

どんなに心身ともに健康な人も、風邪をひけば落ち込むし、頑張り過ぎれば疲れる。調子が良い日もあれば落ち込む日もある。もちろんわたしもそう。だから、自分にコーチをつけて、60分きっちり吐き出して、地の底から戻ってくる時間を意識的に作っている。

自分の思考の癖も、よく陥るパターンも、いろんな手法で知っているからこそ、プロのコーチであると胸を張っていられるんだと思う。自分のプロ意識のためにコーチをつけている。

多くの対人支援をしている方が、ご自身で感情や体のメンテナンスをしている。だからどんな相手の話も聴けるのだが、どんなプロセスを経ているのかはあまり公開されていない。

先日、私が受けた60分のコーチングセッションで起こったことを綴ってみたい。体内に巡る毒や泥、悲しみや痛み、怒りを探知して、吐き出して、新鮮な血液と共に蘇った話だ。

ぐっちさん、いつも前向きで、元気でポジティブですごいですよね!

時々いわれるありがたい言葉。
ありがとうー!そうだよね、そう見えるよね、ありがとうございます!

確かに、前向きで元気な一面もあるけれど、わたしも懸命に生きる人間なので、喜びや悲しみ、腐って泣くことも落ち込むことも何度もある。

すぐ自分に価値なしだ!というレッテルを貼り付けて、あぁこんなに価値がないんだからもっともっと頑張らないと!もっと走らないと!焦っていることなんて、日常茶飯事だ。

それでも、グインと復活して、心の灯火を絶やさずに、ヨイショ!と頑張っていられるのは、わかりやすくペシャンコになれる場所を持っているからだとおもう。

ここでは私の秘密の「ペシャンコ時間」を明らかにしてみたい。

「こんな私が生きてていいの?」定期的に穴にハマる習性がある

大きい穴は半年に一度、1週間ぐらい。自分でせっせこ穴を掘って引きこもる。小さい穴には、1ヶ月に1度、3日程度引きこもる。これが私のおこもりルーティーン。

やる気に満ち溢れた日もあるのだけど、ヨイショと自分で入ってうずくって小さく、小さく、縮こまって”どうせわたしなんて… ”と言い続ける日がある。

これはもう癖だ。昔からのパターンだ。こうなると、泣きじゃくるか、恨みつらみをノートに書くか、あるいは、なんだかんだ騒ぎながら、なんらかの方法で戻ってくるか。そうやって40歳になった。

ちょっとしばらくブツクサ言わせてくださいと潜り込んだ

いまのわたしは、人の話を聴くことが生業。コーチというお仕事をやっている。プロフェッショナルモードの私の心は、整えられたベッドのようになっている。

そりゃーこっちも色々学んで研鑽して、自分の感情の整え方を探究して、本も読んで日々鍛錬してますんで、ここぞというお仕事の時は、スイッチを入れて「聴く」ことができる。

それがプロってもんよ!

それを生業にしとりますので、聴き方をコントロールしてる。

日々プロフェッショナルでありたいと磨いているので、クライアントさんの疲れた1日をじゅわーと癒し、明日への活力を蓄える心地よいベッドでありたいとおもっている。

コーチという仕事のときはこういう気持ちでウエルカムしている

だが!当然、私も落ち込むし、ボロッボロになる!

毎日を懸命なので、ボロボロになる日も多々ある。昔より安定しているし、頻繁に泣かなくなったし、立て直しも上手になったけど、個人事業主でさ、夫も会社辞めてさ、夫婦で会社にしているからさ、お金とかさ、税金とかさ、色々あるわけ。

気楽に一人で好きなことやってた20代と、色々またちがうわけ。当時も悩んでたけどその質感も今では違うわけ。

なので、私も定期的にマイコーチをつけて、話を聴いてもらっている。荒れ狂うときも、悲しみに暮れるときも、テンション高くこれやりたい!という時も、思い切り潜り込むベッドを私も持っている。

ちょっときいてよ〜ねぇ〜いろいろあったのよぉ〜

まさにセッションが終わった10分後に書き殴ったのがこの投稿。

どんな元気っぽい人も、自分では悩みなさそう!って人も、案外疲れていることに気づいていないだけで、ふとしたことをきっかけに、ブツクサ言いたくなることあるじゃん。

それよ、その話。

花粉症なのか風邪なのかわからないけど、とにかく体調が芳しくなかった日だった

その日のセッションでも、コーチ側のPCモニターには、私の顔は半分しか写っていない。

しかもずっと目を瞑りながら、ブツクサ言っている。30分ほど地面の底から地表に咲く美しい花たちに嫉妬し、所詮わたしなんてどうせだめなんだよね、誰の役にも立たないよね、いるだけ邪魔だよね、無価値だよね、動くだけで他人に迷惑かけるよね…とブータレていた。

こんな感じね。もう無理ですーとデロンとする感じね

ほんと私なんて、マジでなんも貢献できてないし、
私じゃない方がよかったんじゃないかって思うんですよね
迷惑かけちゃってさ、私がほんと至らないばっかりに…

コテンパンにペシャンコに。重力に負けて机にベシャッとなり続けて30分。暗い土の中にうずくまり、じめっとした声でコーチに向かって喋り続けた。

いやだってね、わたしなんてさ・・・・

飲み会でアルコールの力を借りないと出てこないレベルのぼやきで、
いやもし仮に飲み会で友達にやったら、めんどくさがられるか、めっちゃ心配されて、大丈夫だよ!ぐっちはそんなことないよ!って励まされるか、
どっちかっていうぐらいなんだけど、そこはマイコーチもプロだから。
ひたすら聴いてくれるわけ

いつもは大人だから、制限しているやつも、ここは安心安全な場で、他に流出しないし、目の前の人以外聞いてないから、安心な場所。でるわでるわ。

普段は大人しく畳んでいたぼやきが、ちょいと風呂敷を広げたらボロボロでてくる。

30分もぐだぐだ言えば、さすがに少しスッキリして、ちょっと思考が変わってくる。

あれ?このパターンよくあるやつだ…

体調が悪かったり疲れてたりすると定期的に私はこの穴に自分で入る。信頼しているマイコーチが見守ってくれている中、よいしょ、っと自分で入るのよ。そしてブータれる。
これは、毎度お馴染みのやつじゃないか!とさすがのわたいも自分で気づき始めるのよ。

「これがもし意味があるとしたら?って考えると何を思うの?」

嫉妬にまみれた土の中で、コーチが静かに尋ねてくる。

「これがもし意味があるとしたら?って考えると何を思うの?」

ちょっと上を見てみてもいい気持ちになる

意味か。なんだろう。
3分近く沈黙で、ぐるっと自分の心、体、頭に思いを巡らせる。
なんだろう… どんな意味があるだろう…

不思議なもので、質問されると答えを見つけようと探すなんだろうと、深く自分に問い続けると、ふっと何か今までの地の底とは違う感覚がわきだしてくる。

そういえば、毎回、ここに居続けるとこの場に飽きてきて、いつもの安定した気持ちにも戻ってる。
そして、落ち込んだときよりもパワフルになって、いつもの私に戻るんだった。

穴の中でヘドロにまみれながらも、ヨイショ!と自力で崖を登って、戻ってこれる筋力があるので、いつもなんだかんだと、自力で戻ってきていたってことを。するする思い出してきた。

今回もそうやって戻っていいんだけどさ。もうそうじゃなくて、みんなー助けて〜!と戻りたいです

今日までこの私で奮闘し続けて40年。
物心ついて、いろんな場面で泣きまくって元気になって30年。

自力で戻り力は相当たくましくなっているので、今度は慣れない利き手と反対側の手を振って、

みんなに助けてぇ〜
私いま穴に入りました〜
優しい言葉や勇気づける言葉をいただけると戻れます〜
手伝ってください〜

って言って穴から這い上がりたい。

そんな新しい気持ちが自分の中から湧いてきた。それが喋り出しておよそ45分後のことだ。

急激に穴からノソノソと動きたくなる、もう戻りたくなる

あちら側からちょっと戻ってきた頃に、この鬱々とした話をずっと聴き続けてくれた、マイコーチが確信を持った顔で伝えてくれる。

ぐっちの魅力は届いているよ。時間差があるんじゃない?
じわじわと届いていずれ大きな波を起こすんだよ。
そして時間差で届いたものは、もう戻らないんだよ!

え… 時間差?え… 何か届いているの?

あぁ、そうだった。
私の人生いつも時差があったんだった。

スーーーーーっとストレートに、サラッとおしゃれに美しく。
スムーズにトントンと!というのが理想で憧れなのに、
私はいつもそうじゃない。

涙やら汗やら、
鼻水やらが垂れながら、
ボロボロになりながら走ってて、
ちっとも爽やかな一等賞が取れない。

子どもの頃からそうだった。
マラソンはいつも最後の方にボロボロでゴールして、
涼しい顔したみんなの中ひとりヒーヒー言ってた。

大学のサークル幹事のときも、
シュッとしている他の幹事とは違って、
いつも何かトラブルやら課題に追われてオロオロしてた。

ずっとそう。
一度も爽やかに一等賞になったことなんて、そういえばなかった。

ちくしょー!そっちがいいんだけどな!そっちに憧れているだけどな。

そうなんだけど、でも私が好きな俳優さんって、
最初から人気者の人じゃないんだよね。
苦節何十年の円熟した渋みが好きなんだった。

だから結局私自身がそっちを求めているんだよね。

新品のパリッとした包装紙で正統派なラッピングがさ、できないんだよ。

色々試行錯誤してクシャクシャになった和紙を、
そういう加工ですけどなにか?と言いながら、
独特な包み方をするラッピングが結局私は好きなんだよね。


ヘドロも腐れもブータレも、全部やっているからこそ、
どんな人も必ず戻って来れるって信じてるんだよ。

だから私はこの仕事やってるんだよ!

ちくしょー!颯爽とした生き方がしたかったけど、
どうもそうはできないし、一番それを望んでいるのは自分自身なんだね。

私、いいじゃないか。
このままで生き恥晒していいじゃないか。
この様が私なりの生き方じゃないか!

あぁそうだった。大切なこと、思い出したよ

私なりの「Art me Work」とはなにか?を考えたいからはじまってた60分だった

コーチングの始まりには、テーマと呼ばれる入口がある。これがあるかないかで、雑談かコーチングかの違いをつくる。

今年、私が掲げた1年のテーマは、『Art me』を探求するということ。

Rice Workでも、Life Workでもない、自分をアートとして表現するように生きる活動とはなんだろう?「Art me work」という言葉でわたしなりにおいていて、それを探求する60分にしようと思っていた。

セッションが始まって、50分後。
ここまで書き連ねたことが、私なりの"Art"なんだって、腹落ちし始める感覚が生まれた。

時間差があったり、じわじわとした広がりだったり、
ヘドロも凹みもペシャンコもあって、
それが全て物語であり、ドラマである。

その生き様によって、誰かが勇気づけられたり、
どこか遠くのあったことない人が穴から引き上がるかもしれない。
いろんな人の手を借りて、生きる。
これが、わたしなりのArt me であり、
そうして生きることが、Art me workってことなんだ

私はそれを願っていて、自分自身の生き様でも、いろんな姿を晒すアートでありたいんだ。

だから私のこれから10年のテーマは、Art me workなんだ!
これでいいんだ!

私の生き方は、そう。これでいい!

これでいいんだ!を確信するために、私は自分の話をする


ポジティブ心理学の本の中に、
「他人というのは、自分が人生のどん底にあるときには最高の防御手段になってくれるものだし、唯一頼れる存在だ」とある。

他人が私を傷つけるという見方もあるかもしれないが、私は他人が唯一頼れる存在であるという視点でいたい。

何十分もヘドロに付き合ってくれるコーチがいて、
自分の大切なプロジェクトのアンバサダーに任命してくれる友人がいる。
その願いを一緒に叶えようというチームがある。
私をコーチに選んでくれるクライアントさんがいて、
いろんなワークショップに来てくれる参加者の方がいる。
一緒にプロジェクトを作ってくれる仲間がいて、
すぐ闇堕ちして、喜怒哀楽激しく好き勝手やっている妻を、そっとしてくれる夫がいて、娘がいる。

ちくしょー!めちゃくちゃわたしは幸せじゃねーか!

地の底から人々を羨み、嫉妬してから、60分がたった。
みっともない自分の側面をたくさん見つけて、涙を流す。ハッとして、胸の奥を熱くさせて、私は、いつもの自分に戻ってきた。

ぐちゃぐちゃした生き様全てが、私のアート活動なんだろう。
アートやっているよね、アート体現しているよね、と実感し、そこに立ち続けたら、私は何をしたくなるのか。次のセッションまでに問い続けたい。

私は、時間差があるんだった。
今すぐ結果を欲しがるのだけど、そうならないんだった。
だから大丈夫だ。
じわじわと、必ず、届いている。
そして一人じゃない。仲間とやっている。みんながいる。
今すぐではないけれど、時間差で届く。だいじょうぶ。

占い師や呪い師に言われて、気づいたのではなくて
自分でそうだと導き出した。
ここに大切な意味がある。

私が、いつも前向きで、元気でポジティブでいるとしたら、それはこういう時間を持っているからだろう。
ヘドロを別のところで落としているからだ。

振り返ると私のコーチングを受ける時間は、お母さんに甘えている時間といえるかもしれない。

赤ん坊が安全な場所でお母さんん手を握るように

母の眼差しの中で文句を言いながらも、頑張ってた30年ほど前のわたしの記憶が蘇る。

普段大きな声でブーブー言えないと思うので、思いっきり安心な場所でブーブーいうのおすすめですよ

わたしも流石に大人になので、もう高齢になった母親に泣きつくわけにもいかないし、そもそもこっぱずかしい、色々心配かけるのは嫌だ。

だから、私にはコーチが必要だ。たった60分でこれほど泥を削ぎ落とす濃密な時間は他にない。

コーチングというと、上司部下のマネジメントや目標達成のためのイメージもあるが、せっかく今この世に生まれたのだから、限られた100年という時間を思い切り味わって楽しんで幸せに生きるために、私には欠かせない時間となっている。

マイコーチには感謝でいっぱいであり、これから私が何を気づき、何を生み出すのか、自分の未来に楽しみがたくさんだ。

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