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山月記の李徴にあこがれる若者も、多いんじゃないか

中島敦『山月記』は、自己顕示欲や承認欲求が大きすぎると、結局人生が破綻してしまうことを格調高い文章で教示している点で、とても優れた文学作品ではある。『山月記』で悲劇的に描かれている李徴のようになってはならないというのが、この作品の一つのメッセージであろう。

しかし、この李徴のようになりたいと思う者や、李徴のようにすらなれないことに、悩む若者が増えているのではないかと感じられる。理由は二つある。

一つ目は、李徴が「容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀ひいで」るほどに、詩作の努力をし続けられたという点である。若者は日々、勉学や部活動などに励むが、自分の思うように努力ができずに悩むことも多い。また、SNSなどで気軽に見ることができる、同年代の何らかの道のプロを見ては、私たちはいちいち落ち込んだりする。周りのちゃんと努力ができる人間を見て、落ち込んだことがある人間からすれば、何らかの努力ができる李徴ですら、うらやましく感じられるのではないだろうか。「飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけ」るのは、倫理的には問題があるが、誰にでもできることではない。

二つ目は、李徴が化けたのが、人間の心が戻っているときには「人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書の章句を誦ずることも出来る」虎だったということである。カフカの中編小説『変身』の主人公ザムザが、害虫になってしまうのと同じぐらい醜悪であるならともかく、李徴が化けたのは、動物の中でもかなり強い虎であった。しかも、人間の心も失ってはいない。著者の中島敦による、せめてもの救いで虎になったと取れなくもないが、人と関わらなければ人生が破綻してしまうことを示すには、やや半端な表現だったのではないか。ただ、中島が翻案に利用した「人虎伝」では、李徴は寡婦との逢瀬を妨げてきた一家を焼き殺した因果応報で変身したとあるため、「虎」は原本の書かれた明末の中国の獣の中では、蔑まれていた存在なのかもしれない。

上記の理由から、私は山月記における李徴に対し、多少なりとも尊敬の念を感じた。誰しもが、李徴のように努力ができるわけではない。

また、家族を省みなかった結果として虎になったのであれば、詩作を貫徹するために「元から身近な人間との関係を断つか、あるいは家族を最初から作らず、迷惑をかけずに努力をすれば良い」という教訓があると、曲解することもできてしまう。

しかし、これは山月記の原本「人虎伝」が書かれた、儒教が盛んだった中国の時代背景を考えれば、家族は持つべきだし、家族を大切にしたうえで努力をすべきである、と理解するべきなのかもしれない。そのような価値観が、現代にあっては必ずしも普遍的でないということを踏まえれば、この作品に対して感じた違和感も、それが書かれた時代の違いによるものだと解釈することもできる。

色々と批判も述べてきたが、このように様々な解釈を読者にもたらすことができるという点で、やはり山月記は優れた作品なのかもしれない。

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