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フラワーエッセンスと自分史②

子供の頃の写真が出てきた。

というのは、
今夜に参加するzoomの内容が、
「自分の過去の写真を晒す」という(笑)ザックリ言えばそういうもので、
昔はこんな感じで~こういう形態で~あんなのやこんなの成仏ね~的な
お遊びの要素ありつつ、安心な場所なので、そこで晒す?写真を探してた。。
(ここには出さないケド)

で、

その作業中に感じたのは、↓

叩かれて怒られて育ったけど、愛はあったと思う、という再認識。

当時の価値観や時代、親の置かれていた状況諸々、
時代的なものを思うとき、
私は「犠牲者」のまま居ると何も変わらない。
成長出来ないやん。と、改めて感じた次第。
タイムリーに写真整理出来て良かった。

という、イントロを置いて


HSPであること、HSCであったこと、
当時はそういう概念すら無い中で、理解を得る事が出来ず成長するというのは、非常に大変だった事は確かで。

それでも、今、此処でこうしてこれを書けているのだから、ここまで生きてきた自分を褒めてあげよう。
(ちなみにどれくらいHSP値があるかは、どのサイトでテストしても平均かなり上と出る。特に聴覚過敏や嗅覚過敏、知覚過敏が強い。
散歩中に救急車が通ると耳を塞がないと耐えられない、コーヒーが飲めない、時代劇やドラマの殺戮シーンは耐えられない。)

そういう体質の私は 30代の時にパニック障害で倒れた。
倒れるまでの過程を語りだすと、一冊の本になるボリュームなので(大袈裟)ここでは割愛するが、
ストレスが溜まりに溜まって、それがストレスと気付かず、ある日倒れた。

倒れても休めなかった。
息子が身体障害を持って車椅子で普通学級に通学していたので、
学校生活の介助に 当時は母親が入らねばならなかったので休めなかった。
安定剤、抗鬱剤、何種類か服用しつつ日々をどうにか泣きながら過ごしていたが、(その間に義母が自殺したりと色んなことがあり・・)
そういう生活を数年続けているうちに、私は激しい腰痛で動けなくなってしまった。
腰痛は、息子が学校を卒業したタイミングだったので、
(息子も疲れてた)ふたりで2年くらい家で休もうか・・という事にした。


ここから運命の歯車が廻りだす。


腰痛で動けない・・でも、病院には行きたくない・・。
そんな頑固な私に、従妹が近所の治療院を勧めてくれた。
何故か「行ってみようかな」という気持ちになり、予約を入れて自転車で
(近所だけど腰が痛すぎて少ししか歩けないので移動はチャリ)
治療院のドアを開けた時にBGMの音楽が耳に飛び込んできた。↓

ヴィバルディの「ピッコロコンチェルト」


ピッコロという楽器は、私のフルート人生の原点であり、
この曲は、独身時代に所属していた楽団の練習時間に
好きすぎてずっとさらっていた思い出の曲だった。
モノクロではない、フルカラーの時であり、
生き生きと過ごしていた数年間の、私にとっての象徴的な曲だった。

何故、このタイミングでこの曲に再会したのか、
神の恩寵としか思えない。

治療院に通い、少しずつ心も身体も回復していった。
ある日、そこの先生が貸してくれたCDのピアニストにはまった。
今でいえば「推し」になった。
そのピアノは優しく温かく、聴けば聴くほど「私のすべて」のような気がした。何度かコンサートに行き、掲示板の(当時は掲示板しかなかった)常連になった。

その掲示板で
「フラワーエッセンス」という言葉を見つけた。
それが何か分らぬまま、自分の中の深いところで反応が起きた。

「フラワーエッセンス! 何それ?? 
なんだか分からないけれど、知りたい。
どこに行けばフラワーエッセンスに会えるの? どんなものなの?」
という思いが 内側からつきあげて来る。
「直感」以外の何ものでもない。
これは私にとってとても重要なものだとその時に分かった。

そして情報を検索しまくった。

次回に続く。


フラワーエッセンスの研修、小豆島の海。




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