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父の夢をみた。

夕ご飯を食べてから
疲れていたらしく
ストーブの前で上掛けかけて横になったら、あっという間に眠ってしまった。
眠らなければ他に予定というか、パソコン作業や縫い物とかしたかったのだが、気がついたらぐっすり寝てた。

父の夢を見た。
わたしの父は優しかった。
不思議な人間感があった。
浮世離れしていたが、高度成長期にひたすら働いた人でもあった。
男性は普通、火星が強くて戦うことを好む人が多かったりするけど、父は諍いを嫌った。
ボーっと観るテレビは吉本か野球で阪神ファンだった。
将棋が強くて、冗談が好きで、どこからどこまでが本気でどこからどこまでが冗談なのか、その境界線が曖昧で、晩年ボケても、ウケを狙っているようにしか見えず(笑)本当に認知が落ちているのか?と、疑う場面も多々あった。
と、言っても、私は年に1度くらいしか帰省しなかったので介護にあたった姉は苦労したのだと思うが、
亡くなる数日前に、輸血で持ち直すと、隣のベッドの人が苦しんでいるのがいたたまれず、ナースコールをして看護師さんに「隣の人が辛そうだからどうにかしてやってください」と頼んだとか聞いて、なんとも父らしいと思うのと同時に、1週間後に命が無い人が隣の人の心配してる場合やないやろーという突っ込みがー。
認知症になってからの父は、ヘルパーさんにいつも労いの言葉掛け、「ありがとう、おおきになー」を連発していたらしい。認知になると本性が出るとよく聞くけれど、父は最後まで父のままだった。亡くなった次の日に、ヘルパーさんが、父のところに来ると癒されました。と泣いてお線香をあげに来てくださった事に私は感動した。
私が小さかったときは、仕事(溶接工だった)で汗だくで帰ってきても、直ぐに遊んでくれたのを思い出す。父の膝の上、父の背中の上、7歳くらいまで父の腕の中で遊んでいた。

わたしが音楽をしたくて家を出ると決めた時、
「子供がやりたい事をしたい道に進むのであれば、それが親の幸せだから行ってこい」と言ってくれたのも父だった。

母が亡くなる数ヶ月前に帰省したとき、自分はヴァイオリン弾きになりたかった。と、言っていた。
独学でハーモニカを伴奏付きで独りで吹いたり、バンドネオンを若い頃は弾いてた。なんて話しをしてくれたから、音楽の道に進みたかったんだと思った。

母が入院して、苦しくて喘ぐ母の手を握り、ひたすら声掛けをしていた姿が忘れられない。その時はもう認知症も進んでいたから、余計に純粋で、母の苦しみと、父の優しさが、両方が対極的に迫ってきて泣いた。

母は個性的過ぎる私を何とか矯正させようと(無理だけど)必死で、押さえつける育児しか知らなかったのかもしれないが、父は私が私であってそれで良いんだと「鼻がぺちゃんこでも、目が離れていても、父ちゃんは京子が可愛い」と、言葉で伝えてくれた。今から思えば外国の愛情表現みたいだ。
父が居てくれたから、私はなんとかメンタルのバランスが取れていたのだと思う。

そんな父が、珍しく夢に出てきた。
夢の内容はもう朧げになっているからストーリーは分からないけれど、亡くなっているのは夢でも認識していながら、存在はある、そんな感じだったと思う。

会えなくなってもうすぐ10年。
たまに帰省して無人の実家に行くと、ああ、本当に父も母も居ないんだなぁ。と思う。お墓に行くより思う。

故郷を離れた時間が長すぎて、一緒に居ない時間が長すぎて、遠く離れていると、今でも昔のままのような錯覚を起こしてるっぽい。
頭で分かっても、気持ちが理解してないのかもしれない。

父と母は仲が良かったから、今は向こう側で2人で一緒に居るんだろうな。

そんな事を思った雪の夜。

おやすみなさい。


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