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麦踏みされてもまた強くなっていく稲穂のように生きている


押し潰されてる社会不適合

新たな環境で場に馴染むのはそんなに難しくない。能動的に色んな人に話しかけて、五感から情報をかき集めて、適する形に自分を変形させていくから。

ここまで聞くと長所とれるが、五感が敏感というのは社会で働くうえでは必要不要関わらず、情報を止め処無くインプットすることになる。

そしてある時急にうごけなくなるのだ。
CPU98パーで稼働し続け、シャットダウンもできない状態になる。

そして、グシャッと押しつぶされた当の本人は一週間程社会の音と断絶しながら在宅をする。

無理にカロリーを接種して、10時間ほどねる。

これでようやく復活を果たす。
稲踏みでボロボロになった稲も時が経てば更に強くなって立ち上がるように。

社会の求める姿に擬態して生きる

擬態してる自分への違和感は昔からあった。
わたしの中の自分らしく生きるとは、社会の中で生きるとは大幅に異なるようで。
自分らしく居られる場所を探し続けた。

それでも恋人が理解してくれてそばに居てくれるだけで幸せ

お互いの駄目なとこも良いところで補完し合うことで心地よい関係を地道にロングスパンで構築していくことにより、お互いが本来の自分をさらけ出せる関係となっている実感がある。

理解してくれる人が1人でもいたら、幸せだ。

金木犀

彼女はラインでぐずっていた
翌日、秋の木漏れ日の中
近所をお散歩していた
私「金木犀の加工してなにか作りたいなあ」
彼女「お香とか?」
私「うん」
目の前の金木犀ももぎ取った
彼女「え、わたしも取る!」
二人でもみもみして秋の匂いするねぇ
と言いながらただ駅まで歩いていた

彼女の口角は上がって
目をキラキラさせている‥

彼女は下を向きながら、淋しげだけど嬉しそうな顔をして「こういうのがしたかったの‥」と頬を赤らめていた。

私達には線路越しの西日が照りつけていた
時が止まった感覚があった

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