シン・エヴァンゲリオンを見る前に自分的メモ

いよいよ明日3/8に劇場公開が迫る「シン・エヴァンゲリオン」を前に、新劇場版の3作をみて予習をしましたので、自分用のメモとしてポイントをピックアップしておきたいと思います。

はじめに。個人的なエヴァ鑑賞スタイル

世の中には世界設定や謎など考察するのが流れですが、個人的にはキャラクターの成長や行動動機、物語としての意義(映画として)といった観点についてより注目していますので、それ系の考察はほとんどしてないし見ていないですので予めご了承ください。

新劇場版3作のざっくり感想

●「序」について

公開当時に見た感想としては単なるTV版のリメイク的な印象がありましたが、Qまでみて改めて見直すと、細かい部分で旧エヴァ(TVと旧劇場版のこと)を俯瞰して作られているといった印象です。とはいえ単純にヤシマ作戦が熱い展開なのと、綾波をなんとか助けて上げてほしいといった感想。それとシンジ君視点で考えるとやっぱり大人の側が圧倒的説明不足で無茶振りすぎるのは強く思いました。とはいえこの段階では旧エヴァを引き継いでおり、エヴァのテーマであるコミュニケーションでいくと「父と子」「大人と子供」の対立という問題が横たわっている内容だと思います。

●「破」について

公開当時、映画館で2回見たので個人的には「序」から見て、リメイクのした甲斐のあったと思った作品。綾波は「ポカポカ」だし、アスカはシンジに気があるっぽいし3号機登場してくれるなどやさしい。ゲンドウにせよ、お食事会に行こうとするなど少しずつ和解の道筋がたっていたなど、人間関係において旧エヴァからより改善がみられるところがいいですね。なにより、最後のシンジ君が綾波の代わりなどいないとか、「こい!」といった感じで助けたわけですから、これは旧エヴァから見たかったシーンで今回見直しても感動がありました。エヴァ全体がコミュニケーションをテーマにしていますがその中で今回は「歩み寄り」が見られます。ある意味、新劇は「破」で終わっても別にいいくらいの作品となっているかと思います。というのはこの段階ですでにシンジ君は自分のヴォイスを手に入れており、「父と子」「大人と子供」といったような問題は既にクリアしていると思います。ではなぜ、「Q」や「シン」を作る必要があったか?といったところが新劇場版のシリーズの大局での見どころだと思います。

●「Q」について

全体として2011の震災以後の作品という文脈は外せないところで、全体的に災害後のリアリティというのが描かれていた印象。「破」であったような使徒の血による津波のような破壊シーンはなく、一方で荒廃した世界に生き残った側の視点から物語が展開されています。Qがクエスチョンを意味しているのか、旧エヴァを意味しているのかわかりませんが、いきなり14年が経ち、全体的に「説明してくれない人たち&世界」にシンジ君と市庁舎が放り出されるという驚きの展開。「破」での最大の成果である綾波レイの救出について全否定され、それ自体が逆に大罪であると認定され、カヲル君以外の世界全体から拒絶されるという意味不明。改めて今回見直してもかなりしんどいかと思います。このあたりが「破」のように個人が限界を超える努力をしても、報われない理不尽な暴力に対峙するということが震災後では避けて通りないという状況もあったかと思います。シンジ君視点で物語をおっていくと彼は「旧エヴァ」もみてないし、「序」「破」も見ているわけでないですから、視聴者よりもさらに意味不明で、別の世界線(ループ?)になってる仮説とか、そういった可能性すら謎すぎるわけです。ゲンドウとはコミュニケーションが成り立たないし、冬月さんがある程度、説明してくれるけど、シンジ君視点で何が起こったかを誰もちゃんと「聞いてくれない」といった内容です。全体的に叙述トリックのような印象があり(それがミスリードの誘いだとしても意図的な仄めかし)そちらの解決が「シン」の課題になっているかと思います。つまり個人の努力ではどうにもできない世界の壁に対してどう復興していけばいいのか。そこはどうしても他者との連携が必要になってくる。すでに震災を経た視聴者の私達もそのことを知っている。だからこそコミュニケーションの観点でみると「聞く」ということがおろそか状況「Q」で提示しそのアンサーとして「シン」が他者との連携によってなにかを解決するという道筋になっていくと考えられます。

●全体を通してのテーマと「シン」で期待するところ

まとめると、エヴァ自体が旧エヴァを通してコミュニケーションの問題がテーマの作品。旧エヴァでは人類補完計画を阻止したということは、「人と人とは基本わかりあえない」という全体を受け入れ、大人の第一歩をスタートした(おめでとう)という内容だったと思います。そこから問題テーマを推し進めるといしたら、コミュニケーションに加えて、行動。「自分のやりたいこととやるべきことの一致」ひとりではなく、他者と協力してなにかを達成すること。「自分のヴォイス(声)を見つけて、ヴォイスを伝えて、ヴォイスを聞いて、ヴォイスに従い行動すること」を次のテーマとして表現てできるか?というところが「シン」に向けての期待しているところです。(ある種シン・ゴジラで示したような大人として役割をまっとうすることでできる力の可能性)

とはいえシンジ個人の幸せも同時に作品としても重要。このあとはキャラクターについて思うことを書いていきたいと思います。

キャラクターごと「シン」で望むこと

それぞれのキャラクターが個人としての願望と社会としても願望があるかと思います。その中でどのような行動を選択していくかも「シン」の見どころだと思います。各キャラごとに考えていきたいと思います。

●シンジ

「破」で手に入れた最後に自ら綾波レイを救い発した「こい!」という心の声(ヴォイス)。それが間違ってるとは思えません。シンジくんは本来ならその時点である意味大人の一歩を既に踏み出していると思います。しかし、「Q」では世界側からの抗いきれない外力によって、コミュニケーションをリセットされたようにみえますが、一方で、自爆ボタンを押せなかったミサト、なんだかんだで世話を焼いてくれるアスカ、捨て置かれたS-DATをみつめる綾波など過去の高度は希望としてつながっています。
今後のシンジくんのミッションとしては以下のものが考えられます。

・(理解)現状の把握
・(表現)アスカらヴィレメンバーに対して自分の状況の理解してもらう
・(行動1)綾波(「破」段階が理想)の救済
・(行動2)ゲンドウとの和解(優先度低:既にシンジが大人だから)
・(行動3)世界の修復(優先度低:日常を生きることが重要)
・(行動4)絶対に生き残ること!!

いずれにしてもシンジくんの成長をどうまとめるか楽しみですね。
「さよなら全てのエヴァンゲリオン」
予告編のセリフ通り過去を振り切って突っ走ってほしいです。

●綾波レイ

個人的には「破」の綾波レイ(ポカ波)の救済を希望。シンジくんが「かわりなんていない」という発言があったわけですから、S-DATなのかエヴァ初号機なのかにどこかに魂があるのでしょうか?「Q」の綾波レイ(黒波)についてはS-DATを見つめる描写などがあったためこちらに「破」の綾波の残滓のようなものが残るという展開もあるかもしれません。いずれにしてもシンジから「母」の代理ではなく「個人」として見いだされた綾波の幸福を祈ります。
とりあえずミッションとしては

・(理解)シンジ含め世界についての関心の獲得(黒波のほう)
・(表現)感じたことをまわりに伝える(黒波のほう)
・(表現)破での救出に対するシンジへの感謝(ポカ波の方)
・(行動1)ゲンドウとの対話・関係の精算(自分はユイでも娘でもない)
・(行動2)シンジを助ける&ポカポカする
・(行動3)絶対に今度は生き残ること!!

●アスカ

とりあえず「Q」で生きていてくれてよかった。ガキシンジに対して割と面倒見が良いのでシンジの現状改善への期待。「母と子」の関係も新劇場版ではフェードアウトしているので他のチルドレンとともにおとなになっていくことがメインの役割でしょう。
ミッションとしては

・(理解)シンジの現状置かれている状況の理解
・(表現)Q終わりからのシンジ・綾波レイ(黒波)の救済
・(行動1)ヴィレに戻る・作戦への復帰
・(行動2)シンジを助ける&素直になる&大人にする
・(行動3)使徒の呪いからの回復(必要があるのかは不明)
・(行動4)絶対に生き残ること!!

いずれにしてもQの終わりからの3人旅でのコミュニケーションの中心にいると思うのでそこでの立ち回りがまずは腕の見せ所ですね。綾波とシンジを取り合う展開はあるのだろうか?(笑)
また「破」の終わりからのアスカと記憶の継続性があるアスカなのか?そういった謎も解決されるでしょうからそのあたりも注目です。

●真希波マリ

新劇場版を象徴するイレギュラーキャラ。ある意味、これまでのストーリーを別の流れに進める旧エヴァからみた異物。親子関係の問題や魂の母体となる使徒の存在も今のところないような様子なので、そもそもなにものなのかという謎が深いです。そのあたりの解決が大きな楽しみですね。アスカとのタッグも面白く、戦闘でもゲーム感覚なところが彼女の魅力でしょうか。
ミッションとしては

・(理解)ゲーム感覚だけど本当にやりたいことの発見
・(表現)苦しみや辛さなど個人の情報をまわりに伝えること
・(行動1)見つけたやるべきこと(ヴォイス)に従って行動
・(行動2)もっと自分を大事に!絶対に生き残ること!!

根本的に飄々としているけど本当にやりたいことがわかっていないので、実際フレンドリーなようでいて何者かがわからないのが問題。「シン」のなかである意味、成長する必要がないともいえるし、目的がないだけに一番成長しなくては行けないキャラなのかもしれません。(ある意味、娯楽感覚エヴァを見ている視聴者の象徴でもあるわけですから)

●カヲル

「シン」の予告で登場するので、どっかで生きているということでしょう。カヲル君については「序」の月の棺桶で生まれたときに既に開いていいる棺桶やその次の棺桶なども並べられていることから何らかの復活(ループ?)を繰り返している人物に思えます。これによって「破」と「Q」の世界や時系列の繋がりがわからないのですが、個人的には「Q」のあとに「破」でサードインパクトを止めたカヲル君であってほしいです。(今度こそシンジを助ける)
ミッションとしては

・(理解)目的の確認(ゼーレのシナリオかシンジの救済か)
・(表現1)すでにシンジに出会うために生まれてきたらしいのでここはOKだが自分が何者なのか(第一の使徒だけど)なにをしているのかを少なくともシンジ&視聴者に伝える。
・(表現2)もっとワガママをいってもいいんやで!
・(行動1)シンジの救済?やりたいワガママを通せ!
・(行動2)世界の修復?(なぜリリン側についているのかは不明)
・(行動3)絶対に生き残ること!!

「Q」のカヲル君は本当にいいヤツでした。ある意味カヲル君だけいればよかった…。でもカヲル君はシンジにとってコミュニケーションの苦労がいらない相手。ただ吉本隆明的にいうところの対幻想の世界だけで閉じてしまう相手であり、社会を形成する共同幻想の構築へ進むのを止める存在でもあります。幸せかどうかはわからないですが、エヴァのテーマとしてコミュニケーションの問題があるならば、対幻想の先に行かなくてはいけないのは必然。よってシンジにとってみればカヲル君は克服しなくてはいけないのですが、一方でカヲル君視点でみればそれこそ「運命を仕組まれた子供」として終わってしまいます。シンジの踏み台としての役割を超えて、カヲル君を含めた「すべてのチルドレンが運命から解き放たれること=さよなら全てのエヴァンゲリオン」なわけですから彼の救済も「シン」では期待したいです。

●ゲンドウ

おそらく彼の目的は旧エヴァと変わらず「ユイ」を取り戻すことだと思います(「Q」で明言している)。一方で、シンジとの「父と子」の関係についての克服が旧エヴァのテーマでしたが、新劇場版ではその色はだいぶ薄まっています。というのも「序」では旧エヴァ同様「親子関係」のこじれがクローズアップされていましたが「破」ではシンジにとって綾波やアスカ、ミサト、トウジとの関係も改善されており、ゲンドウ自身も食事会にいく途中までいっているのですでに「父と子」の段階はテーマとしてはほぼクリア済であり改めてエヴァを作り直した意味としても旬を過ぎていると思います。彼が「ユイ」を取り戻しても物語的にだからどうしたという話ですから、必然的にどうやってシンジとの関係を改善していくかが重要だと思います。「Q」のゲンドウはバイザーをしていてますますシンジを「見る」ことをしなくなっていますがそのあたりの改善から始めるしかありません。
ミッションとして

(理解1)シンジを見る(自分の目を晒し相手の目を見る)
(理解2)シンジが既に大人であることの理解
(表現)シンジを改めてみてどう思うのか伝える
(理解3)その上で「ユイ」の復活以外になすべきことを見つける
(行動4)人類補完計画など壮大なことをせずともできる、身近な救済への行動(シンジとの対話)
(行動5)みっともなく生き残ってもいいんやで…

●ユイ

初号機に取り込まれてはいるが「Q」では初号機とシンジのシンクロ率が0%だったので、巨大綾波の中とかにうつされたのでしょうか?予告編だと初号機が動いていたので、ユイが初号機の稼働にとってあるいはシンジにとって必要な存在なのか(すでに大人なったシンジには必要ない?)そのあたりも楽しみです。ただ、どちらかというと新劇場版のテーマが親子関係やゲンドウ世代、ミサト世代(リツコと関係含む)より、シンジ君がどう世界の復興に協働して立ち会っていけるかが問題なので、あまりメインになることはないかと思います。(「Q」ではユイはシンジの記憶にもほとんどないし、冬月に写真を見せられて説明があった程度で、綾波レイを母の代理としてシンジが頼るという意味合いも旧エヴァからは大きく減退しています。)

・(行動1)シンジは大丈夫なのでゲンドウだけ、なんとかして…
・(行動2)生き残っ‥さすがに死んでるか。また初号機とともに無限の宇宙に旅立っちゃうのはつまらないのでそこだけはナシでお願いします!

●冬月

「Q」ではシンジくんに説明してくれた一見、一番マトモそうに見える人。ただ旧エヴァからユイのことを想っている描写などあり、ゲンドウに付き合っていることからある意味、一番狂っているひとなのかもしれない。(狂っていることに自覚的でありながら狂っている)そのため、新劇場版においてイレギュラーな行動を取らせやすくトリックスターの役割をもたせることができるポジションにあるので何か作劇上びっくりさせたいのなら動きがあるかもしれません。

・(行動)末永く将棋を指してほしい。

●葛城ミサト

シンジからみて一世代上の大人としての存在であり、先行して大人の問題に立ち会っているという裏主人公的な人物。新劇場版自体のシンジ君はある程度、ミサトの担っている領域に自分のフィールドを広げていくことがテーマだと思います。ミサトから見るとシンジは過去の自分を見るような存在で「破」でいうように自分のできなかったことへの期待をシンジに背負わせる意味もありましたが、「Q」ではヴィレのトップとして、残された人類を支えより大きな責任を背負っているように思います。一方でシンジが逃亡した際、自爆スイッチを押せなかったなど今までの彼女らしさ優しさも残っています。現在、なんちゃらインパクト含むネルフの阻止が目的でしょうが、現状で加持リョウジも今のとこいない中、個人としての幸せはどこにあるのか?そういった視点も興味深いと思います。とりあえずダサいバイザーは外すところから始めることになるでしょう。

・(理解1)シンジの状況の理解
・(理解2)ミサト個人の幸福とはなにか?(加持やシンジとの関係)
・(表現)いきなさいシンジくん!をもう一度!
・(行動1)ネルフの阻止(人類補完計画?)残された人類の救済
・(行動2)そのためにゲンドウとの対峙
・(行動3)シンジとの和解(大人のキスとかは大人のすることじゃない)
・(行動4)シンジとともに過去(父と子の関係)の克服と精算
・(行動5)絶対に生き残ってビールを飲むこと(そのために生きている)

ミサトさんを幸せにできないなら旧エヴァ止まりになってしまうので、なんらかの個人の幸福の進展があるように思います。ベタでもいいので庵野監督にはそのへんのサービス×2を期待しております!

●赤木リツコ

旧エヴァではゲンドウの関係である意味、ミサト-梶を裏切るような面もありましたが、「Q」ではミサトの側についているのでそのあたりの心情的な立ち位置がポイント。ただ今更ゲンドウとの関係とか言い出しても旧エヴァからのファンからは退屈だし、新劇場版からみると唐突すぎるのでそのあたりは新劇場版での本筋から外れるように思います。
なので本作のテーマとしては脇役ですが、今後、加持が出てくる場合はミサト-梶-ゲンドウなどの関係において重要な立ち回りが必要になるかもしれません。またヴィレの新メンバーとの関係もあるので、大人になった先のありようチームとしての復興を担う仕事のありようを見せる上で重要なキャラかも。男より仕事!そういった方向にキャラをシフトさせるのではないかと睨んでいます。

・(行動1)仕事で存在をみせつけろ!
・(行動2)ミサトを支えて!
・(行動3)自己犠牲に走らず生き残って!

●加持リョウジ

とりあえず生きているのでしょうか。ヴィレの新メンバーのおっちゃんが加持のことを少し言及してましたが現時点で謎(予告にもでてないし)「破」ではシンジに対して生きることの楽しみなど諭しており、いい大人のお兄さんといった形なのでカヲル君ではできないシンジへの理解や成長を促せる人物だと思います(高橋源一郎のいう悪いことを教えてくれるオジサンというやつですかね)
ミッションは

・(行動1)シンジとミサトを助けて上げて!
・(行動2)しぶとく生き残っていて!!
・(行動3)ゼーレとかネルフとかどうでもいいという方針で!

●その他キャラクター

日向・青葉・サクラなどヴィレメンバーとか予告でもいい感じででてたので活躍もあるでしょう。トウジとかケンスケとか委員長とかどうなってるのでしょうか。いずれにしても新劇場版自体がシンジが大人になるというステップ「破」の段階を超えて復興や協働まで視野に入れた大人としての歩み(一歩だけでなくその後ずっと続く意味で)を描く必要があるので、シン・ゴジラではないですが脇役の活躍や協働の描写が必要になってくるように思います。自らを理解し、表現し、協力を仰ぎ、行動すること。そのあたりを注目していきたいです。(必ずしも目的が一致してない者同士でも部分的にわかりあえば協働できるということが大事)

予想されるエンディング

個人的にはシンジ君が最後大人になって、自分の子供とお風呂に入り、「なにかお話して?」と言われたときに、ちゃんと自分だけの物語が語れるようなシーンがあったらいいなと妄想しています。(母親が綾波なのかアスカなのかは謎として。実はシンジの娘がマリだったとかいう超展開はやめよう)

展開として望むのは綾波(ポカ波)含めて全員生存エンドです。メチャクチャ甘いようですが、現実の震災やコロナをみても世界の修復は安易にできるかどうかはわかりません。ですが、人が残っていれば復興できるということが大事なのではないでしょうか。槍が残っていればとか、人類補完計画がとか、「父と子」「母と子」の関係が修復すれば世界が戻るとか、そういうことは全然クリティカルな問題ではないので、おそらく世界はマダラ状に復活しつつも、社会的にも個人的にも復興や幸福を目指せる状態になるのではないかと思います(つかそれ以外にエンタメとして想像できない)

まとめ

というわけで「シン・エヴァンゲリオン」を見る前に思うところをダラダラと書いてみました。視聴後に改めて感想は書きたいと思いますが「さらば全てのエヴァンゲリオン」というコピーから予想するに清々しく納得できるエヴァ最終作品になっていると信じています。たとえ納得できなくても「破」までが新劇場版!と思えばいいので新劇場版自体が駄作になることは既にないでしょう(笑)
それではまた。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?