【メメント・モリ、現世の死神を殺しに来た中世の亡霊】『サマー・オブ・84』(フランソワ・シマール、アヌーク・ウィッセル、ヨアン=カール・ウィッセル)

鳥肌が立ったのは決して恐怖のせいではない。喜怒哀楽から距離を置いたシンセサウンドの意味付けは、スクリーンに映し出された映像が私に与える通俗的な意味と多くの箇所で半歩ズレていて、この映画はその意味作用の場において、少なくとも私にとっては、安逸を許さないものであった。そんな中、音を立てずに、スクリーンの枠外、屋根裏から降ろされるはしご階段、その登場の滑らかさこそが、この映画の白眉であったことは間違いない。その瞬間、ラストシークエンスの始まりとともにマッキーという世界の裂け目が口を開くのである。言うなれば「悪のダークヒーロー」という無意味でしか表せないような彼の、いい加減に私を認めてくれという悲痛な叫びこそを伝えるために、この映画は作られた、生まれてしまったのではないか。人口爆発、そして郊外。過剰なほどに常態化した生の時代たる近代がその始めから孕まされていた恐るべき子供たち。そんな子供たちのピーターパンとして彼は産声を上げた。彼らは年を取らない、大人にならない少年である。物語の円環を閉じるようにして主人公デイビーが身につけた教訓がメメント・モリという中世の概念だったことはおそらく理由なきことではない。中世の亡霊がモードの崇める死神様を殺しにやって来た。

サマー・オブ・84(Summer of 84)/フランソワ・シマール、アヌーク・ウィッセル、ヨアン=カール・ウィッセル/2018

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