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「見守る」ことの重要さ

この1週間は年末だというのに、何とも暗澹たる気分になるニュースが相次ぎました。

一つは今月17日(金)、大阪・北区の繁華街のビルに入っているクリニックで火災があり24人が死亡した事件です。放火と殺人の疑いがかけられている61歳の男はこのクリニックに通院していたということです。

もう一つは歌手で俳優の神田沙也加さん(35)が18日(土)に亡くなったこと。滞在していた札幌市内のホテルの14階部分にある屋外スペースで倒れているのが見つかり、病院で手当てを受けましたが死亡しました。上層階の部屋の窓から転落したということで、警察は自殺の可能性もあるとみています。

憶測を流してはいけないのでしょうが、2つの出来事には精神的なものが関係しているようです。そして、より深刻なのが大阪の火災です。容疑者の男はクリニックでケアを受けていたとのこと。報道ではクリニックの医師の評判も良く、対応にミスがあったとは考えにくい状況です。「救いの手」があったというのにこのような事態が起きてしまったとすれば、一体どうしたらいいのか・・・。精神が崩れそうになった場合、深刻になる前に早期のケアができる体制と周囲の「見守り」がいっそう重要になってくると思われます。

精神を病んだ人への対応で思い出すのが、ピアニストのフィニアス・ニューボーンJr.のことです。フィニアス(1931-1989)はアメリカ・テネシー州の生まれ。1956年からニューヨークで活動を開始し、同年には初のリーダー作である「ヒア・イズ・フィニアス」をアトランティック・レーベルに残しています。オスカー・ぺティフォード(b)やケニー・クラーク(ds)、フィリー・ジョージョーンズ(ds)といった一流プレーヤーと共演していたことから注目されていたのでしょう。

しかし、1960年代後半に入ると精神障害に悩まされ入院でキャリアを中断することになります。今回ご紹介する「ハーレム・ブルース」は1964年の「ザ・ニューボーン・タッチ」以来、5年ぶりのセッションでした。

日本盤CDの市川正二さんのライナーノートではプロデューサーのレスター・ケーニッヒの証言が紹介されています。それによると「ハーレム・ブルース」録音に先立つ1年間ほどのフィニアスは「まともにピアノを弾ける状態ではなかった」そうです。しかし、ケーニッヒは彼のためにレコーディングを設定し、レイ・ブラウン(b)とエルビン・ジョーンズ(ds)という最高のリズム・セクションを用意しました。

結果的にこのセッションは大成功し、フィニアスは彼らしい圧倒的なテクニックで聴く者に迫ってくる素晴らしい演奏を披露しました。ケーニッヒの「粘り勝ち」とでも言うのでしょうか、フィニアスの可能性を信じ続けたことが名作の誕生につながったのです。

1969年2月12日と13日、ロサンゼルスでの録音。

Phineas Newborn, JR.(p)  Ray Brown(b)  Elvin Jones(ds)

①Harlem Blues
フィニアスのオリジナル。ちょっと懐かしいストライド・ピアノを思わせる、明るいながらもブルージーなテーマが印象的でフィニアスが影響を受けた一人にアート・テイタム(p)がいるというのも頷けます。ピアノ・ソロに入ると、とにかく躍動的!低音で重たいコードを弾きながら、右手のフレーズがあちこちに飛び跳ねて全く予測不能です。それでいて分かりにくいということはなく、音の奔流にいつの間にか飲まれてしまう不思議な愉悦感を得ることができます。オスカー・ピーターソンのようにはっきりと明るくはないのもフィニアスの魅力なのでしょう。

②Sweet And Lovely
おなじみのスタンダード曲。非常にブルージーにゆったりと、ゴスペル的なタッチでテーマが示されます。フィニアスらしい音が堪能できるという意味でもこのトラックは貴重です。一つ一つの音に「黒い質量」があり、ソロで華麗なテクニックが散りばめられていても「流される」ことなく全ての音に聴き入ってしまうような体験ができるのです。しかもエルビンがブラシで圧倒的な煽りを展開し、ピアノだけが立つことなくトリオのサウンドを形成していることは特筆すべきでしょう。

⑤Stella By Starlight
こちらも有名スタンダード。イントロはフィニアスのみで始まります。スローでメロディをストレートに提示しつつ、時に左手がハッとするような低音を放ち彼らしい妖しさも盛り込んだ演奏になっています。続いて重量級のベースとドラムスが加わってピアノ・ソロへ。ここからは凄みがある演奏に一気に衣替えします。ダークな音色を帯びたピアノが、リズムに乗ってどっしりと迫ってくるのです。鍵盤全体を使っているかのような幅広い音の選択とグリグリと繰り出されるフレーズに圧倒され、あっという間に時間が過ぎていきます。その後は再びフィニアスのピアノのみになり、オーケストラ的なスケールのある響きに身を任せる快感を得ながらエンディングに向かっていきます。

フィニアスはこのレコーディングの後、順調に快復した・・・と言いたいところですがそう簡単ではなく、リーダー作の発表は年月を空けながらとなります。長いときにはその間隔が7年ほどにもなりました。

それでも、彼のことを気にかけた周囲の人々の助けでピアニストであり続けたフィニアス。「見守る」ことの重要さを思わずにはいられません。

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