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music/theater

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音楽・演劇いろいろの感想や考察など
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神様だったあなたへ _Cocco25周年ベストツアー2022〜其の1〜

見える全ては美しかった。咲き誇るような御堂筋のイルミネーション、高く聳えるマンションの明かり、ビルの隙間から顔を出す大きくてまるい月。彼女の音を一身に浴びた夜、ヘッドホンをかぶり一人歩く大阪の夜道はきっとどこより美しかった。 今年はCoccoに縁がある。 彼女は5月にもツアーを実施していて、それが私にとって初めてのCoccoのライブだった。絶対に抽選には外れるだろうと思いながらもダメもとで応募した大阪公演のチケットだった。 プロムツアーが終わって間も無く、今度は25周年ベ

星のように愛が降る _Coccoプロムツアー@Zepp Namba

12歳の私にCoccoを紹介してくれた女の子は、Coccoをかなり拗らせていた。 拗らせに拗らせていて、彼女の中でCoccoはまごうことなき神様だった。 私も彼女と仲良くしていたし、趣味も似通っていたから、Coccoの音楽にどぶんとハマってCoccoしか聴かなくなったりCoccoの音楽で絵を描いたり小説を書いたりとにかく世界がCocco一色になった時期がやってくるのは当然の成り行きだったかもしれない。12歳の私にとってもCoccoはまごうことなき神様だった。 けれど少しずつ

それでも愛に夢を見る −『マーキュリー・ファー』の祈り−

吉沢亮、北村匠海が出演する舞台『マーキュリー・ファー』兵庫公演を観に行ってきた。私には『マーキュリー・ファー』という作品について何の前情報も知識もなく、正直なところこの主演2人を生で観たいというだけの理由でチケット抽選に応募した。チケットは相当な争奪戦だったようで、私も東京含めた6公演応募したものの当選したのは兵庫の1公演だけだった。当選しただけものすごくラッキーだった。しかし、生の吉沢と北村だ! とウキウキで当日を迎え、ウキウキで座席についた私はその後展開される2時間に役者

菅田将暉の話がしたい

先日、私のことを「ワイルドスピードを観てくれない人」と評した人から「今こんな企画やってるよ」と情報をいただいた。 ほう?(目が光る) 菅田将暉の視線は彼の姿を見る人を釘付けにする。釘付けにして決して離さない、釘付けにされた人はどうして自分が彼から目が離せないのかわからない。言語化できないところで菅田将暉は人を捕らえて逃さない。捕捉された人はわけがわからないままに、彼の視線の沼へと落ちていく。 二大巨塔の推し、菅田将暉私には二大巨塔の推しがいる。そのうちの一つ、絶対的巨塔

父さんはBUMP OF CHICKENが好き

うちの父さんは50代も半ばにして、BUMP OF CHICKENの熱心なファンでいる。 きっかけは自分の子供が聴き始めたからで、わたしと弟がいつもバンプの話で盛り上がったり飽きもせず毎日CDコンポで流しているとそのうち「このバンドはいいな」と自分から言い出して、熱心に聴くようになった。中高生に人気のバンドをいきなり中年の父さんが「良い」と言い出して聴き始めたことに、わたしと弟は顔を見合わせ母さんは「オッサンの若者趣味もいい加減にしろ」と呆れていた。 それでも父さんはせっせと

蝶子、わたしが愛した彼女の物語

19歳の春に出会った蝶子はまるく広がるおさまりの良いボブカットで顔立ちにはまだ少年のようなあどけなさが残り、覗き込むように人を見る目を取り立てて大きいと思うことはなかったけれど、くるくると、あちこちよそ見をしたりすぐに興味の対象が移り変わってそのどれもに好奇心を隠さない視線は誰もを魅了した。蝶子はいつも、どこで買うのかわからないレトロな柄のシャツを着て、ノートも教科書も入らないような小さなリュックサックを背負っていた。高校を卒業したばかりの蝶子はどこにも衒いがなく、自由で大き

ずっと想いを抱きつづける

2018年末ライブ『BEEKEEPER』の時よりもずっとふっくらして、元気そうで、よかったと思う。 インタビュアーの質問を最後まで聞かずに話し始めるところも、ずっと前からそんな感じだったような気もするし、あなたらしいねと思う。 笑顔が多くなって、よかったねと思う。20年前よりも話せることが増えたり意固地になっていたものが解れてきたのだろうねと思って、ただただ、よかったねと思う。 中学生になったばかりの4月、もうだめだと思って初めてしょぼいリストカットに及んで親に見つかってす

芸術家の最果て −室内オペラ『サイレンス』

2020年1月18日、ロームシアター京都にて室内オペラ『サイレンス』を観た。 『グランド・ブダペスト・ホテル』にてゴールデングローブ賞最優秀作曲賞、『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー作曲賞を受賞し、その他映画音楽も多数手がけるアレクサンドル・デスプラ氏によるオペラであり、川端康成の短編小説『無言』を原作とする。 舞台奥にオーケストラが配置され、彼らは色とりどりの袈裟姿で現れる。オーケストラの上部には横長のスクリーンが配置されており、劇中の要所で抽象的にも日本的な映像

2019『カリギュラ』について 2/2

(前編はこちら) 3 カリギュラは何に反抗したのか   全部にでは? と言われるとその通りかもしれないのだが、私はここで彼の反抗対象に優先順位を見つけてみたいと思う。  戯曲を読むだけでは、カリギュラは様々なワードに反応して激怒する。例えばセゾニア が口走ってしまった愛、シピオンにふっかけられた孤独、老貴族たちから四方八方に飛んでくる財政の話その他もろもろ、彼が過剰に反応する単語は多くある。  観劇に赴く前、私は戯曲を読み、予めある程度ヤマを張っていた。彼はどこに最も

2019『カリギュラ』について 1/2

20191207 CALIGULA2019年12月7日、神戸こくさいホールにて舞台『カリギュラ』を観に行った。 私はライトに菅田将暉が好きである。興味がある映画に彼が出ていると結構嬉しい。テンションが上がるとまくし立てるように喋り暴れる演技が大好きだ。音楽も聴く、彼のまっすぐ突き抜けていくのにそれでいて柔らかみもある声はとても心地がいい。笑っているときの彼の顔が大好きだ。そして横顔といったら彫刻か? と思うくらいに美しい。 しかしなにぶんライトなファンなので、今年の全国ツ

どこまでをわたしのものだと言ってもいいの(20191208_したため#7『擬娩』)

人間には生物学的にオスとメスの二種類があって、メスにはできてオスには何をどうしてもできない唯一の行為が「妊娠」と「出産」だ。けれど世界のいたるところ同時多発的に消えたり起こったりを繰り返して歴史を繋いできた人間のそのまた一部に、「擬娩」という行為を行うコミュニティ、部族、集団、がある。妻の出産に合わせ、夫が「出産」を擬態する。実際に床に伏せって仮想の陣痛に呻いてみたりして、妻の出産の苦しみを分かち合う、いや引き受けようとする。 そういう習俗が、世界をひっくり返してばらばら落ち

20191207CALIGULA 今日の覚え書き

彼は誰より少年であり、誰よりも幼くて、誰よりも悲しんだ人であり、3時間に生涯の全てがあった。 3時間のうちに人間が心身に立ち起こす感情の全てが彼の体を貫いて、彼は時には黙り込み、姿を消し、天啓を受けて戻ってきて、3秒前には上機嫌だった顔がその5秒後には寒気を感じさせるほどの冷たい声で他者を圧倒的に否定する。奪い、罵り、足蹴にし、そうかと思えばくるくると表情を変えて自らを道化に貶める、平気で彼はこれをやる。感情に脈絡はない、必要がない、人間の死に意味がないのと同じように人間の感

誰も彼女を知らない

フィオナ・アップルが好きだという人は私の観測できる範囲に存在しない。 フィオナ・アップルを、私が紹介する前から知っていた人というのも、未だこの人生において一人しか出会ったことがない。 フィオナ・アップルの音楽は、本当はいろんな喫茶店で流れているのを知っている。けれど誰もその音楽をフィオナ・アップルとは認識しない。 誰も彼女を知らない。誰も彼女を知らないので、ウィキペディアに書かれている彼女の半生、人柄、そして1996年ファーストアルバム『TIDAL』がアメリカでは売れまくり

聞こえなくても

ただ一曲好きな音楽が、いつまでも聴いていたい音楽がたった一曲あるだけで昼間がどんなに死人であろうともこの夜だけは無敵と思う。 昨日と同じ、おそらく明日も明後日も同じ、この部屋はいつまでも6畳から広がることはないがわたしに見える世界は音楽ひとつで変わる。海にも行ける、風が吹く、秋に差し掛かる1ミリ手前の、さみしさを滲ませた風が涙を冷やして髪がぶつかる。もちろん想像上の涙が。だけど実体以上の涙があふれて霧散するならわたしはどこにだって行けるだろう。涙は概念であろうがわたしから生ま