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羊の木 について

「次に観るなら魚津がロケ地の羊の木かな」
「ハ?」
スリービルボードを観たと連絡してきた母がぽつりと付け加えた一言に、ルクア大阪のエスカレーターを下りていたわたしは仰天して3階あたりで途中下車し、壁にずれてから「羊の木 ロケ地」で検索。確かに富山県魚津市と出てくる。the 故郷。ピンポイントにthe 故郷。別の映画を観にいったとき、待合ロビーで流れていた予告編を見てみる。めちゃくちゃに知っている景色が出てくる。これは一体どうしたことだろうか、あの錦戸亮がうちの市役所のお兄さんになるという夢みたいなことが起きている。むしろ夢なのか。いてもたってもいられず、行って来た。
以下、遠慮のないネタバレとともに感想を書きます。


過疎化に悩む地方都市、魚深。市役所の月末さん(錦戸くん)はある日、地方移住プロジェクトとして6人を受け入れることにしたから家と雇用のお世話、ならびにお出迎えに行ってきてと頼まれる。はあそうですかとひとりずつお迎えに行き、「いいところですよ。人もいいし、魚も美味い」と繰り返し語る。でもこの人たち、なんか変。不思議に思った月末さんが課長に相談したところ、実はこれは国の極秘プロジェクトで、殺人を犯した受刑者の刑期を大幅に縮めて仮釈放し地方都市に10年定住、更生させるというものだった。えっ、でもそれ受け入れ先に言ってないけど。極秘だからしょうがないだろ。えっ、でも元殺人犯が同じ職場で働くとかふつうに考えてイヤじゃないですか。いやでもねこれは魚深の過疎化対策でもあることだから、町の未来ひいては国の将来がかかってることだから。ということで、頑張って。気の弱い月末さん、課長に丸め込まれて結局秘密を抱えることになってしまう。さて、6人はちゃんとこの町で生きていけるのか。

結論から言うと、生きていける人もいるし離脱した人もいる。釈放されたと言っても反省度合いは人それぞれで、もう二度と刑務所には戻らない! と心に決めた人もいれば1ミリも反省せずにまた何かやらかそうと思っている人もいる。1ミリも反省してない人はそれなりに痛い目に遭う。それなりというか、殺されてしまうのだけど。
月末さんは6人のお世話をするのに奔走し、めちゃくちゃに振り回される。片思いしていた幼馴染と受刑者がいい感じになってしまう。えっ。脳梗塞でデイケアが必要な父と受刑者がいい感じになってしまう。えっ。違う世界の人だと思っていた人たちが容赦なく自分の生活に入り込んでくる。市役所の人として、支援しなければと思いつつもモヤモヤする。でもそうやって自分がモヤモヤしているということ自体にまたモヤモヤする。
なんて気の毒な…と思うのだけど、気の毒だと思う時点でわたしはこの物語に対して他人事なんである。もし明日、隣に刑務所帰りの人が引っ越してきたとしたら。もし明日、職場に元殺人犯が転入してきたとしたら。単純に想像してみても、おっかない。これぞ、あの有名なNot In My Back Yardの概念ではないか! 刑務所の空き不足、地方の過疎化への対策、話だけ聞けばはいそうですかとか、それも画期的な話かもしれませんねと思う。しかし実際自分がその隣人になるということになれば話は違う。モヤモヤする。でもそれは、その事実を知っているから怖いのであって、知らないままに知り合ったとしたらもしかしたら問題なく付き合えるのかもしれない。じゃあ黙っとけばいいんじゃないかという話になるが、それはそれで、あらぬ方向からばれるリスクが大きいしそもそも残りの生涯絶対に黙っていられるのか? だいぶ怪しいと思う。実際、映画の中の6人は何らか自分でしゃべってしまっているし、打ち明けずにはいられない気持ちはきっと持ってしまうのだと思う。(市川実日子演じる栗元さんはあまりに無口すぎるためしゃべっていないが)自分ですらそうなのだから秘密を知ってる「他人事」の月末さんにとってはなおさらである。

月末さんが片思いの幼馴染である文に、自分たちの中に入ってきてあろうことか彼女と付き合ってしまった宮腰くん(松田龍平)が元殺人犯であることをばらしてしまうシーンが奥深い。それは嫉妬からくるものなのか、正義感というか、月末さんなりの倫理観がさせたものなのか、それは分からないけど両方入った気持ちだったんだろう。プラス、月末さんが文と別れたあとすぐに宮腰くんに電話をかけて、事情をばらしてしまったことを謝罪するというのが興味深いというか奥深かった。そういうところは几帳面だけど、この人はこの人で「友達として」ワードを多用するので「それ本気でそう思ってんのかい」と宮腰くんが怒るのも無理はない気がする(そもそも宮腰くんはそれすらも超越しているのかもしれない)が、聞こえのいい言葉使ってた方が面倒なことにならずに済むしそりゃあ使うよね。それに何より宮腰くん何考えてるのかまじでわからんので「触らぬ神に祟りなし」はごもっともな対応だと思う。

人は自分の社会にやってくる異物を受け入れられるのか。というのが究極のテーマであろうと思われるけど、究極なところ、「わからん人はわからん」で割り切っても良いというか、そうせざるを得ないのではなかろうか。「わかろう」とするんじゃなくて、「わからんけどやっていきましょうか」という諦めの良さみたいなものが人付き合いには必要なのかな。あるいは、「あなた全体として見たら全くわからんけど一瞬一瞬ではいい人なときもあったから」と区切って見てみるとか。もちろん「やっていく」ためには相互の不断の努力が不可欠であって、入ってきた方には郷に従う姿勢が必要だし(北村一輝の脱落は自業自得としか言いようがない)受け入れる側は一切の偏見なく、とまではできなくても頭からはねつけていてはどうにもならない。案外、感覚的なぼんやーりした好き嫌いの第一印象でうまくいくことも大いにあるのだろうな。クリーニング屋組がいい例だった。
対して、「わからん人はわからん」の代表として出てくるのが宮腰くん。ちょっと神様っぽいなというか、人の力が及ばないところに生きてる人だな…と思いながら観ていたけど、だけど月末さんに対して初めて「いいところですね」と返事してくれたり彼なりに歩み寄ろうとしてくれたりするから、難しい。こっちは「全然わからん」と思っている、むしろ正直苦手かもしれない、という相手から好意を持って歩み寄られたときにどう折り合いをつけていくべきなのかは対殺人犯ていう極端なものじゃなくても、人間関係の永遠のテーマだなと感じた。
クライマックスの、のろろ様による強制終了は「鉄槌」と捉えるべきか、「神様に愛されたから早世する(召し上げられる)」と捉えるべきか、解釈の余地がたくさんある。個人的には「鉄槌」派。「天誅」的な意味ではなく、「人間ごときが神のような振る舞いをするな」みたいなのろろ様の怒りのように見えた。人間界に神様っぽい人がよそからやってきてしまって、自分の立場が脅かされると感じたのろろ様が放った嫉妬と怒りの鉄槌というイメージ。でも、そんなこと言ったらそもそものろろ様だってよそからやってきて村人と上手いこといかなくて殺されて神様になった、もともとは「人間」だったかもしれないわけで、神様って勝手だなと思うと同時に神様でも嫉妬したりするんだ、と、なんだか面白い。

「羊の木」というのが何だったのかわからなくて調べたのだけど結局まだよく分かっていない。が、栗元さんが海で拾った羊の木の絵とこの映画のポスターの構図は一致している。一本の大きな木から羊がなっている。ポスターでは月末さんが「木」で魚深にやってきた受刑者たちが「羊」に当てはまると見ることができる。現実には有り得ない、都合のいい理想だったとしても希望を捨てずに生活していればひょっとすると綿が羊になることも、あるのかもしれない。

そして、わたしの故郷富山県魚津市である。
マッチしたところだけ切り出して、どうせ完成品を見ればぜんぜん別の町になってるんじゃないの、と思っていたのだけどこれがどうして、ほぼ全編まじで魚津である。錦戸くんは本当にわたしが知っている市役所で働いており、しかもあなたほんまに本業ジャニーズですか? と目を疑うくらいに地味で何のオーラもない、まさに役所のお兄さん。そしてひとりずつ魚深入りしてくる方々、いらっしゃいませ!! 駅の改札の向こうにそっと現れる市川実日子にはもうA4の紙サイズではなく両手を広げたお出迎えをしたい。彼女に魚津の海掃除をしてもらえる日が来るなんて、こういうときだけ海がゴミだらけでよかったなとか都合のいいことを思ってしまう。港に行けば北村一輝がいて、クリーニング屋には田中泯がいて、松田龍平が町を走り回っている、なんて、夢? わたしの故郷に何が起こっているの? しかも別に富山のフィルムコミッションがごり押し誘致をしたというわけでもなく、ロケ地を求めて三千里中の監督の目にたまたま留まったからという、なんてラッキーな…もうこの先魚津がこんなに光を浴びることはないかもしれない。魚津はもう今後100年分くらいの運を使い果たしてしまったのかもしれない。ここまで使ってもらえたならもう悔いはないんちゃうの、明日滅びても文句はないんちゃいますの…(あるけど…)
しかし、明日滅びると何気なく書いたけれども魚津市はかなりまじめに滅びの一途を辿っていることは認めたくないが恐らくそうである。劇中でも市役所課長がやたらと「過疎化対策!過疎化対策!」と連呼し月末さんはせっせと「魚深に住もう!Iターンしよう!」ポスターを貼り、月末さんのバンド仲間は「田舎じゃ1年に2歳年を取る」と言う(このセリフはひとりテレビで見ていたら爆笑していたと思う)そして町だけ見るとあまり元気じゃなさそう、むしろ商店街は瀕死。
帰省するたび「なんとシケた町か…」とため息が出るし年々ため息をつく回数は多くなっているような気がする。せっかく北陸新幹線通ったのになんで駅がないねん。なんでガストが潰れるねん。なんで産婦人科がないねん。映画館がないのは100歩譲って仕方ないにしても産婦人科がないのは絶対におかしい。ずっと魚津に住む親と揃って「マジでこの町は全然ダメ」「シケてる」「最悪」と文句しか出てこない。しかし、好きなんである。名のある俳優さんたちがお見えになれば、いらっしゃいませ!!! とお出迎えしたくなる程度には好きなんである。
ロケ地として本当にたくさん使っていただいてとても嬉しく感謝の気持ちにあふれているのと同時に、わたし魚津帰った方がええんちゃうか…と思わせられた映画だった。

ちなみにずっと魚津に住んでいた親、こんな撮影をしていたとは1ミリも気づかなかったらしい。そういうもんなのか。

(魚津市広報がお散歩マップを作っているようです)

#映画 #感想 #羊の木 #movie

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