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踊る体と生活する体の間にあるもの

踊りの変化について

現代舞踊で育ってきたので基本はクラシックバレエである。クラシックバレエの基礎を学び体得しつつ、日本人の体の表現として現代舞踊をやるのだと教育されてきた。

歴史が一番あり、基礎レッスンが確立されているクラシックバレエで体を作った上で表現のための使い方をするのだと言われてきた。

確かに軸を知り体幹を感じるのに、クラシックバレエの基礎レッスンは手っ取り早い。200年の歴史をかけて培ったものを一から考える暇は一人の人生の中にはない。

ただ、クラシックバレエのパが体に入ってしまうと表現が全てパの動きに寄るので注意する必要がある。

コンテンポラリーダンスの動きは幾つかの傾向があり、大きくはクラシックバレエ、モダンダンス、生活動作、舞踏の中に入るのではないかと思っている。

自身はモダンダンスと舞踏の中間点を目指しているが、クラシックバレエも混ざっているだろう。現に踊りを見た人は大抵クラシックバレエというのだから。

私はクラシックバレエを子どもの頃から習っているわけではないし、コンテンポラリーダンスもワークショップでしか習ったことはない。

踊っては来たが基礎練以外は師の作品を踊り、自作自演して来ただけなのだ。

師の作品はダンス部分と演劇要素の強い部分とがあり、私は演じるのが大の苦手だった。
男になったり、いきなり喧嘩して和解したりが出来なくて毎回苦労した。逆に人間ではない役だと変身は容易だった。

抽象的なものになる方がラクというのは言い換えると自我が強固ということだ。違う人格を演じるのが難しいということなのだから。

体の使い方も思考も表現も生き方も猪突猛進、が特徴ならば、踊りも不器用ということ。

あれこれ考えたところで一向に舵を切れないということかもしれない。こうしたい、目指したいと思いつつ一心不乱に体を動かすほかない。

来た話は日程が空いていれば受け、その場でこうしたいと思うことをやる。これを繰り返していくほかないだろう。

踊りの体はハレの体だと思っている。日常の動かし方ではない動きが私の踊り。そこだけは譲れない。だってつまらないからだ。いつもの動き、常識じゃつまらない。面白がりたい。感動したい。

目指すものが見えて来た。

私は体を媒体にして世の中を感じて、面白がりたいし、生きていることを感動したいんだと思う。

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