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師走の木曜午後2時、モノクロームの群像

オフィスの煙草部屋は、
ビジネスパーソンの
溜息と愚痴の吐き出し場か。
モノクロームな群像、
マスク顔の虚ろな眼差し。

僕が勤務する会社のビルには、
十数社が入っており、
5階に全オフィス共通の
喫煙ルームがある。
コンビニエンスストアの隣だ。
僕はそのコンビニに
珈琲を買いに行くたびに
喫煙ルーム、所謂、
煙草部屋の前を通る。

一昨日の木曜午後、
僕がエスプレッソを買って、
コンビニを出た瞬間に出くわした光景。

マスクをした人たちが
うつむき加減に、
どこか申し訳なさそうに
煙草部屋の入口で並んでいた。

ほの暗い通路で、
黙々とモクモクを求め、
ざっと20人はいる。

思わず腕時計を見た僕もせこい。
午後2時。
おやつタイムには少し早い。
この時間、
これまで見たことのない異様な光景。

きっとこの煙草部屋も、
ソーシャルディスタンス守り、
通常の何分の一しか入れないから
列をなす人々が出るのだろう。
まあ、この長い行列を考えれば、
長居する人はいないだろうが。
それにしても午後2時、大勢だ。

偉そうなことを言う僕も
13年前までこの部屋の常連だった。
家族に煙草の匂いで喫煙を
さとられまいと、やめたのだ。

確かに、仕事で煮詰まっているとき、
何か良いアイデアを捻り出したいときなど
この部屋は、最適だった。
煙草部屋までのオフィスビル散歩が
脳を刺激した。良い気分転換。

また、何かで少し落ち込んだり、
悩んだりしているときは
いつも煙草部屋に行ったものだ。
多くの人がそうだと思う。
気分を切り替えたいのだ。

その部屋は、溜息と愚痴を
煙と共に捨て去る、心の拠り所。
煙が身に染みるも、
気分を新しく出来る。

だから喫煙者の気持ちの一端を
僕は理解出来る。

僕は13年前にピタリと
煙草をやめれた、難なく。
きっと根っからの愛煙家ではなかったし、
煙草の代わりになるものを
見つけたからだ。
珈琲である。

オフィスビル散歩での気分転換も
煙草部屋ではなく
珈琲を買いにコンビニへと変えた。

僕なんぞのことより、
この木曜午後2時の
ビジネスパーソンの群れが気になる。
うつむき居並ぶ人々の
モノクロームの残像が
脳裏に焼き付く。

様々な会社の人たちだ。
ある特定の匂いにいざなわれ、
或いは同じ症状で
群れをなしてるかのよう。

このオフィスビルのエントランスは
今や、賑わいとさざめきを
取り戻している。
片隅にクリスマスツリー。
人影がまばらな去年の師走とは
うって変わった。
東京の街も、人波だけを見れば、
一昨年に戻った感がある。

それでも、どこか、
このモクモクを求める行列は、
全く新しい何かに映る。

煙草部屋は働く者の、悲哀の吐き処。
サラリーマン・センチメンタル…。

煙草が恋しくなる寒い季節。
でも、あのマスク顔の虚ろな眼には、
きっと別の訳がある。

僕は見知らぬ仲間たちに
祈りを捧ぐ。

モノクロームの群像が
やがて微かに色づき始めることを。

揺れる煙の向こうに、
僅かなの光が射し込むことを。

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