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その狭き空間の、つかの間の彩り

村上春樹さんの原作をもとにした
映画「ドライブマイカー」で、
雇い主のクルマの運転を
仕事とする女性が、
中年の舞台演出家の自家用車を
担当することになる。

急発進や急ブレーキのない、
彼女の安定した運転ぶりを
彼は、賞賛する。
乗っていることを忘れてしまう程、
君は運転が上手いと、
寡黙で笑顔ひとつない彼が言うのだ。

彼は最愛の妻を失い、
ある疑惑と雑念を引きずったまま、
時を過ごしてきた。

彼女は23歳、重い過去を背負い
運転の仕事で黙々と生きてきた。

車中での二人の会話は殆どない。
彼女は腕利きの静なるドライバー。
彼のその賛辞を心から喜ぶ。

ところで、僕は会社からの帰路、
最寄り駅から自宅まで
25分程歩いている。
時折、大雨や疲労困憊で
タクシーに乗ることがある。
先日僕を迎えてくれた
そのクルマの運転手さんは、
暫くの沈黙の後、
「お客さん、あそこに見える
イタリアン酒場、行ったことあります?」
唐突に訊いてきた。
気にはなっているお店だけど、
まだです、と答えると
彼女は空かさず
「先日カウンター席だったんですけど
ものすごく料理が美味しくて、
生ハムを使った料理なんか、最高でした」
と溌剌と言った。

その2ヶ月後、帰路の夕暮れ、
疲れ気味だったので僕は
またもタクシーに乗り場へ。
僕を迎えてくれたのは
あのイタリアン酒場を
薦めてくれた運転手さん。
乗った瞬間に僕は気が付いた。

彼女は数秒後、話し出した。
「今日の風は強いですね。
陽射しは強いし気温は低くないのに
風だけは強く、冷たくてね。」
僕は相槌を打った。彼女は続けて言う
「さっき、交差点でご高齢のご夫妻がいて、奥さんが日傘をさして、風が強いので旦那さんがそれを止めている。奥さんは頑なに傘をさし続ける。すると強風で傘が吹き飛ばされそうになり、奥さまは大慌てで傘を閉じ、困惑の表情。それを見て旦那さんは大笑いしていました。」

僅か5分程度の乗車。
僕は降り際に言った
「先日はイタリアン酒場、
ご紹介してくださり、
ありがとうございました。
まだ、行ってはいませんが
機会を見つけて行こうと思っています」
彼女は
「やはりあのときのお客さんでしたか。
是非、あのお店、行ってくださいね」。
明るく甲高い声だった。

他愛もない話。
でもほんのり、ほんわか。
肩の力が抜けて疲れがほどけた。
僕はいい時間を頂いた。

こういう会話が出来る運転手さんはすごい。勿論、話しかけられたくない客もいるだろう。彼女は、乗客の状態を慮れる、動なるドライバー。

ドライバーとしての
プロフェッショナリズム。
クルマの中という狭い空間。
一期一会、つかの間の対話。

一般の人のよる自家用車を使った
乗車サービス「ライドシェア」が
日本でも始動。
乗客とドライバーの、
つかの間のその狭き空間は
どんな彩りを刻めるか。

客の人生や生活を
下支えするドライバーの方々に
大きなリスペクトを捧ぐ。

今日もお読みくださり
ありがとうございました。
穏やかな時間をお過ごしください。す

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