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土曜朝の喫茶店

土曜朝。
この特別な時間のために
月から金は存在しているとさえ
思えるほど、待ち遠しい。

3年前、僕の土曜朝には
お決まりのルーティンがあった。
駅ビルにある喫茶店「珈琲館」に行くこと。

一週間の疲れを癒やし
ときに反省し、ときに誰かを思い出す。
その時間から始まる土日に想いを巡らす。

美味しいサイフォン珈琲と、
古風で落ち着いた店内。
午前8時開店直後は
客もまばらな席の間を
爽風が吹き込み、
微かなジャズピアノの音色と
溶け込んでいた。

素朴な感じの背の低い、丸眼鏡の店長は、
忙しそうにカウンター奥で調理していた。
ウエイトレスさんも穏やかな雰囲気。

心地よい場所、大好きな時間だった。

あの頃、時折、僕と同じ常連だろう、
70歳くらいの男性を見かけた。
ひとりて来店するその御仁は、
スーツ姿、ビジネス鞄、
スポーツ刈で概ね白髪。
背が高く、穏やかな風貌。

僕は、拝見するたびに、
健さんだ❢と思って見ていた。
映画スターの高倉健さんに
面持ちが似ていたのだ。

じっくり見つめていたわけではない。
そんなことをすれば物言いが入る。
でも気になる存在。

彼はお決まりの席に着くと、
鞄からおもむろに手帳を取り出す。
そして、右手の人差しで、
そのページのあちらこちらを
指差しては、何度も頷く。
そして新聞を広げた頃、
店員さんがオーダーを取りに来る。

「モーニングBセット、ブレンドで。
そしてタマゴサンドはふた切れで。」

これが決まり文句。

新聞を読みながら、時折、手帳を広げ、
記事内容を転記している様子。

僕が健さんファンだから
という理由だけで
その御仁が気になったのではない。

土曜なのにこれから仕事なのだろう。
どこか溌剌として、粋。
その佇まいから滲み出ている
おおらかな強さ、に惹かれた。

誰もが色々なことを経て
丁寧に歳を重ねていく。
そんなふうに思えたのだ。


どんなことにも終わりはある。

あれから暫くしてその喫茶は閉店となり、
別のチェーン店の喫茶になった。
何度か足を運んだが、
店内の様子が大きく変化し、
どこか馴染めず、
健さんも一度拝顔出来なかった。

そして感染拡大となり、緊急事態宣言。
僕の土曜朝の喫茶はもう1年以上、
お預けになった。

土曜朝の価値。
喜怒哀楽の一週間を癒す刻。
その喜びを噛み締め30年余年。
なかでもあの「珈琲館」は格別だった。

あの場所に代わる、
何かを見つけなければ。
あの憧憬に代わる何かを、と思う。

でもまあ、今は焦らず、
拙宅でのハンドドリップかなぁ。

こんなにも長く土曜朝の喜び、
この贅沢を堪能させて貰ったのだから。

僕は祈念している。
あの健さんが健やかでおられること、
また拝顔できることを。
いつか、この街の何処かで。

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