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インナーチャイルド

こんにちは!!

引っ越して環境に慣れてきたちなつです!!

いや~空気がね、おいしいんですよ~っ!!

山がきれいで川の音が癒しで・・・・


・・・

・・・・・ん???

・・・・・・あれ?


ちがうちがう(笑)

新居の話したいんちゃうわ!!


ってことで

今回は私とインナーチャイルドのお話をしよう

と思います。


前回、

大切な人を大切にするための
「大切な人への手紙」

を購入していただいた方々。

本当にありがとうございました!!


あのnote発売後、ありがたいことに

「どうやって感情に蓋をしていた私が回復したのか気になる」

「当時のことをもう少し聞いてみたい」

というご意見をいただきまして、

今回投稿することにしましたっ♪



以前も話題にあげましたが、

私は過干渉な母がいる機能不全家族で

育ちました。


虐待やネグレクトとかじゃなかったから、

家族への違和感を持ち始めたのは
高校生くらいだったんです。



今回の内容は、

『気持ちに蓋をする』

と決めた高校生~現在にいたるまでの

インナーチャイルドとの生活を綴る中で、


・気持ちに蓋をするということを決めた理由

・精神科での閉鎖病棟での入院生活を通し、
 少し気持ちが返ってきた話

・退院にあたって私が決めた生き方

・退院後、私が回復するためにしていたこと

・なぜ音楽療法士を目指したか


をかきました。



今回は本当にこれまでのあったことを

綴ったものなので、


みんなーー私をもっと知ってーーーー!!!

こんなんあったのーー!!!

っていうnoteです(笑)


自分の気持ち探しでずっと続けてた
ワークを1つだけのせています。

「自分で自分が何考えてるのかわからない!!」

とお悩みの方にはすごくおすすめ!!


今回価格設定はしていますが、

ただ私が書きたかっただけなので、

すべて無料で読めます!!!

投げ銭用です!!

投げ銭をしてもらえたら

超ちなっちゃんが喜んじゃいます!!


ってことで本題に・・・

まず、私の過去の話をする前に

アダルトチルドレンやインナーチャイルド
について軽く説明します!


アダルトチルドレンとは、
親による虐待や家族の不仲、
感情抑圧などの見られる機能不全家族で育ち、
生きづらさを抱えた人。(参考:wikipedia)


インナーチャイルドとは、
成人した人間の内側に内在する小児の人格。
幼少期に精神的な傷を負っている場合の、
表に現れてこないその人の本来の人間性を
想定して使われる。内なる子供。
(参考:スーパー大辞林)


といったところです。


本音を言うとね・・・

始めはほんとにアダルトチルドレンだって
わからなかったし、

うけいれたくなかった。

 

だって、

『仲良し家族だ』と思ってたんだもん。。。


多分両親もそうだったはず。


旅行にも行ったし、


休みの日は車に乗って遠くの公園に
遊びに連れて行ってくれた。



だけど、、、

お母さんは、過干渉で心配性。


出かけるときは、
「いつどこでだれとなにしているか」
を知りたがる。


謎にライブハウスは大学生になっても
お母さんの許可がいる。


うちの私物と置き場をなぜか全部しっている。


お買い物から帰ってくるとふくろの中身を聞かれる。



嘘をつけばいいのでは???

そうおもったあなた!!

私もおんなじこと考えた!!!

いえーい(=´∀`)人(´∀`=)



でね、実際やってみたわけ。


なぜかわかんないけど、ばれるんだよね。。。

ストーカーかっ!!って思うくらいに。

もうここまでくると
ちなっちゃんの世の中七不思議のひとつだよ(笑)


実例を挙げると、

「○○(場所名)いってくる」と
うそをついたことがある。

数日後。

「○○いくっていってたけど、××で見た人いるって聞いたんだけど?」

って言われたんだよね。

「なんで知ってんの!?」って思うじゃん。


普通に怖い。

一回じゃないから怖いんだよ。


そこから諦めたよね。


お母さんの顔色うかがっての生活。

自由なんてない。

私はかごの中の鳥みたいだった。

まるでおかあさんに飼われていたようだった。


実際、部屋の壁と扉には監獄にある柵のような
幻覚を見ていた。


お母さんの機嫌を損ねれば、家の空気は最悪。


お父さんはお母さんの常に見方で、
意見が分かれると私は悪。  


で、父は口論になると怒鳴る。


恐い。。。

怒鳴られたくない。。。


この両親が私のことを
なるべく気にしないようにするには、 


「無」になること。


それが一番手っ取り早かった。



親に怒鳴られないようにするには

「いい子」でいること。


だから常に何か頑張ってた。


「いい子」というのはかしこい子というわけ
じゃなく、

「親にとって都合のいい子」



親が理解できないことは
私のしたいことでも選んではいけないのが

暗黙のルール。


だからね、「感情」がじゃまだったの。



高校生のとき、

睡眠障害になったことをきっかけに、

お母さんを心配させてしまった。


睡眠発作で授業中寝てしまう。

テスト中も、生徒会の仕事中も、
大好きなピアノの上でも寝た。


睡魔は一瞬にして、

私の意識を奪い去り、

暗黒の睡眠の世界へ連れて行った。


しかもいつこの悪魔がやってくるか
私にはわからない。。。


一つずつできないことが増えていく恐怖。

「また寝てる」と
周囲のサボリのやつに向ける目線。。。

自分の将来も周りの人たちもこわくなった。



だから相談ごとや愚痴吐きは
いつもネットだった。


夜寝ずにネットをしていることが
気に食わないお母さんと

何度も喧嘩した。


「なんで私じゃなくて顔も合わせたことのない
ネットの人なの!!」

とかもいわれたっけ。。


無意味な喧嘩。

喧嘩をしたから
夜寝れるようになるわけもないし、

喧嘩をしても解決策なんて、

知識のない親子には見つからず、

ただ喧嘩の日々。


お父さんがいる日は最悪。

お父さんの怒鳴りが追加される。


「1番辛いのは私なんですけど?」

と思ってた。



お母さんは心配で耐えきれなかったんだろう。。


この無意味な喧嘩がめんどくさい私は、

なるべくなにも起きてない風に見せたかった。



そのために

【感情を捨てた】


何も思って無いし、感じてない。

辛くなんかないし、恐くなんかない。

へらへら笑っておどけたら、

「今の現状わかってるの?」って怒られるから

笑いもいらない。


だから心に蓋をしたの。

(っ'-' )╮ =͟͟͞͞♡ (ごみばこ)

っていったぐあいにポーーイって。



そしたらね。

本当に全部わかんなくなっちゃった。


嬉しいも。悲しいも。辛いも。苦しいも。


全て隠すもの。だからすべて同じもの。



でも、「そうじゃないよ」って教えてくれたのが

私の中にいたインナーチャイルド。



これから話すおはなしは

少し妄想っぽくみえるかも。。。


インナーチャイルドについては、

私が私の目で見てそこにいる!!
ってわかるものじゃないからね。


「インナーチャイルドなんていない」と
考えてる人いるよーってのは
私もきいたことあるし。。。



だから
「私が感じていたむかし話」
としてきいてくれるとうれしいな♪



これからすこしずつ話していくね。


私がインナーチャイルドに出会ったのは
高校3年生の時。


ちょうど睡眠障害が治って、

不自由なく日常生活が送れるようになったころの話。


当時の私は、

幽霊だの妖怪だのスピリチュアルてきな話が好きだった。


そんな話をしていたからか、

ただ幻覚をみていたのか、

それとも本当にそこに何かがいたのか

わかんないけど

何か気配を感じることがあったの。。

(やべ、この時点でスピってないか??まぁ、いっか(笑))



ある日のピアノの練習中の話。


ピアノの中に

1人の少女がいるような気がした。

歳はおそらく小学生。

多分1~4年生くらいかな。


ひざをかかえ、顔を伏せ、
泣いているだけの女の子。


ただ静かに、なるべく音をたてないように

部屋の隅で泣くような雰囲気で泣き続ける少女。




声をかけたって届きやしないっていうことが

声をかける前からわかってしまうような雰囲気。




なんか気味が悪いなとおもった私は、

ピアノを弾くのをやめた。


そしたら、彼女の存在を感じなくなった。



「今のは何だったんだろう?」

「ピアノに幽霊でも住んでるの?」


そんな風に思っていた。


この頃は、ピアノを弾けば必ず会える

というわけではなかった。


会えるのは、
【私が思う存分弾いているとき】だけ。。。



でも、いつ会ってもただただ泣いているだけ。

ただ、それだけ。



ある日、どうしても気になって声をかけてみた。

「なんで泣いているの?」

「どうしたの?」

もちろん、返事なんて返ってこない。


これを幾度も繰り返した。

何度も声をかけたし、

何度も返事が返ってこなかった。

当時の私にとって不思議な経験だった。


大学に入って、バイトとの両立もあってかピアノを弾く時間は

格段にへった。

小学校の先生になるのを目指す学部だったから、

ピアノを弾く授業はあったけど、

好きな曲をおもいっきり弾くのは少なくなった。

だからあまり彼女の存在を意識することは少なくなっていた。


私が大学生2年になったころ。

彼女をピアノを弾かずとも感じるようになった。

まるで私の体の中にいるような感覚だった。

相変わらず泣いたまま。

話すことなんてない。



この時期の私は、急速に壊れていった。


大学へ行くのに7時の電車に乗って行き、
大学の後はバイト。

帰ってきたらもう0時半~1時前。

そこから風呂に入り、寝る。

というスケジュール。


だが、実際は寝れてはなかった。

なぜかだんだん寝付けなくなっていった。



おそくても2時ごろには眠っていたはずが、

気が付けば

朝日が昇り、

新聞配達の新聞が入る音が

「ストンッ」

家中に響くのを聞くようになった。


「あー。きょうも夜においていかれた」

そう口にする日が増えていった。



6月頃には寝れない夜が増えすぎたため、

疲労で嘔吐と眩暈に襲われ、

吐き気で30分ほど乗り続けなければいけない
電車には、気軽に乗れなくなった。

これでもう学校には行けなくなった。


またできないことがふえていく。

そんな自分が嫌だった。


使命感と責任感とエナジードリンク。

それだけで塾のバイトは意地で続けてたのが
自分でも驚く。


こんな状況で授業をしていた申し訳なさと

生きる元気をくれた生徒たちには
感謝してもしきれない。


「先生」でいた時間だけ
「自分を好き」でいられた。



「まわりからどう思われてるんだろう」
という気持ちと、

親に常に干渉されていた影響もあるのだろうか

たくさんの目が見える幻覚に襲われていた。


どこを見ても視線を感じ、

いつも私を見ている。


つねにそれに怯えてた。


もちろん、女の子は私の中で
この時もひたすらに泣き続けていた。


私の世界の変わりの9月。

他の講師も大学が夏季休業なこともあって、

代講してくれる講師も見つかったので

1か月休みをもらって

精神科に入院することができた。



この入院を機に私は気づいた。

私が『空っぽ』だったことに。


最初知ったのは「笑う」「楽しむ」こと。

入院している仲間たちとゲームをしたり、

おしゃべりをしたりして楽しかった。



次に知ったのは「泣く」こと。「恨む」こと。

「笑う」ことを知った私は、

それまでの私が笑っていなかったことを知った。

愛想笑いで生きていたということを知った。

それが辛くて泣いた。

ちゃんと涙がこぼれた。


それと同時に、

感情に蓋をさせつづけた両親を憎んだ。


規則正しい生活を送りながら、

少しずつ自分の気持ちを探していく。


気持ちが暴走したり、辛くなった時のために

腹式呼吸によるリラクゼーションを教えてもらったり、

作業療法などを受けていく中で

少しずつコントロールの仕方も知っていった。


いつも近くにいて、
話を聞いてくれる大好きな看護師がいた。

ときどき、
主治医の先生がのぞきにきてくれた。


とても幸せな閉鎖病棟での
入院生活を送ることができた。


音楽室に電子ピアノと木琴があったので
毎日弾いた。

「音楽が好きだ」ってそこで再確認できた。


外のお散歩も自然に囲まれた場所だったから
きもちよかったなぁ。


相変わらず彼女は泣いたままだったけど、

少しは楽しんでくれてたらいいなと思う。




そんな親から離られた楽しい入院生活も
終盤に差し掛かり、



私は決めた。


自分のしたいことをして生きる。
それだけは守り通す。


それが音楽だった。


この頃にはもう惹かれているのはわかってた。

でも、周りに引かれるのが怖くて、

自分の性癖に素直になれなかった。

ずっとやってみたかったSMを

やってみようと思った。

だって「自分がしたい」って思えた数少ないものだから。。。


残ったこの2つだけは絶対手放さないと決心した。


おとうさんやおかあさんに
なにを言われようが守り通す。


これが自分らしい自分でいるための確実な一歩目だったのだと思う。



退院後は、週一回通院していた。


11月頃に、Twitterで

「好きなものを自分で選んで食べるといい」

をみかけた。


病院の診察終了の時間がちょうどお昼どき。

帰る途中の乗り換えする駅で、昼食にしていた。


ちょうどいいじゃんかっ!!実践!!!


でも、もともと笑うこと泣くことすらわからなかった私にとっては、

「自分が好きなものをえらんでね」は、

難しすぎる。本当に難題(笑)



嬉しいとかすら最近知ったのに、

「どれが一番うれしい気持ちになれるでしょうか?えらんでね」って。


いや、ムズイって。


感情すらわからんのに何がしたいかなんてわからんわ。(本音)



だから最初はほんとに何食べたいかなんかわかんなくて、

店の前で悩みまくって、

食べ物屋さんが並ぶ通りを何往復もしてた(笑)
(絶対変な人だと思われてたよ。。)


しかも大体、そばか刺身の二択(笑)

だいたい、いつも同じ3軒のうちのどこかに入る。


それを診察の度、つまり毎週繰り返した。


そしたらだんだん「そば」か「刺身」かを

瞬時に決めれるようになって、


メニューを決めるのにも慣れていき、


パエリアのお店やイタリアンのお店など

違う店にも違う飲食店の並ぶ通りにも

冒険できるようになっていった。


すっごい楽しかった!!


そんなことを続けていたら、

ある日。。。

私の中で泣き続けてた女の子が笑ったの。

「おいしい」って。


それから少しずつだったけど、

お話してくれるようになった。


「これ食べたーい」とか。

「これほしーい」とか。


食べた後とか買った後とかは

すっごい笑顔で上機嫌。


それが嬉しくて嬉しくてたまらんなかった。


ずっと泣いていた女の子が

こんなに笑ってくれている。


それをみて幸せだったの。



だんだん

「直感」で食べたいものを選ぶ

ができるようになっていった。


「好きなものを食べる」

という週1ワークをすることで、


「自分がどうしたいか」

がわかるようになっていって、


行動することで私の中のこの子を笑顔にした。



その中で

【私の感情、
この子が持って守ってくれていたんだなぁ】

ということに気づかされた。


この子のわがままは

私が本来持っていた感情だったのだ。


そこから

感情的な「やりたいこと」「ほしいもの」などの気持ちの面は

インナーチャイルドに、


現実的な「時間的なこと」「お金的なこと」については

今までの自分が


というように
2人で相談して何事も決めるようにした。


【2人が納得できる決断を】を合言葉にして。


それでも叶えてやれないときは、

必ず「ごめんな~」となでなでして
いっぱいあやした。


これは両親にはしてもらえなかったことだから、

せめて自分だけは自分にしてあげよう
という想いからだった。


それが上手くなればなっていくほどに、

気が付けばインナーチャイルドは

私の中に溶け込んでいった。




慣れてくるとご飯や買い物だけではなく、

「色々な人と関わる」ことも追加された。


きっかけは私の大切な人が

「いろんな人と会いなさい」

と言ってくれたことが始まりだった。


それで沢山の人に出会えた。

「人の温かみや優しさ」を知っていった。



インナーチャイルドに気づかせてくれた音楽。

ボロボロなときでもずっとそばにあったもの。


だから音楽もずっとしていたいとおもったし、

誰かの力になれるんじゃないかと思った。



だから、

大学を辞めて、実家を離れ、音楽療法士になる道をえらんだ。


進路変更を決定したのは入院から約10か月後。


感情すらわからなかった私が

「自分のしたいこと」をちゃんと見つけて、

両親にお願いして、今の専門学校にいる。



両親は話せばすぐに理解してくれた。

私の感情を封印させて

苦しめてしまっていたことに

負い目を感じているようだ。


罪悪感を感じさせちゃってるのは

少し申し訳ないんだけどね。




今では

はっきり分かれるように感じていた私は

1つになっている。

インナーチャイルドは消えたわけでもなく

確実に私の一部になって、

感情を中心に支えてくれている。



でもたまーにひょこっと顔を出す。

寂しがりやさんようだ(笑)

たまにはかまってほしいらしい。
(ृ ु*`・∀・´)ुカマエ


こうやって、

「自分らしい自分」として楽しくいきていくこと

にしましたとさ。



めでたしめでたし。






【あ・と・が・き】

読んでいただき

ありがとうございましたっ!!!!!



私はインナーチャイルドの気持ちに耳をむけ、

なるべく叶えてあげるという方法を選ぶことにしました。



でも、インナーチャイルドとの付き合い方は、

十人十色だと思っています。



わがままなところも多いので、

振り回されることもよくあるの現実。



感情に振り回される感覚に近いのかな??

どだろう。。。


私が思うのは、

自分で一番うまくいく付き合い方を

探って見つけていくのがいいのではないか

と思います。




これはきもちも一緒。

やらなくちゃいけないこともたくさんあるし、

やりたいことがやりたいときにできないこともある。


気分が沈むこともあれば

上がりすぎてしまうこともある。



「こうなったときこうしよう!」


とかあらかじめ決めたり、


「なんでこんな気分になるんだろう?」


と考えてみたりする中で、



自分の気持ちとうまく付き合うことって大事だと思うんです!!!!



「忙しい」は【心(立心偏)に「亡」くす】

と書きます。



いくら元気な人でも、

忙しくなっちゃうと心を忘れがちです。



ついつい自分の気持ちに蓋をしてしまう方も


多いのではないでしょうか。




そんなとき、

「一食直感で食べたいものを食べる」は、


幸福感でほっこりできます。



「直感で選ぶ」っていうのがポイントです!!


直感だと思考をかえさないので

感情のままに判断ができます。



リフレッシュにでも一度試してみてください(^^♪

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いつもありがとうございます。