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【既刊紹介4】事実一 女性である

 小説サークル「時速8キロの小蝿」の四冊目となる既刊を紹介します。
 大テーマは怪談、より具体的には「ある人物にまつわる怪奇短編集」となっています。他の既刊と異なり、大まかな背景設定をメンバーで共有したうえで一人につき二編を執筆しました。


 本書は第十回文学フリマ大阪(2022.9.25 開催)にて頒布されました。
 今回の試し読みは収録作六編に通底した設定、そのルーツに最も近い一編の全文となります。
 また、既刊はすべてBoothにて書籍・電子の両形態でご購入いただけます。

「事実 二 風になびかない」

夜の公園で遊具の上に立つ女を見た話。
好奇心と、そのむくい。異相の月、のたうつ愛犬。

 健忘症と言いはすまい。
 忘れたいもの全てを忘れ去れるように人は出来ておらず、粉吹きひび割れた瘡蓋の内には膿が蟠っていることを誰もが理解している。ところが、あの女にまつわる仔細の数々は日ごと現実味を失い、いまや漠とした記憶の断片群が辛くも形を保っているに過ぎない。
 モネの『日傘をさす女』を目にしたのが昨年のちょうど今ごろだったか。ばかげているが、以来あの女の面影は野辺で日傘を揺らす顔のないシュザンヌと輪郭を重ねつつある。
 よって、これは耐え難い恐怖と苦痛の怪異譚ではなく、隣人に関する他愛ない奇行録の類、その程度の与太話に過ぎぬ。なんといっても、記憶に拠ればあの女がいたのは真昼の野辺どころか、夜の公園の遊具の上なのだから。
 さて、事の始まりは四年前の春先に遡る。
 いやに生温い、という具合に取り掛かりたいところだが、生憎と風も凍てがちな、薄着で出歩くにはまだ心もとない日であった。身体の芯から冴え渡る夜、私は習慣に基づきランニングに出かけた。
 ランニングを愛する人間の多くはランニングコースに愛された人間であろう。さもなくば他に適当な運動手段は幾らでもあるのだから。私もまた整地された周遊公園を徒歩圏内に持つがゆえのランナーであった。
 夜とはいえ宵口でなく夜半も夜半といった零時過ぎ、一帯は完全消灯の暗闇で、人家の光も並木と垣根に遮られていた。視界下方では緑に挟まれた舗装路が淡白に伸び、上方には寧ろ地表よりも薄ら明るい夜空と山並み、そうして暗調の壁画に走るひび割れのごとき枯れ木の枝、といった様相である。
 十分も経たぬうちに私は立ちどまった。膝か腿か定かでないが、地面を蹴り返す足にいやな痛みを感じたのだ。けして非日常の事態ではない。筋肉が起き出さぬまま調子を上げ過ぎた場合にこんなことがある。それで、その日は走り控えて公園を歩くことにした。
 揺れる木々が生活音を遠ざける反面、そこかしこに落ちている木の実や枯れ枝が足元で否応なく爆ぜる。破裂音は錯覚じみた反動を伴って脚の内側をかけ昇り、その不規則なリズムが私を不思議にナイーブな感傷へと誘った。種々の追憶に意識を沈潜させるなか、ふと思い出したのは、幼い時分に遊んだ児童むけ広場のことである。
 想起ははじめこそ緩慢だったが、そのぶん明瞭な描写を丁寧にすくい上げていった。
 実に多様な遊具が設えられていた。遊具の安全性に対して、当時の世間はまだまだ鈍感だったのであろう。なかでも滑り台や雲梯の一体化した、蛸を象った大きな遊具が中心となり、また象徴となっていた筈で、幼いころは連れ立ってたむろした。いつでも行ける距離、蛸頭の陰が公園の外からでも見える程度の場所ではあるが、あえて足を運ぶことはなかった。
 記憶のおどみであった。日夜代謝する自我に取り立てて必要なものではない。けれども、時に不要なものこそ愛おしくなる。
 田舎の山あいを切り拓いた住宅地である。隣接する公園が高低差を有するのは必然であり、散歩や運動に適した全周5キロメートルのプロムナードから児童むけ広場へは相当な傾斜の勾配によって繋がっていた。
 走れば十分もかからぬ距離、しかし不調の足を引きずる道行きは、ゆうに二十分を超えたものと思われる。
 そうしているうち、ふと見上げた空に明確な変調をみとめた。
 明るいのだ。
 夜空が異様に明るい。独りごちる性質ではないが、困惑のひと言くらいは思わずこぼしたに違いなかった。
 星はそれほど出ていない。にも関わらず、昼空とも質の異なる、星雲写真のような、ラッセンの絵画のような、空そのものが自ずから色光を放っているかのような具合である。
 雲も尋常でない。たなびく朧雲は幾重に重なり、それらがレンズで覗いたかのように間延びしながら何処とも知れぬ遥かへと続いていく。色合いも妖しく、孔雀石や藍銅鉱を混ぜ合わせたような複雑なとろみをぬらぬらと湛えている。
 呆けたようにしばし虚脱していた。
 数十秒か、数分か、徐々に思考が正常な働きを取り戻していった。寒気が幸いしたのだ。
 よくよく眺めてみれば、異変の仕掛人が月であろうことはおぼろ気に理解できた。なにしろ、もう、乱雑に彫刻刀で掘り抜かれたような多角形の満月なのであるからして。白光があまり激しいためにかれは本来の形を損なっていた。鋭い、痛い、明々白々の満月。
 むろん足元も幾分明るい。暗順応で済むものか、路面の細かい凹凸が月光を照り返すようにちらついている。
 私は足をとめて辺りを見回したのち、ふところからスマートフォンを取り出し、カメラアプリを起動して写真を撮った。方々へ向け数枚撮った。
 地上も空も代わり映えせぬ一面の暗闇であった。携帯電話のレンズに空の光は遠すぎるらしい。
 よけい不安を拗らせ、かじかむ指を忙しなく動かしてツイッターアプリを起動し、次のような文言を検索フォームに入力する。
「夜空 明るい」
 文言に紐づけられた直近の投稿を辿るうち、写真家らしきアカウントが今夜の月は明るいといった旨の添え書きで、私の目に映るそれに近い写真を掲載しており、ようやく平静をとり戻した。
 とはいえ、やはり何度となく走った公園とは様変わりが過ぎる。
 ふたたび歩き出し、間もなく林に囲まれた上り坂へ至る。木々の鬱蒼として頭上を覆いかねない繁茂に反し、足元は月明かりの心尽くしに満ちており、小高い丘のうえへ導かれている心地ですらあった。
 果たして既に平常心ではなかったのか、今となっては確かめるすべがない。しかしこれまでのところ、いやに明るいだけの夜でしかないのだ。
 よって当初、広場のどこかをあからさまに注視しようなど露とも考えなかった。
 坂を登り切り、うねる花壇沿いに進めば、最初に目に入るのはロープウェイにほかならぬ。滑車を介してロープから吊るされた太縄に掴まり滑空する遊具は、幼少期にはずいぶん新奇な体験として人気を博していたように思い出される。それもいまや縄が取り去られ、ロープだけが古い電線のように項垂れている。
 続いて目が行くのはやはり、広場の中心に位置する蛸を象った遊具で、数本の蛸足がそれぞれ、スロープや滑り台、雲梯やアスレチックなどの複合遊具として機能しつつ、それらを介して中腹(蛸に使う部位名でないことは承知だが、そう呼ぶほかない)の空洞へ至り、そこから設えのしっかりした梯子を伝って頭部へ登ることで、一帯を見渡す小展望台のような景観を得られるといった、年ごろの少年少女には何でもないものだが、改めて考えてみれば熟慮の行き届いた代物である。
 無論それ自体は3~4メートルにも満たないはずだが、広場自体が高台に位置するため、登れば先だって歩いてきたプロムナードや住宅地の景色を一望できる。展望用の足場には傘状の小さな円形屋根がかかっており、幼い頃はそこに登ろうと野放図な無茶をしたものだ。
 さて、ここで結論を述べよう。広場の遠間から蛸頭を見上げた私は、展望台に人影を見た。
 家を蹴り出された可哀想な子ども、などとは言うまい。肉抜きされた手摺が腰の辺りにくる、あの上背は大人でなければ、ずいぶん長身な児童ということになる。
 加えて先ほどから述べているように、異様な明るさの夜だった。異様なのはデスクワークに搾られっ放しの私の目のほうかもしれないが、いずれにせよ、視界は常より明瞭であった。
 ここからは推測でしかないが、おそらくは女だ。髪が長く、肩よりは下に伸びていたのだ。残念ながら顔は判然としない。まったく覚えていないことはない筈なのだが、四年のあいだに印象は分解され、個々に上書きされ、常に別の何かと溶け合おうとする力のもとにあり、結局、細部は定かでないが女であった、という答えが最も誠実な態度といえよう。
 私はほんのすこし身動ぎをしたかもしれない。が、それ以上の感情を態度に出すことを努めて避けた。出せなかったとも言える。社会生物の本能というべきか、危険人物や不審者を前にした処世術的な振る舞いというべきか。
 想像してみてほしいものだ。深夜の遊具のうえに大人が茫と立っていたとして、わたしたちに出来ることは、自分は何も見ていないし気付いてもいません、という態度を示すごく自然な黙殺だけではないか。
 ドラマティックなことは何も無かった。恐怖映画にありそうな、重低音や金属的擦過音はどこからもしないし、長い髪を効果的に揺らすべき風も生憎凪いでいる。ただ、それでよけいに、遊具のうえからは肉づきのある存在感が放たれているように思われた。
 否応なく歩幅が広くなった。広場の側路を通り過ぎ、下りの勾配へと急いだ。
 これもある種の防衛本能というべきか、視線を下げて、木の実や枯れ枝を踏まぬように一歩一歩を意識的に選んでいた。
 おそらく目にしたわずかな時間よりも、目を離し、背を向けてからのほうが余程に存在を感じたに違いない。瞑目したまぶたの裏で面影を反芻するにあたって、目前の薄暗闇はどこを取っても投影幕として優秀すぎた。
 ひどく寄る辺ない心持ちとなって、ふところからスマートフォンを取り出し、ツイッターアプリを起動した。そこで液晶画面が強い光源となることに気が付いた。あまり暗い小道を行くときなど照明代わりに使うほどではないか。慌てて電源スイッチを押し、ふところへ仕舞った。
 若しこちらを見られていたら今の光に気付かれたかしら、といった想像が膨らむ。いいや、いいや。あれが向いていたのは、方向から考えて隣山のほうではないか。少なくとも、こちらの下り坂は逆方向である。けれども、あのまま向きを変えない保証など在りはしない。
 登りより傾斜が緩い反面、下りは稲妻状に羊腸した細い通路となっており何とも息苦しい。努めて差し障りない足取りを保ちながら、もはや胸中は山姥の産道を這い回り顔じゅう皺だらけにして喚き散らす赤子さながら、この通路で若しあれに鉢合わせたら、などと幾らなんでも脈絡のない想像がうなじの辺りを掻き毟るのだ。恐怖とは脈絡を支離滅裂にしてしまうものである。
 右手側に林を挟み墓地があるのも厭だった。墓地などむしろ悼んで然るべきものが、忽然と忌まわしさを醸しだす。
 もはや片足の不調など無いものとして、なかば小走りで下りきり、ようやく見慣れたプロムナードへと戻ったときには肩もずいぶん上下していた。そこで、はたと思い至った。
 あれはずっと高台から見下ろしていたのではないか。
 ランナー御用達の公園とはいえ、深夜の利用者はごく限られている。であれば私の動向もすべて筒抜けであったのかもしれない。いいや。いくら何でも距離があり過ぎないか。ばかげている。
 しばらく失念していた空を見上げると、やはり、なんと言えばよいか、想定しないバグの生じたゲーム画面のように異相の夜空であった。月は煌々と、というより、ぎょろぎょろした眼球のようにこちらを睨めつけているとしか思えなかった。
 あれとの遭遇に関しては、以上のような顛末である。それで私の身に何が起きたのかと問われれば、実際のところ、大したことは何も無い。何といってもこの文章を認めているのだから、万一にも死んでいたりしては具合がわるかろう。
 以降あれは私のまえに二度、三度と姿を現すようになる。いや、私があれのまえに敢えて姿を現しているのか。いずれにせよ、空前絶後とはいかぬものである。

 最初の遭遇からひと月は空いたものか。
 その日も私は夜半のランに出かけて、何かしらがあった、すなわち足をくじいたり、脇腹の痛みに苛まれたりなどして、いずれにせよ出鼻をくじかれたのだ。それでしようがないから歩いておくか、といった心積もりとなったわけである。
 あれから好んで広場へ足を運んだことなど誓って無い。あれが奇人変人の類であれば、遠まきに眺めることすら気が気でないだろう。しかしながら、本音を言えば、若し人間でなかったなら、という方向性の想像に関して私はすこし軽はずみであった。
 立ち入り禁止でない公的な場所、しかもごく近場に心霊スポットがあるとすれば、それはなんとも都合のいい一匙ぶんの非日常ではないか。
 そうした軽率さで私は広場へと再びにじり寄った。空はありふれた暗さで、足取りには相応の注意を要する。つまり、月狂いなどという言い訳はもはや通じないのだ。零時は回らぬ頃であったか。春の気配はまだ遠く、山からは凍てる風が吹き下ろしていたので、私はパーカーの頭巾をわずかに立てて用心深く首に沿わせた。
 広場への登り勾配はほんのひと月で一層草むしており、頭上はおろか足下の舗装路すらも覆わんばかりの勢いである。率直に言って私はそのとき何も感じていなかった。あの夜の鬼神めく狂態に比べれば、五感のいずれもが月並みの反応に寛いでいた。
 したがって、広場で再びあれの影法師を目にしたとて、然程の乱心は伴わなかった。
 いや、けして虚勢ではない。
 恐怖とはムード、謂わばお膳立てが整ってこそ恐怖なのである。日常のさなかにぽつねんと立ち尽くしていたあの女は、むしろ滑稽さすら想起させた。
 私は花壇に挟まれた側路をゆっくりと歩きながら遊具を眺めていた。夜の帷で巧妙にカムフラージュされているとはいえ、確かに、遊具の上に人影があった。どちらの方角を向いているかまでは定かでない。若しこちらを見ていたら、という懸念も浮かびはするが、生理的恐怖を伴わぬ憂慮というものに、人を動かす力はそれほど無いらしい。
 目を凝らして模糊とした輪郭を確かめてみれば、どうやら上半身を前傾させて手摺りから乗り出し、何処かを眺めるかしているらしかった。長い髪が肩口から真っ直ぐ垂れ、貞子さながらのシルエットとなっているのがまた滑稽である。
 月は星とともに深く雲間に沈み込み、苦しまぎれにその存在を主張していた。凡庸な空であった。
 とうとうばかばかしくなって、何してるんだ、とか、危ないぞ、とか、声を荒らげてみようかとすら思ったほどだ。或いはふところからスマートフォンを取り出し、カメラアプリを起動することも考えられたが、幾ら何でもそれは不躾な振る舞いではないか。
 いや、しかしながら、若し写真に何も写らなかったとしたら?
 うなじに僅かなうろたえの熱が走った。
 今ここでカメラアプリを動かせば、目前の日常と非日常とを峻別し得うるのだ。手の届くや否やという場所に超現実の尾っぽが揺れている。
 そのとき、何か、得体の知れぬ毛深いものが私の膝もとを通り抜けていった。
「アア」
 けして、叫んでなどはいない、しかし、音と声の中間か、幾らか声に近いものが私の口内で爆ぜたことは認めざるを得ない。おそらく認識が先ずあって、次に声が漏れ、最後に上半身だけでひどく不器用に身動ぎした。
 目視のひまを与えない敏捷性であった。それでも辺りを見回さずにはいられぬ。花壇や低木、球形に剪定された生垣など死角となる箇所は数多あるが、いずれも色濃い暗がりで、遠間から確かめるすべは無かった。
 影の体長は膝下までだったか、脛か足首までだったか、判然としない。膝下であれば野犬ということになるが、犬にしてはあまりに素早い。それに野犬が出るという話は長らく小耳に挟んでいなかった。住宅地というものは野良犬に敏感なのである。
 であれば猫ということになるが、それもいささか腑に落ちない。確かに敏捷性はまさしく猫、しかし図体においてはもうひと回りかふた回りのものを感じたように思われる。
 ぱき、ぱきり、と足下で音がした。それで、また竦み上がった。無意識に後じさって、松ぼっくりを踏んだのだ。思考が途切れ、意識が視界に戻された。
 今度はもはや、声を上げることなど許されなかった。息を飲んだというべきか、否応なく息を殺しながら刮目した。
 女の影法師が遊具の上から消えていたのである。
 間近で額を小突かれたかのような当惑を感じた。これは、いけない。
 言うまでもないが、こうした場合、想像力は最悪の展開に近いものを数多提案してくる。恐怖映画を好んで見る者であれば次のカットは想像に難くないであろう。
 しかしながら、私は決意のもと振り返った。振り返って何も起きぬことに安心する暇なく、片足なり脇腹なり身体の不調を押し、小走りで来た道を引き返した。
 恐怖に肌の毛が立っていた。
 ぱき、ぱきり、と、松ぼっくりか枯れ枝かしれぬ硬いものが足下で幾度も爆ぜる。本当に植物の類であるか定かでない。
 前回以上に種々の不吉な想像が肩口に圧しかかっていた。なにしろ、今回は脈絡の伴った恐怖なのだ。前触れ無く非日常のただ中に投げ込まれ、右も左もなく彷徨している。
 勾配を半ば下ったところで左足が大地を失い、その場で斜めに転げた。一瞬、恐怖とは別のいやな汗を感じたが、幸いにも深手は避けられた。ただ足の下ろし方を誤っただけで、即ち怪我ということではない感じであった。
 膝立ちで他にしようがなく屈み込んでいるうち、呼吸が落ち着きをとり戻し始めた。平常あまり考えの及ばぬことだが、私たちの思考は呼吸に左右される。呼吸の律が整うにつれ、脈絡もまた正しい形に戻り始めた。
 つまり、女は本当に遊具の上から消えたのかという、根本に対する疑いが私の中に生じ始めたのである。
 ふたたび空を見上げれば、夜空が夜空足りうる条件を確り満たした暗調の視界で、やはり、視覚認知機能が十全に働いていたかについて疑問の余地があった。
 私の心はさまざまな争点において理性の側と感情の側とを往復する。あれは真であるか偽であるか、はたまた、そもそも確かめるべきであるか否かといった具合に。右顧左眄をくりかえす私の背を押したのは、存外、感情の側であった。
 怒りである。
 あれに対する怒りではない。己を恥じる怒りでもまたない。これほどの屈辱的恐怖を味わった以上、なにか得るものが無ければ引き下がれなかったのである。謂わば損得に基づく怒りであった。
 幽霊であれば元いた場所が濡れているものだろうか、はたまたすばしこい奇人か、ジェットババアのたぐいか。
 何であれ、血管という血管が黒い炎で煮え滾るのを感じた。
 わずか数分後のこと、私は蛸の遊具の上で全身を乾風になぶらせ立っていた。幼い時分には反り立つ壁と思われた遊具は、大人の手足であれば数手の登攀で事足りるものであった。
 展望用の足場に水気はなく、誰かがいたような痕跡も見当たらぬ。肉抜きされた手摺りに体重を預け、あれが見ていたと思しき山間のほうを眺めてみた。
 ひときわ強く吹き降ろした風がパーカーの頭巾をひっ掴むように揺らした。
 あれが巧妙に身体を折り畳み、足場の円形屋根の内側に蜘蛛さながら張り付いていたとしたら、そして音もなく私の背後に降り立ち、頭巾の裾を引っ張ったならば、おそらくこんな感じであろう。おのが内から湧き出た想像のおそろしさは、私の手足を冷凍蟹のように硬直させた。
 尤も、単に風があまり冷たかったのもある。
 昂ぶりは勢いを弱くし、次第に冷静さが思考に満ちていく。遠く、国道を走る車の排気音が耳に乗り始めた。
 ばかばかしい。夢から覚めたような心持ちだが、降りる前にやり残したことがあった。
 ふところからスマートフォンを取り出す。カメラアプリを起動し、あちらこちらを撮影した。
 足場の人工大理石の隅から隅、円形屋根の内側、また展望足場から見渡せる公園のプロムナードや住宅地の点々とした灯り、遠くに見える工業地帯の陰。もはやここには二度と来るまいという気持ちで、ゆうに三十枚以上を撮影した。
 吹き荒ぶ乾風を背に、あれが見ていたと思しき山の中腹にレンズを向けたとき、何かが見えた。
 長方形のディスプレイに映じられた暗澹のただ中に、人差し指の先ほどのモアレの如き滲みが生じていた。
「ア、ア、ア」
 思わず声が漏れた。昂ぶりが再びうなじを熱くした。可能な限りの方法でもってシャッターを連写し、届くはずのないフラッシュに願を掛けた。
 数十秒続いた明滅ののち、私はすっかり目が眩んで、手摺りに半身を預けていた。
 フォトアルバムに並ぶ百枚近い黒ベタと白ベタの画像を一枚ずつ検分するが、あのモアレはどこにも見当たらない。数枚ほどオーブのように微弱な光彩を伴う写真があったものの、埃やエアロゾル以上の何かであるとは思えなかった。むろん肉眼の山並みには、なんら異常は無い。
 謎かけの答えを求めた先に、また新たな謎が現れたのである。昂揚と緊張の鋭すぎるあまり、身体は逆に弛緩していた。力の入らぬ足腰を用心しながら、展望足場の梯子を下った。
 まことに残念ではあるが、私は今もってこの謎かけに答えを出せないままでいる。翌日から暫くのあいだは、あのモアレの正体についてあれこれと調べようとしたものだ。
 日の沈まぬうち、人目を避けて再び遊具に登ったり、航空写真を確認してみたり、高性能なスマートフォンのカメラで撮られた心霊写真の例に当たったりもした。また再びあの女を目撃できはすまいかと、夜中に足繁く広場へ通ったりもした。
 しかしながら、こうした一切は甲斐なく、私の生活から非日常の色どりはすっかり褪せてしまった。
 友人に仔細を話してもみたが、連中は私の恐怖もの好きを承知しているため、冷ややかにあしらうでもないが、かと言ってそのような不審人物を伝え聞いたことも無いらしかった。自らが不審人物とならぬよう釘を刺されたのは、言うまでもない。
 そうしている内にも日常はかさ高く降り積もり、あの夜の昂ぶりは記憶のおどみとして深く沈潜していった。
 であるから、次にあれと出くわしたとき私はただただ困惑したのだ。初めなど、そもそも誰なのかすら覚束なかった。それほど記憶から剥落していたものが矢庭に姿を現したのだから、むしろ真実味が増すというものではないだろうか。

 次の遭遇は三年前で間違いない。
 三年前の年の暮れ、世間はクリスマスの余熱に浮かれながらも、また新年の歓びに浮足立っていた時期のことである。
 私といえばその頃、肺炎にかかってまる二週間近くを寝たきりとなっていた。本来ならば通院乃至入院による適切な治療の必要なところ、横着ゆえに自らを窮地に蹴落としたようなものである。
 このような死に体となっても、私の脳裏に浮かぶのは仕事のことでも家族のことでもなく、暫くのあいだ世話をしていた野良猫の顔ばかりであった。
 野良猫はしばしば来る。
 主として公園に大きな群れのあるらしいが、一部のひと懐こいものらは住宅地の屋根を、側溝を伝って家々を巡る。それらのうち、一匹の黒猫が我が家の賓客となっていた。
 雄である。しかし、弱い雄であった。いつも脚を引き摺ったり、脇腹の禿げた毛並みから傷口を覗かせたりしながら、低く短い、絞り出すような鳴き声でえさを強請った。むろん抗うすべは無い。
 それが寝込む前日に見たとき、左目に大きな傷を拵えていたのだ。また縄張り争いに敗れた、烙印だった。片目を瞑りながら、普段より模糊とした足取りであった。
 天候は荒れがちで、霙とも雨ともつかぬ凍雨が頻りに降るので、私は自分の身体より、あの黒猫のことが気が気でなかった。匿ってやることも吝かではなかったが、いずれにせよこの有様では手の施しようがない。
 その日は朝昼を這うて過ごし、暮れかた僅かな復調をよいことに、私はシャワーを浴びていた。寝たきりとはいえ代謝はある。濡れたタオルで拭くだけでは限界だった。
 種々の懸念が蟠っていた。このような時ですら仕事の連絡は否応なく回ってくる。
 深い溜め息がしかし、喉につかえた。汚い話ではあるが、痰が込み上げてきたのだ。それで、そのまま排水溝に吐き捨てた。そうするほかなかった。
 最初の異変はこの瞬間である。或いはもっと早くからあったのやもしれぬが、半睡半醒では気づく由もない。
 ペチャリ、と水分を含んだ塊が床面に叩きつけられて立てるべき音が、しなかった。
 僅かな違和感ではあるが、疲労で神経を尖らせていたぶん聞き誤ったとは思えなかった。シャワーの放水が床を叩く音とその弱い反響、そして外では雨が同様に屋根や地面を叩いていた。
 即座に排水溝へ目を移せば、流水に乗り流れていくべき痰も見当たらない、ように思われた。本当に僅かな違和感であるが、これまで伏せっていた数日間とこの瞬間とのあいだに、厭な実感で線引きが為されたようであった。
 シャワーを垂れ流して怪訝にもの思っていたのも束の間、今度は短い悲鳴をあげ振り向く羽目となった。
 何か、水分を含む軟質のものが背に張り付いたのだ。指先大も無いであろうそれは、私の想像力に訴えかけてくる。ひどく憔悴しつつも壁掛けの式のシャワーヘッドを手に取り、洗い流した。
 堪らなくなって浴室から飛び出る。とはいえ体調が体調であるから水気をしっかり落とさないわけにもいかず、必死の形相でタオルを全身にこすり付けた。
 寝台に戻って布団にくるまりながら、スマートフォンでBGMをかけた。なるたけ気落ちしない、音色の強壮なオーケストラを無作為に。友人に連絡を取ることも考えられたが、吐き捨てた痰の行方を問われる者の心持ちがいかなものか、想像できぬ性質ではない。
 雨音に混じって車のタイヤ音が喧しい。
 クラシックの荘厳な音作りがかえって滑稽に感じられ、耳障りとなった。もの思いに耽ることも無心に休むこともままならず、時間に雁字搦めである。種々の音は縦横に跋扈する反面、視界のうちで動くものは壁の高い位置に掛けた時計の針だけであった。目で針を追ううち、秒針が三時の方向を指した。その時はじめて、掛け時計の右側の壁に小さな粒のようなものが付着していることに気付いた。
 浴室における一件もあり、厭な感じである。見ようによれば孔のようにも思われ、そこから何かがにじみ出てきそうな感じだった。または、何かに覗かれているのか。
 目を凝らしても叶わず、私は心身ともにほとほと疲弊しながらも、壁際まで身体を引き摺った。確かめず置いておくにはいささか目につき過ぎる。
「ああ……」
 肉薄したところ、溜め息を通り越して声が漏れた。何のことはない、甲虫の死骸であった。夏の忘れ物である。カナブンかと思われたが、頭部の形状からドウガネブイブイに相違なかった。
 引き剥がして、野外やごみ箱に放り投げる気は湧かなかった。単純にそうするだけの気力を持たなかったし、また半年に亘り、死して尚へばり付き続けた胆力に励まされるような心地がした。とにかく何か口に運ばねばと鞭打ち、冷蔵庫に作り置いてあった粥を取りに行った。

 目が醒めたとき、何時であるか見当もつかなかったが、とにかく暗いので朝昼でないことは確かだった。
 別段車やジェット機の騒音に起こされたわけでもなかった。ただ、奇妙に耳なじみのある音がした。
 じいいい、じいいい、と低い位置で鳴る。固く細いものでフローリングを引っ掻く音である。
 いやというほど聞いた、耳に染み付いている音だった。二年前に亡くした小型犬が、悪くした足を引きずり、いつもこんな音を立てていた。驚きはすぐに失せ、恐怖より無念の気持ちが勝った。晩年は臓器を患い、苦しみ抜いて息を引き取った。
 ず、ず……じいいい、と、都度立ち止まりながらようやく歩を進めている様子が容易に想像された。
 私は上体を起こして自ずから迎えに行こうとした。が、出来なかった。身体は横たわったまま、首だけ起こすのがやっとであった。
 窓の外でひと際強く、車のタイヤが音を立てた。路面を擦る音の低い部分だけが耳の奥で何重にも反響しだした。
 あ、始まったな、というある種の納得感が私の中に芽生えた。
 というのも、これまで何度か金縛りのようなものを体験しており、そのたび見るものは違えど、決まって重低音が一定の律動で響き続けるのだ。笑ってしまうようだが、もはや四つ打ちの電子音楽と言っても相違ない。
 そうと決まれば後は身を任せて耐え抜くだけである。経験上、金縛りは疲労の著しい時期に限って生じた。ゆえに私はこれを超常ではなく、生理上の一現象として認識していた。
 そのような脳裏の得心など知る由もなく、ず、ず……と足音は確実ににじり寄っていた。覚悟はしていてもやはり感じは只ならず、私は僅かに身動ぎしながら、どうかして愛犬の名を絞り出そうと腹に力を込めたが、やはり自由が利かない。
 擦過音はとうに室内を徘徊り、本棚や机の脚に身体をぶつけるのか、ごと、ごとり、としばしば鈍い音を立てる。晩年は盲いていたので仕様がない。せめて化けて出る時くらいは往時の若い姿で来ればよいのに、と健気にも感じられたが、にわかに手足の先が冷え込んできたので、そう長くは平常でいられなかった。
 もとより冷え性ではあったが、氷の塊を押しつけられたように性急な冷え込みだった。間もなく寒気は手足を伝って深部に至り、私は先頃までの余裕もどこへやら、歯を食いしばって指先足先を丸めようと努めた。
 あまり堪えかねるせいか、突然肘から先が如意となったので、すかさず指を腋の下へ突ッ込んだ。ところが、まるで己が指が赤の他人のそれであるようにしか感じられず、却って深部から熱が奪われ、生気を失っていった。病と金縛りの合わせ技とはこれほどのものであろうか。
 そうしているうち、じいいい、という擦過音が何重にも聞こえ始めた。はじめは重低音のビートのように脳裏で反響しているものと思われたが、よくよく耳を傾ければ、違う。じいいい、じいいい、じいいい、じいいい、と幾重にも床を掻く音は、確かに脳裏の外側から届いていた。
 想像力が豊かであることはしばしば弊害をもたらす。つまり、あるはずの無いものを明瞭に思い描けてしまうのだ。今や私の脳裏には身体の生えるべきでないところから脚を七本も八本も生やした愛犬が、ぼろのような毛並みを引きずって寝台へと這い寄ってくる様相がありありと浮かんでいた。
 呼吸が早まり、舌が喉の奥に落ち込んでいく心地である。
 とうとう寝台のシーツが引っ張られるのを尻腰で感じた。生前もよくそうしていたが、その頃より遥かに強く、そして厭な力具合だった。飼い主を起こしたり何かを報せようというのでなく、シーツごと引き摺り落としてしまおうという魂胆の見え透いた力みだった。
 私は如意の手指で必死に寝台のクッションを掴み、堪えた。寒気で指先の感覚が薄く、スポンジに指を埋めているような頼りない感触だった。足や全身で堪えられればよかったが、これらはやはり自由が利かない。というより、金縛りの常だが、動かないというよりも非常な倦怠感で動かそうという命令を下せないのだ。極寒の雪山において遭難するという経験を知らないが、眠ってはならぬ時の眠気とはこういうものなのかもしれない。動かさねばならぬという意思を、倦怠感が抑え込んでしまうのだ……
 一瞬、引っ張る力がやんだと思えば、寝台の上に小型犬の脚先が乗った。直に乗りあがろうとしていることは疑いなかった。散歩のたびに拭いてやった、まめに爪の手入れをしてやった、あの脚先だった。けれども、今は荒野の灌木のように爪がねじれ放題伸びており、往時は黄金の和毛だった毛並みもちぢれ、土か何かしれぬ黒茶けた欠片が無数に絡まっている。
 それに、ああ、脚だ。問題はやはり、脚であった。いや、脚というよりはもう、何か、腕と言って差し支えない。
 前脚はおそらく二本のままであった。しかしながら、多過ぎる。関節があまりに多い。十かそれ以上かしれぬほど細かな起伏をもって、猿腕か蛇の身のように長く伸びた脚は、関節の都度に親指のような突起の爪を有している。この腕を引きずって、擦過音を幾重にも立てていたのだ。
 もはや身体の不如意とは裏腹、心中は猫の玩具と化したちり紙のように千々であった。今までの金縛りとは違った。これまでは人の影や気配、物音など、忌まわしさのイデアといったものをおぼろげに感じていたが、これほど明白に形を持って現れたことは例がない。 
 音にならない息声で愛犬の名を囀った。心安らかに臨終させてやれなかったことを今になってひどく悔やんだ。
 両の猿腕の間から、胴とひと続きの頭が寝台のうえにせり上がってきた。確かに老いた愛犬そのものの、禿げかかって艶めきを失った毛並みに、乾いた眼球である。
 その右側の眼が、つまり左眼が矢庭に膨らんだ。眼球ではなく瞼近くの肉が膨らんだようで、すぐにこぶしより大きな肉腫となった。
 私は首をそちらの方へむけ、まなこ引ん剥き、釘付けである。身体じゅう冬の夜の海に放り込まれたように震え上がっている。
 植物の生育映像の早回しのように、肉腫が部分部分を浮き沈みさせて形状を歪ませる。ひとしきりの蠕動が止んだのち、肉腫はどこかで見たような人間の面影を映していた。
 とはいっても、ところどころに長い毛のしな垂れる、素人以下の塑像化が捏ねたような異相である。見覚えがあるといえばあるような気もするが、私は愛犬のもう片眼の黒々とした無感情のほうに吸い込まれていた。
 そうして、とうとう力尽きた。気を失ったというよりは本当に、倦怠感に負けて、もういいか、という気持ちで私を手放してしまったのだ。

 さて、何となく察せられることであろうが、肉腫の顔に重なった面影は、きっと遊具の女のそれであった。何の根拠もありはしないが、至近で睨み合ったのだから、快復から暫くのうちは明瞭に思い出せたのだ。
 しかしながら、だからといって何か理屈が通るようなことは、全くない。以降も幾度か広場を訪ねたものの、遊具の女はおろか、異態の月も、得も言われぬ小動物も、からきしに無沙汰で甲斐がない。
 まことに理屈の通らぬことといえば金縛りもそのようである。翌朝早くに目が覚めた私の肺炎は嘘のように快癒しており、心身充溢、たちどころに健康を取り戻していた。愛犬の手による荒療治だったとでもいうのだろうか。
 数日の後、野良猫愛好家の隣人から、私の敷地でよく見かけた黒猫が野垂れ死んでいたことを報された。プロムナードの茂み沿いの側溝にうち捨てられていた彼は縄張りを追われ、とうとう風雪を凌げなかったものと思われた。私は彼の亡骸を抱き上げ、庭の愛犬の墓からすこし距離をとった場所に葬ってやった。ドウガネブイブイは今も時計脇にへばり付いたままである。それきりだ。非日常の色合いはすっかり褪せてしまった。
 もうひとつ腑に落ちぬことといえば、あの異態の月夜に見たはずの写真家、かれのアカウントである。あれすら何度探し直しても見付からぬのだから、錯誤というものは限りがない。


 
 以上になります。


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