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情報端末を使えないというのは人権問題となるかもしれない。

30年後こうなってたらいいな、ということですが。
30年後を考えるために新技術として情報端末との比較に列車(明治維新ですね)を取り上げて考えたいと思います。

最初に電車の話から。まず2025〜30年には自動運転の車が一般的になるわけですが、絶対出てくるのは交通弱者やシニア世代などの足の確保です。基本的人権の尊重が最も重要視される日本や、他の国家では必ず課題となるでしょう。おそらく誰も何も言わなければ、シェアリングが普及はしますが、便利な暮らしをする人々がいるなかで、少なくない人が技術革新に追いつけないでしょう。

『普及→大衆化→万遍ないサービス提供』の順番に普及は進みます。万遍ないサービス提供はすなわちそのもの、そのサービスが公共物となった時です。

グーグルを例としてみます。
●普及 
各家庭に端末が普及してくる、1990〜2010年代までのステージ
●大衆化 
2010〜2020年代 誰もが使う、手にとるもの(スマホ・グーグルアシスタントなど)にサービスが入る
●万遍ないサービスの提供
2020〜2030年代 公共物としての認識がサービス運用に必要となるなど、利益抜きの視点がサービス運用にとって必要となる

というところでしょうか。

GAFAなどが批判を受けるのは、大衆化が進んだからです。サービスの普及が進み、利益を目的とする商業的なものというよりはインフラとなってしまったからです。これは良かれ悪かれで、公共物となったと同じ認識で考えなければならないわけで、利益とはまったく結びつかないところに配慮しなくてはなりません。今現在様々なところで現れている問題はこのように考えれば納得がいくわけです。

また、サービスの万遍ない普及、またそのサービスの提供という段階に来た場合、必ず必要なことは「サービスを何らかの理由で受けられない、受けていない人」へどうアプローチしていくかということです。公共物となったサービスが受けられないということは人権を考える組織としてはあってはならないことです。
これについて、今現在未だにスマホを持たないお年寄りなどもいることを考えると、情報端末は垣根が高い。スマホを持たないお年寄りなどはいます。公共物となる以上「使わないならいいよ」と言うわけにはいきません。言ってみれば、移動するにも電車もバスも車も使えないお年寄りがいたら、その人は助けなければならない、そういう段階がサービスが公共物になった時です。モビリティは公共物としての色合いが濃いですね。そのように高度な技術を普及させるだけではなく、サービスから漏れる人がないようにしなければならない。人権の大切さ、啓発活動をしている人々がもっとそのようなサービスの普及から遅れている人たちを守る、人権を尊重する活動をするべきではないかと考えるわけです。情報端末を使っている人にとって当たり前だと思っていることが、当たり前ではない。それは人権問題というか、近代が現代になる際に生じた問題と同じ現象なのです。

話をバスや電車などにすると、これらの公共交通機関はそのような視点から見ると公共物として成功しています。誰もがそれなりの金額で利益を享受できる。ただ公共物である以上利益が出ないような路線も維持する必要はあります。

最も良いのは、今の都市圏の鉄道のように「定時で安全に走らせていれば利益が出る」ようにすることです。本業の鉄道や沿線・駅ナカの都市開発などで利益を出せるようにすること。しかし利益を出すことのために本業は安全、安定な定時運行をしなければならないわけです。

人権を守るためにはどうするか、ということまで来ると重いので、軽めに締めたいと思います。公共物となるサービスは多くの人が求めているからこそなったわけです。グーグルやアマゾンなど、GAFAと言われているサービスは多くの人が求めるサービスを提供したから今の立場に立っている。30年後ということですが、30年経ったときに何が公共物となっているかは様々な立場の人さまざまに考えておく必要があるでしょう。便利でより良い暮らしのために、どうなっていくことが理想なのか。これをもって締めたいと思います。


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