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新春企画!一般入試がなくなる世界を考えてみた(終)【相関と因果を超えて】


一般入試が終わった社会を妄想しています。前回はこちら。

これまで6回にわたって一般入試が廃止された社会を想像(妄想)してきましたが、なかなのディストピア感があるなと思います。
これまでの社会常識が覆されることによって、得るものと失うものを比較するとやはり失うものが多くなるのではと感じています。

未来予測の一つの特徴でもありますが、悲観論が多くなるなと実感しています。ただ、それでも未来は一般入試が廃止される方向にシフトしていくだろうと思います。今回、この企画を通して強く実感したことでもあります。

そのキーワードは、この国の少子化と凋落という厳然たる事実でしょう。

この国の少子化は、凋落とセットでいろいろな面で破綻に突き進んでおり、それは結果的に破滅のシナリオを紡ぎ出しているのかなと感じます。

そうなると、人は何らかの形で打開策を打ち出そうとする。その一つとして、一般入試が標的にされることでしょう。

ただ、それでこの国の抱える根源的な問題が解決するほどの軟な問題とはとても思えませんので、何かを「悪魔」とする思考こそ、凋落する主因ともいえるのかなと思います。

誰もが共有できるわら人形として「一般入試」は葬られるのではと思います。

あとこの企画を通して、意識したことは、因果と相関の関係です。

一般入試諸悪の根源説を拡散しているのは、

今の日本に創造性が足りないことは、知識偏重(であるとして)の一般入試と「因果関係」があると考える方が唱えておられるのではと感じます。

仮にそうであれば、何がどのように因果関係があるのかのメカニズムを明示すべきだと思いますが、寡聞にしてそれを納得のいく形で示しておられる言説を私は知りません。

そうでないならば、因果関係とまでは言えないと思います。

ただ、相関関係はあるのかなとはいえるのかもしれません。東大生とか東大に多数合格する高校生が、民放のクイズ番組を盛り上げていますが、彼らにどの程度の「創造性」があるのかは、正直疑問があるところです。

一般入試が「知能」を育てても、「知性」は育てない側面はあるのではとも思います。

とはいうものの、知性を育てるのは簡単な話ではない。

そもそも創造性がある人たちを無理に難関大に導く必要性がどの程度あるのでしょうか。個人的にはここがひっかかる点です。

ビル・ゲイツは、ハーバード大学に在学していたとされていますが、そこまで優秀な学生ではなかったようですし、スティーブ・ジョブズは、私たち日本人がよく知らない大学に通っていた。

そもそも、アカデミックの世界で求められている能力は、従来のように「知能」ひいては、「知識偏重」でも問題ないのではと思います。

私は、この国で創造性を棄損しているのは、おじさんが支配する権威主義的な社会だと思っています。

「今の教育は問題だ」というおじさんこそが問題の根源ではと思います。

あまり個人的な視点で語りたくないのですが、経団連の現在の会長さんは、いろんな点で、この社会の創造性の欠如の象徴になっているようにしか見えません。ご出身の住友化学は、創造性あふれる企業になっているのでしょうか。

別の観点で言うと、今の社会に創造性がないことの一因は、多様性を認めないことでしょう。

ちょっとしたことで、簡単に意見が割れ、右も左も相手を糾弾し、相手の愚かな思考が社会を破壊していると言い合っていますが、こんな狭い了見で創造性など出てくるわけないじゃんというのが私の印象です。

そういう思いもあり、私は一般入試廃止は、やってみていいじゃないの?という思いがあります。多分ダメだろうとけど、失敗から再出発するのもありかなとも思うのが今の心境ですね。




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