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最後の遺書

遺書を書くということ

「最後の遺書」と聞いて、違和感を感じる人が多いだろうか。「頭痛が痛い」のような二重表現にも見える。

鋭い人はこの表現でわかったかもしれないが、私は複数回遺書を書いている。初めて書いたのは、高校生のときだった。大学受験のプレッシャーに押し潰され、自分で命を断つという選択肢を初めて考えたときだった。まだ親の過干渉がひどく、無断で部屋の整理もされていた時期だったので、隠した小さなメモ書きの遺書はすぐに親に見つかり、ひどく怒られた。

しかし私はそれでも懲りず何回も遺書を書いた。特に、大学生になってうつ病にかかってからは頻度が上がった。

なぜ「複数回」遺書を書いたのか。それは、遺書という形をとって私は救われていたからだ。今考えれば、実際近い未来に自分が死ぬのかどうかは、私にとって大事ではなかった。つらく、自分の存在意義が見出せない現実と対比して、自分が死んで誰かが悲しむ架空の世界にこそ、自分が生きていた意義が見出せるのであった。確かに、自分を大切に思ってくれる人はいるのだろうが、自分がいなくなった瞬間こそが、その人たちの最高の愛を向けてもらえる瞬間なのではないかと思うのだ。私にとって遺書はナルシシズムの最たるものである。

私の命は誰のものか

私の命は当然私のものであるし、私そのものであるはずだ。しかし私は、私の命を弄んで好き勝手に自分の好きな非現実世界を構築していたのだ。この時点で、命は私という存在から離れ、私にうまく利用される物体になってしまった。遺書を書くということ、つまり死という非現実世界を構築することは、私にとっては救いであったが、周りの人には鋭い凶器であった。その人の私に対する態度一つが、私を死なせるかもしれない。私の命を人質にする行為であった。
私が幼い頃、母親はよく私に自殺を仄めかした。「ママなんかいらないでしょう?ここで死んであげるよ」
私が好きな寺尾聰の有名な歌の歌詞に、「枯れ葉一つの重さもない命」という表現がある。母親の影響なのか、自分のうつ病による希死念慮なのかはわからないが、気づけば私にとっての私の命も、枯れ葉一つもない重さになっていた。そして私は大切な人に、母親と似たように自殺を仄めかすことを言うようになった。

本当は生きていたい

私は死ぬのが怖いわけではなく、自殺未遂に複数回至ったこともある。しかし、助かったときにいつも思うのは、本当は生きていたい、ということだ。ときたま、みんなが自分を最高に愛してくれる死後の世界という非現実世界に逃げ出したくなるだけで、それは現実ではない。そして、私が親に傷つけられたように、私の言動は周りを傷つける。私は周りの人と関係を築きながら現実を生きていかなければいけないので、遺書とは決別しなければならない。これは私が生きていくための、最後の遺書である。

最後の遺書

私がこの世から消えるのは、色鮮やかな花たちが街を囲む春でしょうか。蝉が鳴き生ぬるい風が吹く夏でしょうか。夜が長く寂しくなってくる秋でしょうか。雪がしんしんとふる真っ白な冬でしょうか。夏だったらいいな、なぜなら、私の大好きなひまわりの花が私の棺を飾ってくれるでしょうから。
流行りの歌じゃないけれど、墓石に名前を書かれるのは嫌です。この体は、私が好きだった、青く広い海に還りたい。

私の代わりはいるでしょう。言うまでもなく、世界は回り続けるし、私がいた役職には次の日には誰かが後任として入る。私の埋め合わせがどんどん行われていく。それは社会的にだけでなく、個人的関係の中でもそうです。人は忘却しないと生きていけないもので、私が支えていた誰かは、新たに支えてもらう人を見つけるでしょう。私が言いたいのは、私は過去になるということです。もう私はいません。しかし、私の大切な人たちと交わした会話、触れ合った温かさは確かに存在していました。それだけで十分です。

自分を責めないでください。誰のせいでもありません。この命の選択は私のものであるのですから。私が命を始めたことも終えることも、生きてきた中で経験した幸せなことつらいこと、全てが運命です。

大切な人たちへ。あのとき、私に笑顔を向けてくれてありがとう。そっと抱きしめてくれてありがとう。生きていてほしいと言ってくれてありがとう。ここでは書ききれないくらい、感謝したいことがあります。どうかその優しさを、これからも大切な人、必要としている人にあげてください。

さようなら。



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