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発達障害児子育ても悪くないヨ


「発達障害」という言葉から連想すること

「発達障害」って言葉が最近では世間で広く知られるようになってきました。そのイメージは生きづらさ、勉強ついていけない、じっとしていられない、などネガティブなことの方が多い気がします。例に漏れず、うちの次男はお勉強は苦手で支援級在籍、集団行動で場違いな発言、癇癪を起こすとモノを投げたり叩く、同級生に興味はなく大人に一方的に話しかける、ひとり遊びができないので常に親が付き合わされる、など典型的な発達特性を持ち合わせています。これだけ羅列すると確かに定型児の子育てよりは厄介で難易度高めであることは否めません。

それ故にか、どうしても生きづらや育てにくささが話題にあがります。でも実は必要な支援を受けながら穏便に平和に暮らしている人もたくさん存在するのだそうです。その人たちはわざわざ公の場に出て平和な暮らしを声高々に公言しません。なのでニュースになったり2次障害で苦しんでいる人の声で「発達障害=大変で苦労するもの」という世間のイメージが出来上がり、我が子が発達障害と診断されると奈落の底に突き落とされたような気持ちになるのだと思います。私自身がそうでした。どうしても発達障害や支援学校、支援学級に否定的なイメージしか描けず、我が子がそうであることは最初は受け入れられませんでした。いや、今も完全に受容したとは言い切れません。

親ばかエピソード ~我が家の次男~

でもでも!あ、先に断っておきます。リアルで言うとただの親ばかエピソードになるようなことを書かせてもらいます(苦笑)

うちの次男は楽しむことの能力がずば抜けて高いんです。自分が大好きな電車に乗ったり、リングフィットアドベンチャーやったり、自分の過去の写真を何度も眺めてはセリフを繰り返したり、積み木でピタゴラスイッチを作って遊んだり。自分がやりたいことの幅は狭いながらも、やりたいと思ったことは繰り返し何度も何度もうんざりするくらい飽きもせず楽しんでます。そして何かが上手くいったときは両手を広げて満面の笑みを浮かべて満足気な自分に酔っています。

街に出掛けて私が方向音痴で途方にくれていると、サッと看板を見つけてくれて道案内をしてくれます。「ありがとう!〇〇(次男)がいてくれたおかげで道に迷わなかったよ!」と私が言うと「かーちゃん、僕がいてくれて助かったね」とこれまた満足気。私はその姿を見て【自己肯定感ぐんぐん高まってる!】と感じます。


短所と長所は紙一重 ~障害とは~

ASD特有の相手の気持ちを汲み取るのが苦手な短所も裏を返せば人の顔色なんて気にせずとことんやりたい・好きを追求する。会社という組織で面倒なしがらみを経験してきた大人の私から見たらこんなに自分中心の世界で生きていけるってどれだけ幸せなことか。ある意味羨ましいです。それが行き過ぎると周りに迷惑がかかったり、周りから白い目で見られて本人が萎縮してしまうなんてことがこの先成長するにつれて起こっていくのかもしれません。それが生きていく上での困り事に繋がるとそれは「障害」になるのでしょう。

発達障害って自分自身や我が子が診断されたら一度はずどんと落ち込む、これは自然な感情でそれを否定はしません。私自身も通ってきた道です。ですが、こんな風に陽気で毎日を自分らしく楽しく暮らしている子もいます!

そうは言っても、やっぱり次男につきっきりで過ごしているとパワーを持っていかれて疲労困憊💦発達障害児子育てはいかに頼れる相談先を複数持ち、精神的にも物理的にも離れる時間を確保して親の精神衛生を健康に保つことがカギとなると思っています。

それではまた!


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