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夜逃げ 人の情けに触れる(モラトリアム期間5)

開店前日に店の看板が届いた

「PORTA ROSSA」イタリア語で意味は赤い扉、お客様の生き血を吸うのだろうか。偽高級ブランド品の店にはお似合いの名前だ。

大量のケバケバしい服やドレス、バッグなどが届く。陳列やレイアウトは私の自由で良いと言われたがこれはこれで困ったのだ。受験勉強漬けだった私に空間を演出するデザイン力などあるはずもなく、結果的に統一性のない片付けが下手な人の家のような店になった。

激安の殿堂ドンキホーテだ。

これがなんと在庫が足りなくなるほどに売れに売れたのだ。要因としてはテナント側で新規オープンのチラシ効果があったのと、都内中心部から離れた繁華街の地域性もマッチした。失礼だがご来店頂くお客様にも上品さの欠片も無い。

しかし失敗も沢山した。現金のレジ打ちしか出来ないのだ。店を運営する一般的な常識が一切ない。クレカの決済方法、プレゼント用の包装、領収書を求められた場合の収入印紙が必要なこと等々、何も知識がなかった。しかしそれを責められることもなく若さで許された。そして知らないことを正直に伝えると園児の頃周囲の大人が私を助けた光景が蘇るぐらいに、お客様に一般常識をお客様から教わる日々が続く。面白い店だと常連になってくれたオバ様たち。人情がこの街にもあった。

その暖かさに感謝する気持ち以上に、偽物を売っている罪悪感が私を蝕んで行く。これは想定していたのだが思った以上にその胸の痛みも日を追うごとに何も感じなくなった。麻痺してるといって差し支えはない。売ってる私自身が偽物を偽物と思わなくなっているのだ。きっと父もこうやって闇堕ちしたのだろう。

転々としていた夜逃げ先のウイークリーマンションのグレードも上がっていった。父も意気揚々とイタリアへコピー品を月に2回ほど買い付けに行く。そんな日々が2ヶ月ほど続いた。

再建の目処が立つと弟の学校をどうするのかということに両親も目が行くようになる。辛い話だが、大阪の祖父母の家から偽名で小学校に通う運びになった。公立の学校側にそんな配慮があることに驚いた。DVから逃れるシェルターみたいなものなのだろうか。

泣きながら祖父母に連れられて行く弟が「捨てないで」と言った声は綴っている今でも私の耳から離れない。

次回 ブラックな労働環境と私の収入

※当時の会社と店はもう存在はしていません。

メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。