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ユーザー系SIerに居た何か(過去形)/Battery-Percussion Play…

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ユーザー系SIerに居た何か(過去形)/Battery-Percussion Player/スネアドラムが自分のレゾンデートル http://twitter.com/snare_micchan

マガジン

  • 経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまで

    経験13年、ブランク20年。9歳から始めた打楽器を続けて止めて再開するまでのお話

最近の記事

マーチングスネアとコンサートスネアの違いをまとめてみた

この動画を見て、「マーチングスネア」と「コンサートスネア」の違いについてまとめてみようと思いました。 ・・・と思っていろいろ書いてたら12,000文字を超えてしまったのでゆっくりお読みください。なんだこの目次の長さ・・・。 本題の前に経歴の紹介筆者のマーチングスネアの経歴については過去記事見てください。 コンサートスネア、所謂「吹奏楽スネア」については、主な本番演奏曲を紹介します。 ・ダッタン人の踊り(ボロディン) ・祝典序曲(ショスタコーヴィチ) ・オセロ(A.リード

    • 吹奏楽の合同演奏会に出たら創価学会に勧誘された昔話

      最近、新宿歌舞伎町に東急歌舞伎町タワーなる施設が出来ましたが、 4月15日に行われたオープニングイベントでルネバンこと創価ルネサンスバンガードが呼ばれた…までは良いものの、イベントの記念演奏で創価学会のオリジナルソングが4曲も披露されるという事案が発生し、ちょっとした炎上となってます。 リプ欄と引用RTの温度差が… 華やかなオープニングイベントを見に行ったはずが学会ソングを聞かされた一般の方はお気の毒でした。 この建物を建てた東急繋がりで、川崎フロンターレの本拠地サッカ

      • ぼくのかんがえたJリーグ強化プラン

        ただの場末の1ファンの思い付きです。 問題提起:いまのJリーグは地域密着できていない「地域密着」を掲げて1993年にスタートしたJリーグ。 それまでの日本のプロスポーツにはなかった概念を謳ってスタートしたことで、開幕当初は鹿島アントラーズ等を中心に「新しいプロスポーツの形」として持て囃されていました。 しかし、それから約30年。 いまのJリーグは「地域密着」出来ているでしょうか。 一部の地方クラブでは出来ているでしょう。ヴァンフォーレ甲府は2000年代の成功例の1つと

        • 認定スクラムマスター(CSM)取りました

          2021年4月17-18日に認定スクラムマスター(CSM)の研修を受講し、認定取得しました。 1.認定取得の動機一応、前職で一時期(2016-2017年頃)アジャイル型のプロジェクトに参画させてもらっていたこともあり、ある程度アジャイルとは何ぞやというのは知っていました。ただ近年の動向はほぼ把握してませんでした。 で、私と同じ時期に(2021年3月)今の会社に入社した同僚がアジャイル型のプロジェクトに参画して、会議などで出てくる用語が分かんない、これどうすればいいの?とい

        マーチングスネアとコンサートスネアの違いをまとめてみた

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        • 経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまで
          9本

        記事

          マーチングティンパニ?

          クラシックパーカッションの花形であるティンパニ。 クラシックの世界では打楽器パートのトップが担う楽器とされ、プロの世界では「首席ティンパニ奏者」という肩書がありますし、アマオケの世界では、正規の打楽器団員はティンパニ担当1人だけで、他の打楽器パートは必要に応じてエキストラを招くという運営をしている団体が多いです。 実際私も大学時代に越谷市の市民オケまでエキストラに行きましたが、正規の打楽器団員は1人だけでした。キレイな方でした(←それ前も言った) ティンパニは、マーチング

          マーチングティンパニ?

          転職することになりました(12年ぶり4回目)

          突然ですがこんなことになりました。 1.なぜ転職することにしたのかいろんな複合要素があるのですが、社会人生活20周年(※院卒なので社会人になったのは2000年度)を迎えて、今の会社で最後まで勤めるか、そうでない選択肢を取るかについて1年前くらいから考えるようになり、「そうでない選択肢」を取ることにしました。 でもいきなりぶっちゃけますが、実は4年前(2016年あたり)も転職活動してました。この時は高望みしすぎていたこともあり年収2割減のところしか内定が取れないという「惨敗

          転職することになりました(12年ぶり4回目)

          米国Drum CorpsのDrumLineの女性比率

          昨今ダイバーシティだなんだと言われてますが、アメリカのDrum Corps(ドラムコー)の世界は、先進国の諸文化の中で最もダイバーシティが「ない」領域なんじゃないかと思ってます。思ってるだけで他の何かと比較したわけじゃないですが。 ドラムコーは元々がアメリカの軍楽隊文化ということもあって、長く女子禁制で行われてました。その後ソングリーダーパートを中心に女性が入るようになり、近年は楽器側でも女性が入るようになりましたが、それでもDCIの古豪Madison Scoutsは201

          米国Drum CorpsのDrumLineの女性比率

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その8 - ReStart -

          その7はこちら。2018秋以降の動向が見えてきたら締めくくろうと思っていたらこんなにずれこんでしまいました。言い訳ですハイ。 さて、学生も打楽器も卒業して社会人になる・・・かと思ったら就職超氷河期に巻き込まれ、大学院卒業後の4月1日時点で無職と言う状況に陥り、なんとか4月のうちに働き口を見つけて社会人になったのは良いものの、1年で過労で体を壊し、その半年後にIT業界に転身するというなかなか厳しい時期を過ごしてました。 1.ほとんど何もしなかった20年そんな状況だったことも

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その8 - ReStart -

          Appendix-2. 吹奏楽連盟側のマーチング

          マガジン本編の第8話はもうちょっと待ってください。 ・・・と時間稼ぎします。 マガジン第1話で、マーチングの大会は大きく分けて「日本マーチングバンド協会」(M協)主催の大会と、吹奏楽連盟(吹連)主催の「マーチングコンテスト」の2種類あると書きました。 専ら私はM協側の人で、中高時代は吹連側の大会の存在を知らずに育ち、大学進学後に吹連側の大会の存在を知ったのですが、ここでは吹奏楽連盟側の大会について、M協側の大会との差異を中心に記してみます。 ・・・とは言っても、私はこれ

          Appendix-2. 吹奏楽連盟側のマーチング

          Appendix.昔のマーチング・コースタイル曲集

          その7からその8に行く前に、昔やってたマーチング、「コースタイル」(Corps-Style)の曲をいくつか紹介しておきたいと思います。 コースタイルの曲は、まず1曲の長さが2~3分とかなり短いというのが特徴の1つ。次に、昔流行した曲をコースタイル向けにアレンジされたものが多いです。純粋なオリジナル曲は少なかった印象です。 1.DURANGO(デュランゴ)私が「スネアドラムやりたい」と思うきっかけになった曲です。小学校の時にバスドラムでやったのですが、当時デモテープを聞きな

          Appendix.昔のマーチング・コースタイル曲集

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その7 - 1st Career Finished. -

          その6はこちら。 このnoteで触れている「sutwind」は、「東京理科大学Ⅰ部体育局吹奏楽部」のことです。今は神楽坂のほうにもインカレ式吹奏楽部があるのですが、私の在学中はまだなかったです。在学中、神楽坂メンバーを増やそうと同期の神楽坂メンバーとちょくちょく動いてましたが、距離の壁は大きく2つ下の世代でようやく数名連れてくるのが精いっぱいでした。 1.左手タンバリンさて、大学2年になると、経験者が一気に3名も入ってきたため、私の負荷は1年次に比べると格段に軽くなりまし

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その7 - 1st Career Finished. -

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その6 - Keyboard challenge -

          その5はこちら。 記事のタイトル、マガジンタイトルの文字数制限に合わせて短くしました。中年オッサンであることはあまり重要じゃないしね。知らんけど。 今回は理科大吹奏楽部(sutwind)時代の前半のお話です。 1.初めての鍵盤楽器吹奏楽部は毎週火・木・土の週3回練習があったのですが、自宅や神楽坂から移動時間がかかるのと、交通費がかさむので、私は土曜日は必須出席、平日は「行けたら行く」というスタンスにさせてもらっていました。 最初の本番は8月の千葉県吹奏楽コンクール・・・

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その6 - Keyboard challenge -

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その5 - Change My Career -

          その4はこちら。 前回は割と決死の告白だったつもりですが、反響は一連の記事の中で最も薄かったですww。アンサイクロペディアというネタサイトに「魂を込めて書いた記事はまずスルー」という身も蓋もない記事があるのですが、まさにそれを食らいましたと。 それはさておき。今回から見出しを付けてみます。 1.横浜から来た宇宙人1994年の4月某日。その日は大学の部活動・サークル紹介があり、いろんなサークルや部がある中、小さく「吹奏楽部」という文字があるのに気づき、吹奏楽部の紹介エリア

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その5 - Change My Career -

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その4- I'm Battered... -

          その3はこちら。 今回は、高校最後の1年間の話。 最初に断っておきますが、この回はネガティブな話が中心です。書こうか迷ったのですが、この時期について書かないと、大学以降の話に繋がっていかないので、極力誰も悲しませないよう、気を付けて書きます。 高2の全国大会が終わった後、高3の夏にオランダのケルクラーデというところで4年に一度行われる「世界音楽コンクール」(Wereld Muziek Concours in Kerkrade:WMC)に出ることになり、それに向けた猛特訓

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その4- I'm Battered... -

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その3- Getting Glory -

          その2はこちら。 説明が遅れましたが、私の打楽器経験の大半はマーチングパーカッションです。ですので、吹奏楽・管弦楽と言ったシンフォニック系の方にとっては「良く分からない専門用語」が結構出てくると思います。 とりあえず、以下を憶えていただければよいかと思います。 ①マルチタム(テナードラム):タムを複数括り付けてミニチュア版ティンパニのようにした楽器。近年は6個つけるのが主流。見た目の派手さは一番だが、体への負担も一番。今は軽量化が進んだが、昔は20kgを超えていた時期も

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その3- Getting Glory -

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その2 - Play Snare-Drum! -

          その1はこちら。 まず、前回はブランク期間を間違えて計算してました。18年じゃねーだろと。もう加齢で衰えて四則演算が出来なくなったのかな?と思ったのですが、中学時代の数学のテストで途中計算までは完ぺきだったものの最後に「3+3=7」とやってしまい満点を逃したという伝説をやっているので、衰えじゃなくて基本能力ですね。はい。 さて、中学は中高一貫型のマーチングバンド強豪校に進学することになり、そこで6年間、正確には5年と9か月マーチングバンド部員として活動することになりました

          経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その2 - Play Snare-Drum! -