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今さらですが、『舟を編む』をお勧めします。

あれは2013年のこと。『舟を編む』という、国語の辞書を作る編集部を舞台にした映画が公開されました。2011年に本屋大賞を受賞した、三浦しをんさんによる小説が映画化されたものです。
その頃、僕は出版社を早期退職して数年経っていたけれど、その映画を見た何人かの人から、
「あの映画に出てくるニシオカって、西岡さんがモデルなんですか?」
と聞かれました。

どんな役なのか気になって、映画館があまり好きではない僕が無理して見に行ったところ、おいおい。オダギリジョーがオレの役をやってるよ、オダギリジョーがオレの名前で呼ばれてるよ、キモチいいじゃん。
などと言いつつ、もちろん僕はモデルじゃありません。原作の三浦しをんさんにも映画のスタッフにも、お目にかかったことはありません。けっこうチャランポラン(に見えるだけです)な編集者の役であり、僕も編集部と販売部や広告部など、業務系の部署とを繋ぐ仕事が多かったので、そう思われたのかもしれない。そしてオダギリジョーの役名は西岡正志。僕と一文字しか違わないんですよね。

役の話とは関係なく、言葉を正確に理解し、使い分ける意味や、文字や書体の美しさを再認識させてくれる映画でした。何より辞書なんて、どのように編集するのか全く知らなかったし。

雑誌の編集者って、少し誤解されていませんか?

という映画のことはすっかり忘れていたこの春、久しぶりに「西岡さんって、あのドラマのニシオカさん?」と聞かれました。今は毎週日曜日、NHKのBSで、ドラマとして放映されているとのこと。
さっそくオンデマンドで二話分だけ見ました。映画では後半から女性の編集部員が加わるけれど、テレビドラマでは彼女が主役。だから映画の後半から話は始まります。ちなみに"ニシオカ役"は向井理さんが演じています。

正直に言って、二話まで見た限りでは、それほどデキのいいドラマだとは思いませんでした。何より台詞の間合いが忙しない。多くの役者さんがオーバーアクション気味。これは映画とテレビの違いなのでしょう。しかし回を追うごとに、この評価など小さいことで、とても尊いメッセージを携えたドラマであることに気づきます。その話は後述。先に文句から言っておきましょう。

雑誌の編集部を舞台にしたテレビドラマをたまに見るけれど、どれも実態からはかけ離れていてキモチ悪い。これも同様、というのが最初の印象でした。
だいたい雑誌の編集部では、みんなあんなにいい服を着ていません。仕事と言えばスタジオで重いもの運んだり、荷物を出したり片付けたり、どちらかというとチカラ仕事が多いくらいです。撮影後は編集部に戻ってから写真は選ぶし、レイアウトの打ち合わせもするし、赤入れもするし、入稿もします。「汚れても構わない服装で来てください」と言いたいくらいの、毎日が文化祭の前の日のような仕事です。

さらに、出版社で四半世紀以上も過ごす間、「編集長、この色校ですけど…」なんて会話は聞いたことがありません。苗字に「さん付け」が普通だし、肩書きで呼んだら「バカにしてるのか!」と、逆に怒られてしまうはずです。
今のところ、実態に一番近かったテレビドラマは『重版出来』だったかな。雑誌の編集部の雰囲気や、編集部と販売部の関係などが細かく描かれていて、けっこう懐かしく見ていました。

辞書を作るという、壮大にして壮絶な仕事。

というような違和感を感じつつも、編集部総出で文字と格闘する現場の雰囲気が懐かしく、三話、四話と進むうちに、辞書を作るという仕事が、雑誌を作るのとは比べものにならないほど壮大なものであることに気づかされます。
「あなたのモヤモヤした思いが言葉にならない限り、あなたの思いは日の目を見ないまま消えてしまう」
「すべての言葉は、誰かの思いがあって初めて生まれてくる。だからこそ的確な言葉を選び出さなくては、言葉に対して失礼である」
「言葉を潤沢に、的確に使う」
「とは言え言葉の使われ方は常に変化するもの。変化を受け入れながらも、新たな使われ方が正しいかどうかは、数年後にも使われているかどうかで見極める」

なるほど。
僕も文章を扱う仕事をしている以上、上記のようなことは常に考えている。自分で原稿を書くとき、あるいはライターさんの原稿に赤入れをするとき。
しかし、この場合はイチから作り上げる辞書です。25万語におよぶ言葉の語釈と用例を、正確に定義しなくてはいけない。さらにその辞書の中からたった一語抜けていても、一字の間違いがあっても、その辞書は完全に信用を失う。だから校正は四校、五校と繰り返され、もしも何かの間違いがあったら、また全員でイチからやり直し。

僕の手元にある岩波書店『広辞苑』の第4版(1991年・刊)。インターネットが出てくる直前の刊行なので、まだ掲載されていない。
それが第5版(1998年・刊)では、このように書き加えられていた。逆に、消えて行く言葉もあるので、ものすご〜くヒマな時に見比べてみようかと思う。

小さな変更であればデジタルデータを書き換えるだけでいいんじゃないか? と思いたいところだけど、辞書を作り上げるまでの十数年の間に(そんなにかかるんだ…)使われ方も変化する。結局、全部の項目を見直して、何度も何度も膨大なページ数の校正を繰り返すことになる。

ヒマな時に、ふと辞書を開く習慣を身につけたい。

などなど、壮絶な仕事ぶりはドラマだからこその誇張があるかもしれない。しかしこの物語には、「辞書は知りたい語がある時にだけ開くのではなく、何となく開いたときに知らない語と出会うもの」という裏のメッセージがあったことに気づく。

なるほど、それか。劇中ではセレンディピティ(偶然の出会い)という言葉で表現されていたけれど、これはまさに僕がネットで本を買わないのと同じ理由。
ネットで買えば、確実に目的の本を手にすることができる。しかし、それ以外の本と出会う機会はない。逆に、本屋さんに行っても欲しかった本が買えないことがある。しかし、そのまま本屋さんをうろついているうちに、知らなかった著者の、知らなかった本のタイトルが気に入ったり、表紙が気に入ったり。それによって出会った本が、長い間の愛読書になったことは一度や二度ではない。

そして、辞書に載っている膨大な言葉たちにも同じことが言えるというわけです。ふと目に留まった知らなかった言葉や用例は、知らなかった世界への入り口になる。辞書はそのように、あらゆる世界への入り口となる。だからこそ、ふと手に取りやすいサイズでなくてはならない。できるだけ軽くなくてはならない。ページをめくりやすい紙質でなくてはならない。
新入編集部員の池田エライザさんは、そんな言葉たちに対して、
「見つけてもらえてよかったね」
と言う。そして編集長の野田洋次郎(RADWIMPSの野田さん。こんなにいい役者でもあったんだ)さんは、
「それでも言葉は逃げて行きます。常に変化し続けています」と返す。

僕はたびたび若手のライターさんに対して、「もっとほかの言い方はない?」と言うことがある。そうやって語彙を広げて行くうちに、その人独特の表現力が広がると思うからだけど、辞書にもそういう役割があるとは気づかなかったな。
自称編集者のくせに、僕はあまり辞書に触れたことがない。深く反省しました。と言うよりも、これまでとても、もったいないことをしていました。

4月21日が最終回です。

ドラマが最終回を迎える今になって、こんな長文で紹介しても無駄だろう。と思われることでしょう。僕もそう思います。しかし再放送もあることでしょう。オンデマンドをご覧になれる方は、2025年の1月31日まで一気見できるようです。映画の方は、今のところAmazon primeで見ることができます。
そして何より、原作を読んでみなくてはいけない。本が出てから10年以上経っているので、映画もテレビも、原作に無い部分が多く書き加えられているようです。言葉という生き物をテーマにしている以上、このような追加はやむを得ないことと思われます。
ということで、話は無駄に長くなりましたが、あのニシオカという人物は僕とはまったく関係ありません。どうか安心してご覧ください。


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