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『私たちは消された展』はエンタメか?アートか?

みなさんこんにちは、縛師のたかせ秦之助です。

先日、『私たちは消された展2023』(以下、消された展)にお邪魔させていただきまして。

こんなツイートをしたところ、「変化の兆しとは何ぞや?」的なご質問を数名の方からいただきましたもので、ふんわりと残しておこうかなーと思った次第です。

いきなり余談ですが、同展に出展された石島道康さんのnoteも合わせてお読みいただきますと、尚味わい深いのではないかと思います。

何気に常連なたかせです

消された展にお邪魔したのは4回目だったりします。

今年で5回目ということなので、なんと4/5の参加率…!

って、それはもうめちゃくちゃ消された展のファンやないかい!という感じに見えますが、申し訳ありませんが、そうでもありません。

第1回のときは、当時、著しく活動が制限されていた菱川みひろさんに久しぶりに会える…!ということで行きまして。

第2回のときは、たかせ自身の状況がわるすぎて行けず。

第3回のときは、久しぶりにみひろさんに会いに。

第4回のときは、みひろさんの応援をしに。

第5回(今回)は、気づけばお世話になっている方々がずらりと出展している状況になってきたので、そんな皆様の応援をしに行った感じでありまして。

そんなこんなで、消された展への興味というよりは、お世話になっている方々への応援のつもりで訪れていた次第です。

逆説的にいうなら、これだけ訪れていながら、消された展のファンにはなっていないとは如何に??という話が主題でございます。

消された展はエンタメか?アートか?

結論を申し上げると、どっちなのかよくわからないから、展示そのものに興味が湧かない、という感じです。

展示のタイトルからすると、エンタメみが強そうですが、そのわりには演出が全然エンタメしていない。

もしたかせがこの展示をエンタメとしてプロデュースするなら、毎回、必ずひとりは全国的に話題になった人を招待します。

ならばならば、消された展はアートなのか?というと、それにしては展示内容の文脈が浅い。

そのあたり、先に紹介させていただいた石島道康さんの記事が芯を食っていると思われます。

エンタメもしていなければ、アートもしていない。

かといってソレ以外の何かと言うにも、何だかよくわからない。

強いていう言うなら、文化祭…?みたいなノリで拝見しておりました。(文化祭を否定しているわけではないよ…!)

どこに変化の兆しを感じたのか?

そんなこんなで冒頭の話に戻って参りますが、今回の展示のどこに、たかせは変化の兆しを感じたのかということですが。

それがまさに石島道康さんの指摘にあり、その指摘を受けた琥珀翠さんの展示にありまして。

そのことに言及された琥珀翠さんのTweetがあったので紹介したかったのですが、削除されていて見れませんでしたw

要は、この展示は「消された」という事実を揶揄するものなのか?、「消された」という現象を考察するものなのか?というところで。

現代に至る文脈を紐解き、現象を考察し、表現に落とし込んだ瞬間から現代アートは始まると思っていまして、その入り口に立たれたように見受けられました。

つまり、消された展はアートへと舵を切ったのだと(主催の方の真意は存じませんが)。

そうなってくると、見る側の心構えも変わるもので、来年はそのつもりで臨みたいなーと思った次第です(ただの客として)。

えんいー。

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