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いつもと違う誕生日

昨日(ホワイトデー)は私の誕生日。
毎年そんなに何か感慨深くなる事もなく…
でも家族から「おめでとう」と言ってもらえると
(覚えてくれていて)「ありがとう♡」と嬉しくなる。

自分が親になると
自分の誕生日に特別視しなくなっていく。
ただ年齢経過を意識するのみでしかない。

自分自身、誕生日に元々特別視していないので
「おめでとう」と言われたいわけでもないし、
ケーキやプレゼントが無くても気にならない。

だけど昨日、息子達におめでとうと言われて気づく。
この子達におめでとうと言ってもらえるのは
母が私を産んでくれたから。

そして私におめでとうと言ってくれる人がいる。
これ当たり前じゃないよね。

息子達も中学・大学生となると人に言わされて
いるのではないとわかるから。

だから思う。生きてるうちに母に感謝しておきたい。
しかし、そういう心の感情を話すような間柄ではない。
⁡ストレートに「産んでくれてありがとう」
というのはとても恥ずかしい…
でもまぁ戸惑っている時間より
とにかく電話(携帯)をしてみようとなった。

朝、電話に出た母から第一声。
「あら今日は姉ちゃん(私)のお誕生日だわね。
おめでとう!」と。
思い出してみると自分の誕生日に自ら電話した
事はなかったかもしれない。
私は「おぉ。覚えてたのね。ありがとう。
でさ、私の誕生日っていうのはお母さんが
私を産んでくれた日なわけじゃん。
だからその時の事を聞いてみたくなったのよ」
と切り返し、
幼い頃になんとなくの話は聞いていたけど
もう一度改めて聞いてみた。

(母は私が初産)
難産で陣痛から46時間経ち帝王切開に
切り替わったみたいだけど無事、
五体満足で生まれて安心したそう。
しかし自然分娩で産めなかった事での
後遺症がずっと気になっていたらしい。
心配していた6ヶ月検診では体には異常がなく
すこぶる元気な子でまたまた安心。

ところが幼稚園に入ると
私の発達が少し遅いと感じていたようで…
私自身も幼少期を振り返ると
幼稚園という集団生活が始まってから
皆んなと同じようにできない事が多く
登園拒否をしていたのを思い出した。

〜ここからは初耳。〜

度々、園長先生がお迎えに来てくれていたらしい。
(担任の先生は覚えてるけど)

そして母は園長先生から
「子供はゆっくりでも必ず成長はするんです。
大丈夫ですよ」と言われたそう。
その言葉でとても心から安心したのを覚えてると
教えてくれた。

母:「親も子を通して一緒に成長してたわね。」

私:「正に私も今そう感じているもん。
小さい頃の子育てよりも今の方がそう感じるのよね」

私達は子供を産む事で何かを学ぶ為に
生まれてきたのかもね。って深い話になった所で
♪実家の家電がかかってきた音♪が聞こえてきた。

「じゃまたね!」とそそくさと終わらせる母。
「私もこれから仕事だからまたね」と電話を切る。
このカラッとさっぱり次に切り替えて
終わらせられるのは私達親子らしい。

やはり照れくさくてなかなか言えなかった自分。

感謝の言葉は伝えられずじまいだったけれど
お互いの過去を振り返って
こんな深い話ができる日が来るとは。
私なりに母との距離を少し縮められたなと
初めて感慨深くなった45歳の誕生日の朝であった。









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