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きまじめなOLが休職して、オーストラリアに行くまで~始まりともやもやと、小さな一歩まで~


こんにちは、ぽんです。
久しぶりにnoteを開き、文章を書いております。
実は1か月ほど前に、休職とオーストラリアへの6か月間の語学留学が決まりました…!!正直、自分でもびっくりしています。。

一度の人生、そして若い内に大きなチャレンジをしてみたいというポジティブな思いで決断しましたが、不安やもやもやすることも多いです。
自分の気持ちや思いを整理するため、同じような状況でもやもやしている方への情報提供になればと思います!

映画が大好きだった幼少期

始まりは子どものころの記憶にさかのぼります。
小学生のころから母親の影響でよく映画を観ていました。「カッコーの巣の上で」「ライフイズビューティフル」などを自宅でビデオやTV放送で、母親が観ている後ろで一緒に鑑賞していました。

小学生になると自分で映画雑誌を買い始め、映画館にもよく足を運びました。ハリー・ポッターやロード・オブ・ザ・リング、マトリックスにもドハマりして、映画の世界に没頭したものです。現実逃避だったのかも分からないですが、物語の世界に入り込みやすかったですし、もし自分が冒険出来たら・・・なんていう妄想も大好きでした!
週末おばあちゃんの家に遊びに行って、外食をした帰りに時間合わせでたまたま映画館で観た「ダークナイト」は衝撃だったなあ。バッドマン作品を観たこともなかったので、あの名作を大迫力で観れたことは今でも感謝しています。
そんなこんなで物心ついたときには海外の文化や生活にとても興味がありました。強い憧れという方が近いかもしれないです。国際結婚するんだ!なんてこともよく言ってましたね。

母親への承認欲求と努力

家庭ではアウトドア一家で楽しい思い出も多いですが、厳しい母親でもあったので、勉強や家事の手伝いについて怒られることも多かったです。怒られない為にはどうしたら良いか?褒められるにはどうしたら良いか?を常に考えていました。
そのクセがそのころから根付いていて、大人になった今でも周囲に対して認めてもらいたいと思いすぎてしまう気持ちをよく感じます。

そのため子供のころはテスト勉強は誰よりも努力しました!睡眠時間を削って教科書を丸暗記したこともありました。
中学校3年生のテスト成績が学年2位となれたり、大学は浪人をしましたが、特待生として奨学金をもらいながら通うことが出来ました!その原動力はやはり親に褒めてもらいたい、周囲にすごいと思われたい..という気持ちでした。

留学はしなかった大学生時代


大学は外国語学部へ入学し、国際交流サークルに入り、アジア系の留学生と接する機会がありました。
大学2~3年生ごろから短期や長期留学に行く同級生も多く、私も説明会などは受けていたのですが、費用面を考えると親に相談ができず最初から自分の選択肢ではない、と思って諦めていました。
とはいえ英語は勉強したいし、海外の方とコミュニケーション取れるようになったらかっこよいし、楽しいのではないかと漠然とした思いではありましたが、日本で出来る限り一生懸命勉強しようと思いました。
普段の英語勉強はもちろん、仲良くなった留学生と帰り道は英語縛りで会話をしたり、TOEICを受けてみたり。
あとは職業として教師に興味があったので、教職課程をとっており、もし資格を活用するのであれば中高の英語教師も良いなとも考えていましたね。

でも英語力だけであれば留学から戻ってきた同級生の方が、TOIEC800点を超えたり様々な体験をしてきたり、正直羨ましいな・・とは思っていました。

社会人になって、籍も入れて

その後普通に就活をし、一般企業で採用職として働き始めました。進路として教師を考えていたこともあり、<学生と接する仕事>という点でよいのでは、と思ったからです。
あとシンプルに企業の採用担当という看板のカッコよさにも惹かれました。なんかバリバリのキャリアウーマンみたいで・・(笑)予想通り、両親は「すごいじゃん!」と褒めてくれました。

現在社会人となって6,7年目となり、転職も経験して2社目で働いています。もちろん英語を使う機会はなく、採用や面談、研修などをしています。正直経験を重ねても仕事に慣れた気がしないのと、元々人見知りな心配性な性格もあってか、広い人間関係の中で仕事をしていくことは苦手意識も
未だにあります。

1年前には長年お付き合いしていた方と籍も入れました。結婚式はまだできていないですが、それなりに順調な私生活なのかなと。でもどこかで思い切ったことをしたい、子供が生まれる前に自分の好きなことにまたどっぷり浸かってみたいという気持ちが、ずっと身体の奥の方に感じていました。

そして小さな一歩を踏み出してみた

今年明け、小学校からの同級生からワーキングホリデーに行きたくて、会社を辞めようと思っているという話を聞きました。
友達ながらにすごい決断!だと感じて、とても応援したい気持ちが沸いてきました。喜びと同時に自分もチャレンジしてみたい、と思い始めました。でも同級生の話を聞いてから数か月、行きたいけど、会社も家庭もあって、今この状況でいけるとは思っていなかったです。

その後もいろいろ話を聞きながら、自分でも少し調べながら、ワーキングホリデービザが31歳まで有効ということで、私の場合は今年の夏が期限であると分かりました。そのときには期限まであと約1か月後。
そう分かったときに、行くか行かないかは別としてビザ申請だけしてみようと初めて身体が具体的に動きました。
そして結果的には期限内にビザが下り、その間いろいろワーホリ体験記などを読む中で、自分がやりたいこと、やらなかったら絶対後悔することを模索していました。

人生を振り返ったときにまぎれもなく、幼いころの自分が強く憧れていたこと。大人になった自分がやれなくて、後悔していること。もしそれを大切にできたら、自分の生き方を大切にできる人間になるんじゃないか。自分が母親になったときに、子どものやりたいことを応援できる人になれるのではないか。自分で動ける若いうちのチャレンジとしては最後になるんじゃないかと思いました。
非難されたり、行けるのかどうなるかは分からないけど、旦那さんと職場にまずは相談してみようと思ったのです。

まとめ

今回は私が今年年末からオーストラリアに行くこととなった経緯を、幼少期のころから学生時代を振り返ってまとめてみました。
始める前はハードルが高いけど、書き始めるとあれも、これも、と止まらなくなりますね!

次回は会社や旦那さんへの相談してから、具体的に休職が決まるまでを書き綴っていこうと考えています💡

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