迷うと迷わないの違い

ここ最近、仕事について悩んでいる。

外は最高な気温を記録して、こんなに快晴だというのに、わたしの元気は一体どこにいってしまったのか…。

なんでもかんでも検索し、答えを見つけに行ってしまう現代。
それはあまりにやり過ぎるのは好きではないし、自分で考える、というのがモットーでもある。悩みを分解していけば納得する最適解が出てくるという論理的解決法だってあるし、いつだって悩みはシンプルに解決できると思う。(悩んでる時は苦しいことも多いけど)

ただ、お昼休憩には『仕事 迷う』と無意識に近い感覚でGoogle検索に頼っていた。わかってはいたが、よくある自己啓発の類の記事が検索ヒットする。

20代の頃は、それが万能薬だった。あつ森で言うと『おくすり』みたいなもので(アイテムの雑草とはちの巣で作った薬)、島に生えている木を揺すって出てきた蜂に刺された時に飲むと、目の腫れが一瞬で消えて、パッパラーみたいなポーズを取れるやつ。だけど、飽きるほどに見てきたことと、結局は自分で選択し行動するか・しないか?ということもわかっているため、いまや特効薬的な効果はあまりない。

だけど、何とかしたい。迷わない技術がほしい。本を読んだら出来る気になったような一時的な感覚ではなく、1ヶ月先、半年、数年後も役立つ方法が知りたい。そう思っていたら、こんな言葉が目に入ってきた。

『嬉しいをだいじにするひとは、迷う。楽しいをだいじにするひとは、迷わない。』

嬉しいをだいじにする人は、感謝=見返りを求めるから、他人のことが気になって、さんざん悩んだり迷ったりして疲れちゃう。
でも、楽しいをだいじにする人は、自分の気持ちこそがモチベーションだから、周りの感情に影響されず、心身ともに健康を保つことができる。自分自身が楽しいと思うことは、共感するひとをハッピーにする。

物凄く、なるほど・・と、頷いてしまった。

どちらかに区分するとすれば、明らかに自分は前者の嬉しいをだいじにする派だと思う。これに関連して、仕事ができる/できないを区別するのはあまり好まないけれど、それも一理あるのだろう。だけど、自分だって本当は、晴れ晴れとした気持ちで楽しくやりたい。というか、どっちもだいじにしたい。さらに言えば、どっち派と分けることもしないで、自然に嬉しいも楽しいもだいじにできる人になりたい。

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