裕福さとは何か、またそれに必要なこととは?
世の中の人は、盲目的に”裕福さ”を求めて日々活動をしているように思う。
また、大体の場合において、"裕福さ"="給料の高さ"であると短絡的にとらえ、それを渇望し、それによって他者比較を行っているように感じる。
しっかり勉強をして、良い大学に入り、良い会社に就職することは、”裕福さ=給料の高さ”を得るための行動であり、そこに何ら疑問を持たずに、それが絶対的な正しさであるとして、行動や判断が行われている気がする。
ただ、人間がほとんどの時間を費やして求める”裕福さ”をあいまいな設定で盲目的に追いかけてよいのか、という気持ち悪さが自分の中であり、一度整理してみたくなった。
”裕福さ”の解像度を上げ、それを手に入れる為に、自分の日々の活動とどう向き合うか、考えてみようと思う。
”裕福さ”をどう定義するか
”裕福さ”とは何なのだろうか?貯金が多いことか?年収が高いことか?はたまた貴族の生まれであることか?
僕なりの定義としては、
『望む活動』に対して『実行できるリソース』が十分である状態
かなと思う。
『望む活動』とは、例えば
美味しいものを食べたい。海外に行きたい。大きいお墓を作りたい。
などである。
『実行できるリソース』とは、『望む活動』のために必要で自由に使える
お金、時間、仲間(人手)、情報、モノ
などである。
色んなところに行きたい人にとって、常にいろんなところに行ける時間やお金、手段を持っていることは裕福だし、
自分のデカいお墓(古墳的な…)を作りたい人にとって、それを作れるだけの人間を動かせることは裕福なのだろう。
自然の中で生きたい人にとっては、田舎で自給自足で暮らせることこそが裕福である場合もあるだろう。
時代とともに変わる”裕福さ”
この”裕福さ”は人によって様々である前提ではあるが、世の中の状況によって大きく共通化されるものはあると思う。
ほんとに最近の近代社会までは、衣食住の充実さ=裕福さだったのだろうと思う、
着るものに困らず、食べるものに困らず、住み心地の良い場所に住む、そのために人々が活動しており、それらが満たされる状態を渇望していたのだと思う。
誰しもがヒートテックを着て、安うまのご飯を食べて、あったかい部屋で寝て、いつでも医者に診てもらえるこの現代の環境は、歴史的にみると最も裕福で、天下統一した織田信長より今の僕たちの方が裕福なのかもと思ったりもする。
これからの”裕福さ”とは?
人類全員が共通化して持っている最低限の欲求の衣食住や安心して生きられる環境を手に入れた現代人は、何に裕福さを感じるのだろうか?
よく言われることではあるが、物質的に満たされた世の中では、精神的に満たされることが重要なのだろう。
精神的に満たされる『望む活動』は人それぞれではあると思うが、24時間365日ある中で『望む活動』に対して『十分なリソース』がある人って稀なんだろうと思う。
簡単に言うとやはり、「やりたいことだけやってる人」が結局現代では最も裕福なんだろうか。
では、今の時代において、精神的に満たされる『望む活動』とは何なのだろうか?
ここ最近、若い人の望む活動が『消費』から『創作』に変化しているという話をちらほら聞く。
つい最近までは、お金をかけて他の人にはできないような『消費』をすることが目標であり、望む行動だった。
それは、高級なレストランにいったり、ブランドのカバンを持ったり、いい車や時計を持ち、タワマンに住むことだったりする。
しかし、これらは今の若者を惹きつけるものではないらしい。安くて品質が良いものが手に入るようになったというのもあると思うが、動画や写真SNSなどで体験が一気にシェアされ、どんどん『消費』自体がコモディティ化されてるんじゃないかと思ったりする。
そこで、精神的に満たされる活動として流行りだしているのが『創作』である。
それは、動画や文章を作って世間に公開したり、自分のブランドを作って商品を販売することだったりする。
『消費』がコモディティ化し、情報があふれる現代で、他人ではなく自分だからこそできることだったり、自分だけが創れる価値にこそ精神的に満たされる何かを感じる人が多いのだろう。
では、『望む活動』の変遷に対し、その活動を支える『十分なリソース』はどう考えるべきだろうか。
『消費』が望む活動のすべてであれば分かりやすいだろう。”お金”と”時間”がすべてな気がする。
24時間365日のいくつかの"時間"を”仕事”に費やすことで、”お金”というあらゆる『消費』に共通で使えるリソースに変換し、残りの”時間”で好きな『消費』を実行するのである。
では、『創作』における『十分なリソース』とは何なのだろうか?
それは、『創作』に必要な環境(仲間)であり、知識やスキルであり、必要な資金であり、費やせる時間だったりするのだろう。
これを体現してるのは芸人という職業だったりするのではないだろうか。常に自分のネタを創作し・発表する場があり、日常生活のすべてが”芸”の肥やしになるという。さらに仲間同士のネットワークで衣食住を賄っていたりする。
決して金銭的に裕福なイメージはないが、『望む活動』に対して『十分なリソース』がある状態という意味においては、とても裕福なんじゃないだろうか。
ただ、これは極論だし、実際衣食住に困っておらず、作りたいネタに365日使えている人も中々いないのだろう。。
自分ごとで考えると、望む『消費』も全然あるし、『創作』こそ精神的に満たされるというのも理解できる。すべての活動を欲深く追いかけながら、それぞれの活動が相乗効果を持ってアラインされていくと裕福さを実感していけるのだろう。
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