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外から見る日本と日本人~日本の中から見る世界と日本の外から見る世界(6)日本人であることを忘れたかった時期

(写真)ロンドン中央駅・1998年9月

旅行中のある時期、自分が日本人であることを極力忘れたい心境であることがありました。

現地の人と同じ物を食べて現地の生活文化を極力まねて現地人のようになって溶け込みたい、と願っていた面もあり、外国人として扱われるにしても、欧米人旅行者と同じように接してもらいたい、と思っていたところもあります。

一般に、欧米人バックパッカーというのは、見た目がスマートで、長髪髭面でも、いい加減な手洗い洗濯のTシャツコットンパンツにサンダル履きでも、ナチュラルな清潔感があります。

そんな人達と同化したいと言うか、同じ旅行者であることは確かなので、同じように思ってもらいたい、との気持ちは大きかったです。

日本人である前に、自由人で居たい、というか。

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   ↑インド・リシケシュ(1997年12月)

ところが、海外へ出ると、日本に居る時よりも、自分が日本人である、ということを強く意識させられてしまいます。

宿へ泊まるのにも、両替するにも、時には交通機関を利用するにもパスポートを見せなくてはならないし、回りの現地の人達は「日本人」として接して来て、日本のことを聞かれるのは良いとして、法外な価格を請求してきたり、英語が話せないと思われて無視されたり、変な日本語で話し掛けられたり、ということが毎日のようにあります。

国・地域によって、欧米人旅行者も日本人旅行者も同じ「外国人旅行者」として同じように扱ってもらえる場合もありましたが、欧米人との扱いの差を感じることも多かったです。

欧米人に比べて何か金銭的・物質的に損をした、とかいうことはなく、むしろ、イスラム圏などでは欧米人はバッシングを受けるが日本人は歓迎されるなど、良いことも多いですが、当たり前ですが、欧米人とは違うアジア人として見られる、その違いは大きかった。

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                                 ↑ローマにて宿の窓から・1998年8月

日本の中に居ると、日本と言うのは先進国の仲間で、日米同盟を結んでいて、西側諸国で、とかぼんやりと感じていますが、外へ出ると、日本人はアジア人で、欧米人ではない、という当たり前かつ厳然たる事実に直面させられます。

日本人でなかったら韓国人や中国人やタイ人、ベトナム人、などに間違えられることはたまにあるのですが、当たり前ですがアメリカ人やイギリス人やドイツ人に間違えられるようなことは絶対にない。

どうひっくり返っても欧米人にはなれない、と分かっているのに、その壁を乗り越えてみたい、と思っているところがあって、英語での会話をすすんでするようにしたり、日本人の集まる所を避けたり、という時期がありました。

ただ、世界を見渡せば欧米世界に住む日本人や日系人はたくさん居るのですが。

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         ↑早朝到着のハンブルク・1998年9月

どう見てもアジア人、と思える見た目の人が、英語ペラペラで、カナダやオーストリア国籍だったり。そんな人にもたくさん会いました。

そんなアジア系欧米人旅行者の多くはリュックに自分の住む国、オーストラリアやカナダなどの国旗を縫い付けていたりします。

韓国や台湾、香港の旅行者も自国旗を縫い付けている人が多かった。日本人によく間違えられて困るのだとか。分からない日本語で話し掛けられたりするのが迷惑なのだとか。

長い旅行中で何度か、ニイハオとかアニョハセヨと言われたことはあるが、ほとんどは最初から日本人だと思われ、日本人としての扱いをされてきた日本人旅行者としては、ニイハオとかアニョハセヨとか言われた方が刺激的で面白く、また嬉しくさえあったのですが。

なぜ嬉しいのかと問われれば、日本人であることをやめたかったから、あるいは日本人であることを休みたかったからではないか、と思っています。

翻って見ると、日本人旅行者がリュックに日本の国旗を縫い付けているのは見たことがない。日の丸は旧日本軍を連想させてしまうところもある、という面もあるでしょうが、僕と同じように、日本人であることから離れたい、と感じている日本人旅行者もそれなりに居るのではないか、と思います。

日本人であることに少し誇りのようなものを感じられたのは、日本語の文が漢字とカタカナとひらがなの組み合わせであることに欧米人や他のアジア人から深く感心された時のこと。

考えてみれば、欧米人はアルファベットのみ、中国も漢字のみ、韓国も少し漢字は使うがほぼハングルのみ、ということで、こんな文字文化は世界的に珍しい。そこを感心されると、なぜか嬉しさが湧いてきました。

経済成長を遂げたことを褒められても、真面目でよく働く美徳を言われても、トヨタだホンダだと言われても、決して嬉しくなかったのですが。

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   ↑中国新彊ウィグル自治区・カシュガル(1997年10月)


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