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#76 韓非子【第四冊】

“韓非子【第四冊】”を読了。
四冊目をようやく読み終えた。
今まで読んできた中国の古典の中で、老子と並んで韓非子の内容が切れ味が良くて面白かったな〜。

徹底して、背景・事例を取り上げながらバシバシと人を信用しすぎることに対して警鐘を鳴らして、法を活用しながら臣を統率しながら国家を統治することに集中しなさい、と強く訴えている内容。
学びは非常にある中で、特に印象に残ったのは下記の3点。

  • そもそも法令を定めるのはそれによって私ごとをやめさせるためである。法令がよく実施されれば、私ごとの振る舞いはなくなる。私ごとをするのは法を乱すものである。

  • 賢明な君主の国の治め方は、季節の仕事を適時に行わせて財物を蓄え、税の取り立てを検討して民の貧富を平均にし、爵位や俸禄を手厚くして賢才有能の士を全て集め、刑罰を厳しくして悪事を禁止するようにして、民衆は努力によって富が得られ、仕事によって高い位が得られ、罪過によって罰を受け、功績によって賞を受けて、君の恩恵による賞与を期待したりはしないようにさせる。

  • 民を治めるには決まった常法はなく、ただ実際に治まる治め方が法になるのである。法が時代とともに移っていくと世の中はよく治まり、治め方がその時世にふさわしければ功績が上がる。

非常に面白かった!
以下、学びメモ。

ーーーーー
・★申不害は術を主張し、公孫鞅は法を強調する。法も術もどちらの一つも欠くことはできず、みな天下統一の帝王となるための大事な者である。★
→術は、進化の能力に応じて官職を与え、臣下の言葉通りにその実績を追求し、生殺与奪の権柄を握って群臣の能力を試すことである。この術は君主が握っているものである。
→法は、役所でははっきりと示された法令と、民心に厳しく刻み込まれた刑罰で、賞は法を守る者に与えられ、罰は条例を犯す者に下されることである。この法は臣下が模範とすべきものである。
・悪事を禁止する方法としては、最も善いのは人の心について未然に禁止すること、その次は人の言葉について禁止すること、さらにその下は人の行為について禁止することである。
→★実は君主の地位を引き上げて国を危うくするのは、決まって仁義と智能による、ということを知らないのである。だから、道をわきまえた君主は仁義を遠ざけ智能を捨てて、万事を法に従って行う。★
・★臣下には五種の悪人がいるが、君主は知らないでいると言われている。★:
①派手に金をばら撒き物を贈って名声を勝ち取る者
②盛んに表彰したり賞与を与えたりして衆人の人気を集める者
③党派固めに努力して知者を求め士人を優遇して野望を遂げる者
④税役の負担を免除したり犯罪者の罪を許してやったりして威厳を立てる者
⑤せいぜい民衆の毀誉を尊重して、奇怪な言論や変わった服装や奇抜な主張で民衆の耳目をくらます者
・★そもそも法令を定めるのはそれによって私ごとをやめさせるためである。法令がよく実施されれば、私ごとの振る舞いはなくなる。私ごとをするのは法を乱すものである。★
・「一人の悪人の罪を重くして、それによって国中の悪を防止する」と言われる。これこそ国を治める方法である。思い罰を受けるのは盗賊であって、それによって恐れ慄くのは良民である。国の治まることを望む者は、刑罰を重くすることに何の疑問も持たないであろう。さらにまた、賞を手厚くするというのは、ただ当人の功績を賞するだけではない。その上に国中の人々を励ますのである。一人の功績に報いて、それによって国中の人々を励ますのである。国の治まることを望む者は、賞を厚くすることに何の疑問も持たないであろう。
→★ところで、政治をよく知らない者はみなこう言う「刑罰を重くすると民を傷つける。刑罰を軽くしても悪事は防止できるのに、どうして重くする必要があるのか。」これは政治をよく考えていない言葉である。そもそも刑が重いからと言って悪事を止める者は、刑が軽いと必ずしも悪事をやめない者だが、刑が軽くても悪事を止める者は重い時は必ず止める。そこで、お上で重い刑を備えると、それにつれて悪事はすっかり無くなってしまう。★
・★賢明な君主の国の治め方は、季節の仕事を適時に行わせて財物を蓄え、税の取り立てを検討して民の貧富を平均にし、爵位や俸禄を手厚くして賢才有能の士を全て集め、刑罰を厳しくして悪事を禁止するようにして、民衆は努力によって富が得られ、仕事によって高い位が得られ、罪過によって罰を受け、功績によって賞を受けて、君の恩恵による賞与を期待したりはしないようにさせる。★
→これが帝王の政治である。
・★次の八つの人は下々の民衆の間では勝手に誉め上げていても、君主にとっては大きな害である。★:
①昔馴染みだからといってこっそり勝手な便宜を図る者は、世間では「旧知は捨てない人」だと言われる。
②公の財貨を人にばら撒く人は、世間では「仁愛の人」だと言われる。
③俸禄を無視して我が一身を大切にする人は、世間では「君子の人」だと言われる。
④法を曲げて親戚のために無理を通す人は、世間では「徳行の人」だと言われる。
⑤官職を無視して私的な交際を重んずる人は、世間では「侠気の人」だと言われる。
⑥世間を離れて政治の外に立つ人は、世間では「気位の高い人」だと言われる。
⑦人とよく争っては命令に逆らう人は、世間では「剛気な人」だと言われる。
⑧恵みを施して大衆の人気を集める人は、世間では「民心を掴む人」だと言われる。
・★聖人は弊害のない言葉を求めたりしないで、変わることのない事業に勤めるのである。人がはかりの軽量に黙って従うのは、清廉な人格で利益を問題にしないからではなく、人がいくら望んでもその目盛りを変えられないからである。★
・君主が人を使う場合は、同意見にまとまった者は取り上げない。同じ意見の者には君主はその実績を追求する。人々がそれぞれに知恵や労力を振るうようにさせたなら、君主は神秘的になる。君主が神秘的になると下々はその能力を出し尽くして働く。下々がその能力を出し尽くして働くと、臣下も上の君につけいる事ができない。こうして君主としての道は完全になるのである。
・臣下が乱を起こすには二つの拠り所があり、国外と国内がある。
→★国外では君主の恐れるところ、国内では君主の寵愛するところである、君主の恐れる外国の要求はすぐ受け入れられ、君主の寵愛する者の言葉はそのまま従われる。それこそ乱臣が利用する拠り所である。★
・★八経(天下を治める者が注意すべき八つの原則)★:
①人情に従うこと。人情には好き嫌いがあるため、それを利用して賞罰を有効に用いる事ができる。賞罰を有効に用いる事ができると、禁令が確立して政治の道も完全になる。
②君主の道。君主はただ一人の知恵と力を使うより、国中の知恵と力を使ったほうが良い。上級の君主は人の知恵を出し尽くさせる。
③乱を起こすもの。臣下の利益と君主の利益とは違っていると弁える君主は王者になれるが、それを同じだと思っている君主は脅かされ、臣下と一緒に賞罰の大事を行う君主は殺される。
④道を立てること。色々な証拠を突き合わせ考える方法とは、あれこれと参照した上で臣下の功績を考え、あれこれと比べ合わせた上で臣下の過失を追求することである。実績をはっきりさせないと臣下はお上を侮り、追求を厳しくしないと臣下は馴れ合いで固まる。
⑤賞罰の権を広く及ぼすこと。賢明な君主は秘密を守ることを大切にする。そこで、君主が誰かを愛する心を顔に現すと、臣下が先に賞を与えて君主の恩徳は先取りされて、君主が誰かを怒る気持ちを顔に現すと、臣下が先に罰して君主の権威は分割される。だから、賢明な君主がものを言うと、それを塞ぎとめて外には漏らさず、秘密にして外には表さない。
⑥言葉を実績に突き合わせて調べること。臣下の進言を聞くのに、それを実績と突き合わせて調べるのでなければ、臣下の責任を追及することはできない。臣下の進言はその実用性を追求するのでなければ、邪説が君の心に食い込むことになる。
⑦法に従うこと。法が機能を失うのは君主が愚かだからである。君主が愚かで出鱈目であれば、官吏はわがまま勝手に振る舞う。徴税を勝手に増やして官吏が金持ち且つ権勢が重くなり、乱の起こるもとになる。賢明な君主のやり方では、職務に堪える者を採用し、官吏には優れた者を置き、功績のあった者には賞を与える。官吏の権勢は法律を執行するのに足りるだけにし、棒給は仕事を続けていくのに足りるだけにしたなら、私事は起こりようがない。
⑧賢明な君主のやり方では臣下は道義の実践によって名誉を得るようなことはできないし、自家の利益を図ってそれを功績とするようなこともできない。功績や名誉が成り立つのは、必ず官の法律に基づいている。
・★賢明な君主は民の労力を取り上げるが、その言論には従わない。民の実績は賞するが、その無用の行動は禁止する。そこで、民衆は全力を尽くしてお上に従うことになるのである。★
・★賢明な王者の政治のやり方は、商人・工人や遊び人などの民衆を押さえつけてその身分を低くし、民衆が農業を捨てて商工業に走らないようにしている。★
→ところが今では君主の側近への頼み事が通るから、官職や職位も金で買える。法を犯した財貨の取引が市場で行われるようになると、商人の数も増えてくる。収入は農業の倍もあり、身分も高くなって農耕や戦闘に従う者に勝ると言うことになれば、正直で真面目な人は少なくなって、商人ばかりが多くなるのである。
・聖人が民を治めるときは、根本の法制の立場からよく考えて、民の欲望のままにさせず、期するところはただ民の利益を図ることである。そのため、聖人が刑罰を下すのは、民が憎いからではなく、それが愛の根本だからである。刑罰が優位にあると民の暮らしは安静であるが、恩賞の方が多くなると悪事が起こる。
・そもそも民の本性は労働を嫌い、安楽を好む者である。
→★民を治めるには決まった常法はなく、ただ実際に治まる治め方が法になるのである。法が時代とともに移っていくと世の中はよく治まり、治め方がその時世にふさわしければ功績が上がる。★
→だから民が素朴であった時は、道義的な名誉で禁制してそれで治ったが、世間の知恵が進んだ今では、刑罰によって引き留めてこそ服従するのである。時代が移り変わっているのに法が変わっていないと国は乱れる。
・政治の方法として最も優れたことは、法術を頼りとして人物を頼りとしないことである。それゆえ、術をわきまえた国では、外からの名声などに気を遣わないでいて敵対するものがなく、国内は必ず治るが、それは法術に任せているからである。

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