見出し画像

#73 韓非子【第一冊】

"韓非子【第一冊】"を読了。
諸子百家を読み進めていきながら、ようやく本書を読む前提知識がなんとなく身についたタイミングが来たので韓非子をチョイス。
信賞必罰の徹底や君が臣にどのようなスタンスで向き合うべきなのかなどについて丁寧に解説している内容。

人の言動の背景をズバッとついた上で、人/感情を信用せずに法律/フレームを信用せよ、と強く説いている。
以前どこかで「人というあやふやな存在/感情に期待しすぎないことが重要」というフレーズを聞いたことがあったが、まさにその部分を喝破しているのが本書。
書き方がズバズバしていて、内容はもちろん、読み物としても面白かった!
ただ、そのような法律/フレームの設計方法について語らえれていないので、それが非常に興味がある。

学びは多かった中で、特に印象に残ったのは下記の3点。

  • 賢明な君主がその臣下を制御するための拠り所は、2つの柄に他ならない。それは刑と徳である。処罰で死罪にすることを刑といい、褒めて賞を与えることを徳という。

  • およそ政治が最もうまく行われているときは、下々はそれがわからないものである。

  • 聖人が国を治める場合には、元々人々がこちらのために働かないではおれないような方法を用いることで、人々がその愛情に基づいてこちらのために働くようなことを頼みとはしていない。

超良書!二冊目も楽しみ。

以下、学びメモ。
ーーーーーー
・★(解説)韓非は法華思想の大成者とされる。彼に先立つ前駆的な法思想を受け継いで、修正を加えながら総合して新しい体系を樹立したからである。彼が受け継いだ主な思想は、商鞅の「法」と申不害の「術」と慎到の「勢」であった。★
→法とは、韓非の定義によると、はっきりした成文として公布され、厳しい賞罰ともなって施行される経験的具体的な規定である。
→商鞅は秦を富強にしたが、臣下の悪事を見抜く術を持たない、これでは富強は臣下に奪われるため、臣下を制御して君主の地位を安定させるための術が必要と考えた。
→術を初めに説いたのは申不害であり、その術は「刑名の術」と言われる。刑は実際の在り方、その実際とそれについての名目・評判とを照合して、それによって臣下の裏表を突き止めるのである。評判だけが高い者、職分を超えて実績を上げる者は処罰される。君主は自分の意思を評判を群臣に見せてはならない。臣下がそれに迎合して君主の目をくらますからである。申不害の術は、君主の地位を守るために群臣を観察する方法であった。韓非はそれを利用しながら、法治体制の確率に役立てた。
→法と術を組み合わせた上で、その権威の根拠として勢の思想を提示する。それは君主の地位に伴う権勢であった。君主個人の能力(聖人賢知)に期待する儒家に対して、慎到は君主の地位に伴う権勢の重要性を訴えた。慎到の場合は道家的な自然の体勢としての性格が強かったが、韓非はそれを人為的に作り上げる権勢(=権力)としてで、法術主義の中心に据えた。君主は賞罰の大権とともに、この権勢を人に奪われてはならないとした。
・★賞を与えるぞと言いながら与えるべき時に与えず、罰を下すぞと言いながら下すべき時に下さず、賞と罰とが確かでないから、士人も民衆も命を投げ出さないのです。★
・愚かな者を説得するのが難しいため、これをわからずに説得を試みると、仁徳の賢者であっても暗愚な君主に殺されたり辱めを受けたりする。
・群臣が職分を守り、百官が一定の規則に従い、それを君主がそれぞれの能力に応じて使ってゆくのを習常(不変の道に従ったあり方)という。
→★明君が上にいて何もしないでいると、群臣は君主の心を計りかねて、下にいて恐れ慄くのである。明君のやり方は、知恵者たちにその思慮を出し尽くさせた上で、君としてそれを踏まえて物事を裁断するから、君として知恵に行き詰まることがない。★
・臣下が君主の耳目を閉ざしてしまうとその君は位を失うことになり、臣下が国の財政を握ってしまうと君主は恩徳を施すことができなくなり、臣下が勝手に命令を下すと君主は統制することができなくなり、臣下が私党を組めるようになると君主は自分の味方を失うことになる。
→★これら5つのことは、人の君たる者だけが単独で自由にすべきものであって、人臣が手にしてはいけないものである。★
・古代の聖王の法では「臣たるもの、刑を行って威厳を立てることがあってはならぬ、賞を行って利を施すことがあってはならぬ。王の心のままに従え。かってな愛情を抱くことがあってはならぬ。かってな憎しみを持つことがあってはならぬ。王の掟のままに従え」と言われてる。
・刑罰が厳重であれば、尊い身分の者も低い身分の者を侮ることがなく、法がはっきりしていれば、上に立つ者が尊厳で侵害されることがない。
・★賢明な君主がその臣下を制御するための拠り所は、2つの柄に他ならない。それは刑と徳である。処罰で死罪にすることを刑といい、褒めて賞を与えることを徳という。★
・それぞれの官職ごとに職分が守られ、進言したことがそのままピッタリ行われるということなら、群臣たちは私的な党派を組んで助け合うことができなくなる。
・★唯一の政道を実現していく方法は、名目を立てることが第一である。名目が正しく立つなら物ごとは安定するが、名目が間違っていると物ごとは動揺する。★
→だから、聖人は唯一の政道を守って静寂に沈み、名目としての臣下の言論がおのずから現れ、実績としての臣下の事業がおのずから安定するようにする。そして自分の才能を外に見せたりしないから、臣下は生地のままで正直である。
・★およそ政治が最もうまく行われているときは、下々はそれがわからないものである。★
→君主が臣下の言葉と実績とを突き合わせていて、その一致を求める形名参同を行っていれば、人民はその職務を忠実に行う。
・★人臣が君主に対して悪事を働く手段としては8つの方法がある★:
①同床(どうしょう)→君主と添い寝をする者を利用すること
②在傍(ざいぼう)→君主のお側近くにいる者を利用すること
③父兄→君主の叔父たちや兄妹筋を利用すること
④養殃(ようおう)→君主のわざわいを助長すること(君主が宮殿や庭園を壮麗に作ることを楽しみ、美女や犬馬を美しく飾り立てることを好んで行う)
⑤民萌(みんぽう)→民衆の機嫌取りをすること(人臣たちが公の財貨をばら撒いて人民たちを喜ばせ、主君と民衆の間を閉じてしまい、臣下が自分自身の望みを遂げること)
⑥流行→流れるような弁舌を利用すること(臣下が弁舌が雄弁家を用いて、飾り立てた言葉を使ったり、心配事で脅したりして主君をダメにすること)
⑦威強→威勢の力を利用すること(臣下が自分のために働く者は必ず利益があり、自分のために働かない者は必ず殺されると世間に知らせ、それによって群臣や万民を恐れさせて自分の私欲を遂げていくこと)
⑧四方→外国の力を利用すること
・★十過(君主として注意すべき十の過誤を述べたもの)★:
①小さな誠実を取り上げていると、大きな誠実を妨げること
②小さな利益に惹かれていると、大きな利益を損なうことになる
③行動が偏って、勝手きまま、外国の諸侯にも無礼なことをしているとやがて身を滅ぼす結果になる
④政務に耳を傾けないで音楽を聴くことを楽しんでいると、やがて身の行き詰まりになってしまう
⑤貪欲で捻くれて利益ばかりを求めてしまうと国を滅ぼして命を落とす本になる
⑥女の舞楽に溺れて国の政治を顧みないでいると、国を失う禍いとなる
⑦朝廷を離れて遠くに遊び、諌める人を無視していると我が身を危険に晒す道となる
⑧過失をおかしながら忠臣の言葉を聴き入れず、一人で自分の思った通りにしていると名声を失って人の笑い物になっていく始まりである
⑨内には自分の力をよく考えず、外は諸侯に頼っていると、国土を削り取られる心配がやってくる
➓国が小さいのに霊を守れず、諌める臣下の意見も用いないでいると世継ぎが続かない
・説くことの難しさは、説得しようとする相手の心を読み取って、こちらの説をそれに合わせることができるかというところにある。
・★君主に説く上で心がけるべきことは、説得しようとする相手が誇りとしていることを飾り立て、恥ずかしいと思っていることをもみ消してやるのを弁えることである。★
→相手に私的な強い欲望があれば、必ず公の正義に叶っているとしてその実行を勧めるのが良い。
→相手が心の中で卑下しながら、それをやめられないという場合には、説く者はそのまま美点を飾り立て、それをやめたところで別に大したことでもないとすることだ。
→相手が心の中で憧れながら、実際にはそれを行えないでいる場合には、説く者はそのためにその欠点を挙げてダメなことを明らかにし、それを行わないのを褒めあげることだ。
→相手が事を起こして自分の知能を自慢したいと思っている場合には、そのために別の類似した事を取り上げて十分な下地を作ってやり、こちらの説を採らせながら、知らぬふりをして相手の知識を助けてやることだ。
・君主に説く者、君主のその逆鱗に触れないでおれるなら、ほぼ説得に成功するだろう。
・そもそも法術をわきまえた者が臣下になると、法則にかなった確かな言葉を進言して、上は主君の定めた法を明らかにし、下は邪悪な臣下を責め立てて、それによって君主の地位を尊厳にして国家を安泰にするものである。
・★聖人が国を治める場合には、元々人々がこちらのために働かないではおれないような方法を用いることで、人々がその愛情に基づいてこちらのために働くようなことを頼みとはしていない。★
→人々が愛情に基づいてこちらのために働くのを頼みとするのは危険である。こちらのために働かずにはおれない方法をこちらで備えてそれを頼みとするのが安全である。そもそも君臣の間には肉親のような親しみがあるわけではない。
・聖人が国家に法を行う場合は、必ず世俗の動向には逆らって根本の道理に従うのである。そのことがわかる者は正義(法術)に賛同して世俗に反対するが、それがわからない者は正義に背いて世俗に同調する。世界にはそれがわかる者は少ない、だから正義が非難されるのだ。
・★君と臣の関係というものは、親子のような親愛があるわけではなく、それに群臣どもの悪口はただ一人の愛妾の口とは比べ物にならない。賢者や聖人が讒言によって刑死したのも、少しも不思議ではない。★
・★君主には三つの守りごとがある★:
①臣下の意見を人に漏らさぬこと
②臣下の利害は君主自身が握ること
③生殺与奪権を守ること
・人君としての災害は、人を信用することから起こる。人を信用すると、事を委任するようになってその人物に制約されるようになる。
・君主は、たとえ臣下が智能を備えていても法に背いて勝手をすることはできないようにし、たとえ立派な行動があっても実際の功績を超えてその苦労を賞することはできないようにし、たとえ誠実であったとしても法を捨て去って禁制を解き放つことはできないようにする
→★このようにするのを、法を明らかにすること、というのである。★
・およそ人々が古いことを変更するこのを躊躇うことは、民衆の慣れた事を改めるのを遠慮するからであるが、そもそも古い事を変更しないというのは、乱れた情況でもそのままに受け継ぐことであるし、民衆の心に合わせるというのは、邪悪な行動でも自由に放任することである。
・君主としての道は、必ず公私の別をはっきりさせ、公の法制を明らかにして私的な温情を去る事である。そもそも、命令を出せば必ず行われ、禁令を下せば必ず止められるというのが君主側の公義である。
→それに対して、必ず私情を働かせ、友だち仲間だけで信義を守り、君主の賞によって励ますこともできなければ、罰によって引き止めることもできないというのが臣下側の私義である。
→★私義が行われると国は乱れ、公義が行われると国は治まる。★

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?