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#68 風土

"風土"を読了。
まちづくり関連の本を読み進めていく中で、まちのイメージを決めている地域や人々自身について思考を深めたいと思い、比較文化論の名著である本書をチョイス。
世界の各地域を「モンスーン地域」「沙漠地域」「牧場地域」の3類型に分類し、それぞれの環境を風土と定義した上で、各地域の人間性について筆者の独自解釈を語っている内容。
ところどころ”ほんとかな?”と思う箇所が見受けられたので、本書に書かれている全てを鵜呑みにはできないけど、こういう切り口で仮説を語ること自体が面白いな〜と感動。

特に印象に残ったのは下記の3点。

  • 砂漠的人間の世界支配は現代において尚生きている世界の宗教を通観すれば明瞭になるであろう。インドに生じたものを除いて、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などは全て砂漠的人間の所産である。砂漠的人間は他の多くの人間を教育した。

  • ギリシアのポリスが作られたということは、奴隷が作り出されて市民が食住の必需に対する労働から解放されたということである。そこで市民は労働から一定の距離を置いて「眺める」立場、「観る」立場に立つことができる。従って「観る」立場は活動停止の状態ではなく、観ることを競う立場である。ここにおいて、芸術的および知的の創造が活発化したのである。

  • しめやかな激情、戦闘的な恬淡(てんたん)である。これが日本の国民的性格である。


良書!
以下、学びメモ。

ーーーーー
・人間は単に一般的に「過去」を背負うのではなくして特殊な「風土的過去」を背負うのであり、一般形式的な歴史性の構造は特殊的な実質によって充実せられることになる。
→★人間の歴史的・風土的二重構造においては、歴史は風土的歴史であり、風土は歴史的風土である★
・インドはモンスーンの最も型通りに現れる土地であり、特にモンスーンによる雨季がインドの人間の受容性を活発ならしめている
→インドの人間の感情の横溢は、その受容的な態度から出ている。受容的な態度は同時に忍従的な態度である。生を恵む自然が、同時に、人間の対抗を圧倒しつくす巨大な威力をもって迫ってくる。持続的な暑熱そのものがすでに人間の対抗力を極限にまで必要とするのであるが、その暑熱が湿潤と結びついた時、人はもはや忍従する他ない。
→★モンスーンは人間に対抗を断念させるのだ。★
→かくて自然は人間の能動的な気力を、意志の緊張を萎縮し弛緩させるのである。インドの人間の感情の横溢は意志の統括力を伴わない。
・インドにおける部族的人間、すなわち村落共産体の表現である。それが砂漠における部族的な人間と明白に異なるところは、戦闘的・意力的ならざることである。
・かかるインド的人間はヒマラヤを超えてシナや日本に侵入したが、その侵入の仕方が戦闘的・征服的ではなくしてあくまでも受容的・忍従的であった。仏教を通してインド的人間はシナや日本を己に惹きつけたのである。それに反してインド自身が砂漠の侵入を受けた時には、その侵入は戦闘的・征服的であった。インド的人間は内に潜む砂漠的なるものを引きださるることなく、ただ外から砂漠に圧倒されて、一層受容的・忍従的になった。
・★モンスーン的=受容的・忍従的と定義した★
・乾燥の生活は「乾き」である。すなわち水を求むる生活である。外なる自然は死の脅威をもって人に迫るのみであり、ただ待つ者に水の恵みを与えるということはない。
→人と世界との関わりがあくまでも対抗的・戦闘的関係として存在する。また、自然との戦いにおいて人は団結するため、更に対抗的・戦闘的関係を強固なものとしていく。
・★砂漠的人間の世界支配は現代において尚生きている世界の宗教を通観すれば明瞭になるであろう。インドに生じたものを除いて、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などは全て砂漠的人間の所産である。砂漠的人間は他の多くの人間を教育した。★
・一方、エジプトの風土は乾燥と湿潤の二重性格を持っている。古代エジプトの人間は、砂漠への対抗とともにニル河への帰依をその構造の特性とする。従って、エジプトの人間は、外に対しては意志的・戦闘的であり得ても、その日常の生活においては静観的・感情的である。
・地中海の性格は「乾いた海」であることと連関する。もし地中海が太平洋の如き湿潤な海であり無数の生物を繁茂せしめ得たならば、沿岸地方の人々はあれほど動き回りはしなかっただろう。
・★夏の乾燥と冬の湿潤とは、雑草を駆逐して全土を牧場たらしめる。このことは農業労働の性格を規定せずにはいない。日本の農業労働の核心をなすものは雑草取りである。しかしヨーロッパにおいては、この戦いが不必要である。★
→土地は一度開墾されればいつまでも従順な土地として人間に従っている。隙を見て自ら荒廃地に転化するということがない。だから農業労働には自然との戦いという契機が欠けている。農業労働が容易であるということは、自然が人間に対して従順であるということに他ならない。
・ポリスが作られた時「ギリシアは始まった」と言われる。農牧の生活から武士の生活への転化がギリシアの開始なのである。そうしてそれを媒介したものは海への進出であった。海へ出るということは土地から離れること、従って農牧生活からの脱却である。人々はこの脱却によって自然の拘束から己を解放したのだ。
→★ギリシアのポリスが作られたということは、奴隷が作り出されて市民が食住の必需に対する労働から解放されたということである。そこで市民は労働から一定の距離を置いて「眺める」立場、「観る」立場に立つことができる。従って「観る」立場は活動停止の状態ではなく、観ることを競う立場である。ここにおいて、芸術的および知的の創造が活発化したのである。★
・★ギリシアで生まれた「合理性」はローマ人の最も大きい業績「法律」(=”生活の合理化”)を通じてヨーロッパの運命を支配するに至った。★
・時代の変遷とともに、ローマの中心が中西ヨーロッパに開けていくに従い、ヨーロッパ文化の中心もまた漸次中西ヨーロッパに移っていくことになる。文芸復興期以後に至れば、地中海沿岸はむしろ古蹟地に化してしまう。このように文化においても土地が移るという契機は顕著に存しているのである。
・西欧の陰鬱とは直接には日光が乏しいことにある。それは特に冬の半年において顕著に見られる。高緯度であるために昼間が非常に短いのが第一の原因である。
→★しかしこのような日光の乏しさはただそれだけに留まるものではない。ヨーロッパを北から南へ、日光の力の強まるに従って人間の気質は漸次興奮的・感激的になって行くのである。★
→ドイツ人の沈鬱は南ドイツではその度を減じる。フランス人は静かではあるがもはや沈鬱でhな愛。イタリア人になればむしろ騒々しいという言葉が当てはまるであろう。風土の陰鬱は直ちに人間の陰鬱なのである。
・西欧におけるほど深くキリスト教が根を下ろした地方は他には見られない。ここでは陰鬱から押し出されてくる深さと抽象とへの傾向が、まずキリストの信仰を通じて己を現し始めたのである。
・我々の国土とインドは極めて似ているが、しかしインドが北方は高山の屏風に遮られつつインド洋との間に極めて規則的な季節風を持つのと異なり、日本は蒙古シベリアの漠々たる大陸とそれよりもさらに一層漠々たる太平洋との間に介在して、極めて変化に富む季節風に揉まれているのである。
→★このような二重の現象において日本はモンスーン域中最も特殊な風土の形をとる。★
→四季折々の季節の変化が著しいように、日本の人間の受容性は調子の早い移り変わりを要求する。だからそれは大陸的な落ち着きを持たないとともに、甚だしく活発であり敏感である。そして、疲れやすく持久性を持たない。
→また、モンスーン的な忍従性もまた特殊な形態を取っている。単に熱帯的な、従って非戦闘的な諦めでもなければ、また単に寒帯的な、気の永い辛抱強さでもなく、諦めでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従である。日本の特殊な現象としての”ヤケ”(自暴自棄)はこの忍従性を明白に示している。
→★しめやかな激情、戦闘的な恬淡(てんたん)である。これが日本の国民的性格である。★
・東洋と西洋との土地としての最も顕著な違いは「湿気」である。モンスーンの影響を受けるインド、シナ、日本では暑熱の気候が雨季であって、あらゆる植物が水と日光とに恵まれて旺盛に発育する。雨量はだいたいヨーロッパの3~4倍であり、空気中の湿気も遥かに多い。
→これに対して、アラビア、エジプト等の近東は極度の乾燥地帯であり、植物にほとんど恵まれない状況である。
→そして、冬を雨季とするヨーロッパは、雨量が少ない上にその雨によっても空気中の湿気をさほど多量ならしめない。また、ヨーロッパの大気は単調な霧あるいは単調な晴天であり、人々の気分に細かい濃淡を与えるほどの変化には富んでいない。

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