見出し画像

体癖話まとめ(68)

体癖について、私ソシャフィアがTwitterでたまに「時間がなさすぎる!今日はツイートしなくていいかな~」と思いながらもなんだかんだつぶやいている【体癖話】をまとめたシリーズ、第68弾!

今回もツイートにコメントをつけてお送りいたします。

GW、いかがお過ごしでしょうか?
私はGWのお休みというものは、ここ20年くらいとっていないのです。

整体院はご高齢者のお客様も多く、お仕事を引退されている方もいらっしゃるので、「GWだからどこかに行こう」とはならないわけですね。
せいぜいお孫さんが来られるくらいで。

まぁGWに休みがとれないのは、サービス業の宿命というわけです。
あきらめています。

今年はソシャフィア体癖院もありますから、なおさらお休みできません。
「この時期でないと来られない」と遠方からおいでくださる方もいらっしゃるのです。
ありがたいm(__)m

と、実はめちゃくちゃ忙しい日々を送っているのです。
なんでそんなに忙しいのかというと…

体癖に関して、あるプロジェクトを進めているからです。

詳細はまだ言える段階ではないのですが、何名かの方からリクエストがあり、「これは世の中的に需要があるのかもしれないな」と予測し、やることにしたのです。

大きくスベるかもしれません。
時間も労力もお金も注ぎ込みますので、できるだけリスクは避けたいのですがね。

が、そこは八種。
リスクと戦うのです。
ギリギリでいつも生きていたいから、さぁ、ここを今飛び出して行こうぜ。(パクリ)

GW中もソシャフィア体癖院が営業中でなかなか飛びませませんので、ぜひとも会いにきていただければ(^^)/

5月18日の体癖オンラインセミナーも続々と集まってくださっています。
ぜひ(^^)/

というわけで、ゴールデンな(?)コメント付き【体癖話】をお楽しみください!

この話は何度もしてきたのですが、やはり「あの芸能人は何種だよね」という話がちらほら聞かれるので、何度でも釘を刺しておきます。

テレビの中の芸能人は”キャラ”です。
そういうキャラを演じて人に見てもらうことで、お金をもらっているのです。

ミュージシャンにしても同じ。
曲だけでなく歌詞も、売れるようにするためにレコード会社などから何百回も書き直すように指示されるのです。
ですので、「こういうことを言っているのだからこのミュージシャンは○種だ!」というのは、ない。

つまり、テレビの中にはリアルはないし、おそらくYouTubeの中にもリアルはないのです。
カメラを向けられれば誰だって演技しますし、普段の体の動かし方だってかなり変わります。

なので、芸能人のキャラを鵜呑みにしてはいけない。
三種っぽいおバカキャラが、実は七種っ気たっぷりで異様に闘争心が強いことだってある(芸能関係者談)。
非常に四種っぽい歌詞を歌っているミュージシャンが、実は一種っ気たっぷりでウケがよいように分析的に歌詞を書いている場合だってある。(大物バンドのサポートミュージシャン談)

だいたい、赤の他人に頼まれてもいないのに勝手に診断してレッテルを貼るっていうのは、失礼なのですよ。
内輪だけでワーワー盛り上がっている分にはいいのでしょうが、芸能人だって、人。
エゴサもするだろうし、「え、オレって四種なの?四種って何だろう?うわっ、全然違うのにそういうふうに見えているのか…」と凹むことだって、なくはないはず。

例えば自分が知らない友達同士のグループLINEなどで「○○(あなた)って○種だよね~」とか言われていたら、どう思いますか?
まぁ友達同士なのにそこに自分が呼ばれていない時点でお察しなのですが(笑)、「あの人は○種だよね~」というのは聞く人が聞けば、ただのレッテル貼りであり、レッテルを貼られることを悪口だと捉え、レッテル貼りを極端に嫌う人だっているのです。

体癖は学べば学ぶほど、実際の人間を見れば見るほど、ピッタリと当てはまっていないことに気づきます。
複合体癖もありますし、濃度もありますし、高潮と低潮もありますし、その人の歴史からくる人生の学びもあるのです。
体癖はレッテル貼りではないし、「あの人は○種だ」というのは、レッテル貼りだと思わせてしまうことと同じです。

「一人を丁寧に見ていくことだ(by晴哉先生)」なのです。
芸能人をどんなに丁寧に見ても、それは「作られた人物」(芸能関係者談)であって、リアルの世界にそんな人がいるわけではないのです。

この”型で遺伝する法則”は、何代か診ていくとかなり当てはまっていることも多いのです。
詳しくは『こどものたいへき、親の体癖』というnoteに書いたのですが、私の診る限りでは、約二割くらいの親子が、一種→一種と遺伝するのではなく、一種→二種のように、奇数から偶数、あるいは、偶数から奇数に遺伝していたのです。

そうなると、例えば三種の親は四種の気持ちが分からないでしょうし、五種の親は六種の子を「自分に全然似ていない」なんて思うでしょう。
親子にも相性があるとするなら、体癖が異なっていることによって起こっている部分も大いにあるのです。

現に私の両親は、私のことを面白いくらいに理解していない。
私が割と従順で、聞き分けがよく、主体性に溢れた人間だと思っているのです(笑)。

まぁ上に姉と兄がいて、やらかしているのを散々見てきたので、反面教師にしていただけなんですけどね~
大学進学のときに一人暮らしをさせてもらうのに引っ越しをする日に、布団をたたんで玄関に置いておいたのは私だけだったそうですから(笑)。

親の心、子知らず。
子の心、親知らず。
親子だからといって気持ちが通じ合えていると思ったら大間違いなのです。

日本には(たぶんアメリカにも)、「親子の絆・絶対説」がありますが、戦国時代なんて親子で殺し合いをしていたわけですからね。
江戸時代であっても、自分の子供が誰の子供か分からなかったくらいですし。
親子が仲良くすることは、人類の普遍の価値ではないのです。

それでも仲良くしたいなら、体癖の学びがオススメです。
私個人としては、親の気持ちが分からないということはあっても、「そういう体癖だもんな。しょうがないよな」と許せるようにはなったのです。

『こどものたいへき、親の体癖』は以下から♪


この記事を書いている日が、5月2日。
そう、HIDEの命日なのです。
なんだか運命的ですね(笑)。

私にXを語らせると、ハイパー長くなるので割愛しますが、本当に様々なキャラクターがいるバンドだな、と思うのです。
7者7様。
全員、体癖が一致していないように見えます。

バンドやグループというのは、異なった体癖の集まりなのですね。
昔のおにゃんこクラブみたいに全員三種っぽく見せたりもしますし、AKBのように五種っぽく見せたり、見せ方としての”○種的グループ”というのはありますが、中の人の体癖はだいたい異なっているように見えますよね。
その体癖キャラによって「自分は○○ちゃん(くん)推し」ということが起こるわけですね。
まぁ、事務所がそういうふうに売り出しているのでしょうけど。

ちなみに、”女性はグループ萌え、男性はソロ萌え”と言われていますね。
女性は大勢の人が集まっているグループそのものに萌えるけど、男性はそのグループの中の個人に萌えるのだそうです。

つまりは、AKBのようにグループとしてもまとまりがあり、なおかつ個人としても特徴的なグループの方が売れやすい、ということですね。

Xは初期はたいだい同じようなヴィジュアルをしていましたが、売れてからは見た目に統一感がなくなっていきましたね。
ちょうどその頃にはソロ活動も活発になっていきました。
一人一人が好き勝手やっていたのもあるかもしれませんが、戦略もあったのでしょう。

芸能関係者はその辺のことをよく分析しているでしょうから、「好きになっているようで、実は好きにならされている」ということも考えられるわけですね。

そんな穿った見方をしていたらアイドルもバンドも楽しめないですけどね(笑)。

五種はマルチタスクの達人。
晴哉先生は「ながら族」と著書の中でおっしゃっています。

時間がもったいないからでしょう。
効率よく時間を使うためには、マルチタスクが一番。

かと思いきや、最近の研究では「一つ一つに集中して完了させてから次のことをやった方が効率がよい説」が持ち上がってきました。
要は、九種的なやり方の方が効率がいい、ということですね。

九種は仕事が丁寧で(没頭できる仕事であれば)、キメが細かい。
対して五種は、あくまで私の経験ですが、雑味を感じるし中途半端であまり練られているとは言えないが、フィードバックするとより良いものを作ってくる。

「PDCAサイクルを回せ!」と五種はよく言いますが、九種はやっていることが完璧でないと気が済まず、中途半端なものを世に出すことができない=PDCAサイクルを回せないのです。

ですので、「マルチタスクとシングルタスク、どちらが効率的か?」「最初から完璧なものと改善していく方法と、どちらが良いか?」を考えるよりも、自分の体癖に合った方法をチョイスすればよいだけの話なのです。

上下型なら模範的なものがすでにある方法がよいし、三種は思いつきでやったことの方がよいし、四種は人のニーズに合わせたものがよいし、七種は雑でもなんでもとにかく早くやったものの方がよいわけです。
それが最も効率的で、その人らしい仕事と言えるでしょう。

ただ、それを評価する人がどういう体癖で、どう見るかは別の話ですが。

体癖はその人がよくする行動で追うよりも、その行動を起こす感受性に目を向けた方が、より正確に捉えることができます。
「葉は同じでも、根が違う」ということですね。

同じ”目立ちたがり屋”でも、一種的な目立ちたがり屋と、三種的な目立ちたがり屋と、五種的、六種的、七種的、八種的な目立ちたがり屋がいるわけです。
二種と四種と十種は、あまりそういう面が見られません。
集注体癖で、目立った方が生き生きとするのに。
九種は目立つことに興味がない人が多いですね。

いずれにしても、行動の裏にある意図が異なるのです。
意図とは「何を得るため/守るためにそれをするか?」ということで、人がするあらゆる行動には、何かしらの意図があるのですね。
それが意識的にそうする場合もあれば、無意識的にそうする場合もあります。

そしてそれらの意図と体癖の○種は、だいたい一致します。

一種なら尊敬されたくて目立とうとするし、
三種は”輝いている自分”を実感するために目立とうとするし、
五種、特に男性は「かっこいい!」と思われて女性を捕まえるために、あるいは利益のために目立とうとするし、
六種は無意識の承認欲求を満たすために目立とうとするし、
七種は力を誇示するために目立とうとするし、
八種も一目置かれてナメられないように目立とうとするのです。

行動で体癖を追うのは限界があります。
「自分は何かに集中していていつも電車を乗り過ごす。だから九種だ」とか言う人もいますが、集中して電車を乗り過ごすのは九種でなくてもします。
その没頭する感受性・意図に、体癖が宿っているのです。
五種だって利益ために仕事に没頭して、電車を乗り過ごすことくらいはあるのです。

GW空けは五月病の時期…頑張るための体癖note

自分を守るために(有料note)

自分が嫌いなのは、自分だけかも(有料note)

人生の目標を思い出そう(有料note)

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?