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日本は九種的??

先日、お体からの体癖診断で九種二種四種(高潮時)の診断をさせていただいた方から、ソシャフィア公式LINEであるご質問をいただきました。

ご本人様の許可をいただきましたので、以下LINEの画像をそのまま使わせていただきます。

要約すれば、「日本は九種的か?日本人は九種が多いか?ソシャフィアの見解を聞いてみたい」ということですね。

そこで私は「う〜ん」と考えた後、超長文の回答をお返しいたしました。
あまりにもお伝えすべきことが多かったのです。

以下、画像だと長いので返信した文章を絵文字を割愛してそのまま書き写します。

↓↓↓ここから↓↓↓

○○さん、こんばんは。

日本と九種に関してですね。
だいぶ長いですが、私なりに答えていきます。
2回に分けてお送りいたします。

まず、「日本は九種的な国」に関してですが、私にもちょっとよく分かりません。
というのも、日本のどの部分を切り取るかで、見え方も変わってくるかと思うのです。

確かに九種的な職人の力で技術立国になっていった歴史はありますが(現在はアメリカや中国などに完全に遅れをとっておりますが)、その部分だけを切り取っても他の部分が全く九種的とは言えないのではないか?と思うのです。

例えば、高校卒業後もずっと地元に残っているジモティーはほぼ完全に体育会系で七種的ですし、主婦の方々のご近所付き合いは四種的だったりもしますね。
教育はあらかじめ正解を用意された一種的な教育ですし、公務員の世界は昔と変わらず二種的だそうです。
ビジネスは儲け主義の会社も多く五種的で、九種的な質を求めるよりも、とにかく量が売れればいい、といった感じですよね。

そういった"部分"ではなく、日本という国"全体"にフォーカスして言うならば、何種的かは日本という国を見る人によって全く異なりますね。
アメリカ人や中国人や欧米人が見たら、日本人は九種的というよりは二種的な人々だという見方をするでしょう。
また、アメリカからの帰国子女に「日本人は二種っぽい」という言葉を聞いたこともあります。

私たち日本人はしばしばフランスを三種的な国だと捉えますが、実際は日本とは比べ物にならない学歴社会で一種的です。
しかも超差別主義の排他主義ですので、一種に加えて七種的な縄張り意識を持つ国でもあります。
人々は「流行っているのなら買わない」という行動をして、八種的な面も目立ちます。

つまりは、"現実とイメージは異なる"ということなのですね。
そして、それぞれの人にそれぞれの現実がある。
日本が九種的だという人は、ただ単にイメージで語っているだけなのではないか?と思うのです。

かく言う私も体癖を発信し出した頃は、日本人は欧米人よりも体も小さく、和式トイレで九種の格好をしていた歴史もあるし、職人さん達の力でのし上がってきた国なので(流通させたのは五種的な人ですが)九種的なのかな?とも思っていたのですが、現実を見れば様々な場面で一種~十種の特徴が大きく見られる色彩豊かな国だな、と今では認識しています。

「日本人には九種が多い」に関しては、どのような方法で、どのくらいの人数を集めて診断したのかを明らかにしなければ、完全にナンセンスな発信だと思います。
見た目や言動だけでは、ただの予測に過ぎないし、「日本人は」と断定するなら在日の方々は除かなければなりません。
ちなみに私は、客観性がなく主観的な方法では体癖は診断することはできない、と思ってソシャフィア体癖院をオープンしたんですよ〜

ちなみにのついでに、晴哉先生が作られた整体協会が40年以上前に行った調査では、日本人は捻れ型が多い、という結果が出ていると聞いたことがあります。
ただこれも晴哉先生が亡くなった後の調査で、統一された方法で診断されたのか不明なので、私は信じていないのですがね。

けれど、「日本人には九種が多い」よりも「捻れ型が多い」の方が個人的には納得がいきます。

だって、話をしていても話があちこち行く人ばかりではないし、衝動的な人も少ないし、同じことをずっと継続してやっている人も少ないし、話をしていてもガン見し続ける人も少ないし。
日本人に九種が多かったら、日本中の学校はパニックになりますし、会社だって回っていきません。

その一方で、人に会えば上下関係をつける人は多いし、人をイジって笑い者にする人は多いし、大人から子供までイジメの問題は後を絶たないし、軍事政権が900年くらい続いた国でもありますし、七種や八種的な部分の方が目立つような気がします。

それも私の見方で、そうじゃない人や部分も日本には多いと思うのですけどね。
様々な現象を詳細に見ていくのが九種の癖で、私も九種が入っていますがそれ以上に八種が圧倒的に濃く、そこはやはり八種的な見方をするのです。

むしろ「日本は九種的」とか「日本人には九種が多い」と言う人は、自分でも気づかぬうちに、現象を何でも記号化してタイプに当てはめようとする上下型の傾向が強いのかな?と個人的には思います。
現象よりも論を追っているからです。

どこの国の人は何種的、というのは、そこに住んでいる人にすら分からないはずです。
分かるというなら、それは単なる見方に過ぎず、誰にでも共有することのできる現実ではありません。
客観的に診断する方法も持っていないでしょうし、ランダムに2000人の人(統計学では2000人が結論づけるための最低ラインだそうです)を集めて検査できるくらい財力がある人は体癖界隈にはいないはずですからね。

そんなわけで、日本は九種的とは言えないし、九種が多いとも言えないと思います。
九種の○○さんが疑問に思うのも無理はないのです。

もし私から〇〇さんに助言すべきことがあるとするなら、ご自身の周りが何種的なのか?をよく観察してみたらいかがでしょう?
日本という大きな枠を見るより、身の回りの人達が作っている雰囲気が何種っぽいのかを把握していくことで、高潮時九種二種四種の体癖たるご自身の立ち回り方も分かってくるのではないかと思います。

私からの回答に関しては以上になります。
以下はお願いになります。

今回のここまでのLINEのやり取りをnoteなどで発信してもよろしいでしょうか?
最近時間がなく、腰を据えて書く機会がないのですが、〇〇さんからのご質問を受けて「このテーマは!」と思い、だいぶ気合いを入れて回答させていただきました。

皆様のために、ぜひ「いいよ!」と!

↑↑↑ここまで↑↑↑

…とまぁ、こんな感じでお返ししたわけです。
〇〇さんは快く受け入れてくださいました。

言葉というものは難しいもので、「AはBである」という発言を聞いたら、「それは事実である」と脳は自動的に受け取ってしまうのですね。
こちらの〇〇さんの場合は、「日本は九種的である」ことが事実であることを前提として、「どこが?どのように?」という九種的な疑問と、自分の見たものよりも人の話すことを信じる傾向が強い二種性が混じり、さらに問題を持ったらすぐに解消するように動く四種性も相まって、困って私にご質問くださった、と見ることができますね。

文章の最初に”私は”を付けて、さらに文章の最後に”と思う”を付けたとしたら、「私は日本は九種的であると思う」という意見になって、〇〇さんも混乱することがなかったと考えられるわけですが、それだと発信としてインパクトが薄い。
「あぁ、あなたはそんな意見を持っているのね」と思われてしまい、事実でないことが前提となるのです。

私も体癖に関してかなりの文章量を書いてきましたが、体癖について発信することは本当に難しい。
自分の体癖からは離れられないのですね。

時々「もっと客観的な視点からの体癖を発信して欲しい」と言われるのですが、そうおっしゃる方の多くは一種が混ざっているのです。
神の視座という、絶対的に客観的な視点があることを前提として、そういったことを言われるのですね。

三種は足首がゆるいとか、十種は背骨のS字湾曲が大きいとか、体のことならどこまでも客観的になれるのですが、言動やその奥にある感受性となると完全に客観的になることは、体癖を深めれば深めるほどできなくなってくるのです。
どうしても、自分の体癖フィルターがはたらいてしまう。

体癖各種への好き嫌いが入ってくる、というよりは、その体癖を持つ人へのストローク(=愛)の量も大きく関係してくるし、高潮と低潮の体の波もあり、さらには複合体癖もあるから、「この体癖は絶対にこういう発言・行動をする!」というような断定をすることが、八種九種の私の体癖だとなかなかできない。
例外ばかりが見えてしまうからなのですね。

その点、晴哉先生はご自身もおっしゃっているように「絵画から原色を抜き出すような」大変な努力をされて(ご本人は努力だとは思っていらっしゃらなかったでしょうが)、それぞれの体癖に向き合っていかれたのではないかと思うのです。

その努力の結晶を、まるで自分が見出だしたかのように断定してはいけない。
やはりそこは、現象を追って、そこから「こうなんじゃないか?」と仮説を立てて、何度も何度も何度も検証していく必要があると思うのです。
そしてその厳しい検証をクリアしてきた”事実として申し分ないもの”のみ「これはこうだ」と発信していくことが大切ではないでしょうか?

体癖という素晴らしい技術と向き合う時には、これからも可能な限りそうしていこうと思います。

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