見出し画像

コロナ禍の豪州生活[4]~パートナーから学んだ文化の違い

 ワーキングホリデーらしい生活を始めるのと同時に、交際していたメイと一緒に暮らすことにした。(3年・山口秀斗)

 タイで看護師をしていた彼女は、母国と諸外国との賃金の不平等さを感じ、仕事を辞めてオーストラリアに英語を学びに来た。彼女と語学学校で出会い、プライバシーのないシェアハウスから落ち着いて過ごせる家を探して同居を始めた。彼女は私と同じ時期に豪州にやって来て語学学校に通い、その後半年間、ビザも延長して一緒に生活した。ただの恋人ではなく、パートナーという言葉がふさわしい。(写真は、メルボルンの国立美術館にある日本語ブースで興味津々のメイ)

4回目・同居したメイ

 同じ部屋で誰かと生活することはシェアハウスで経験していたが、パートナーとの生活は互いに初めて。意見の食い違いやけんかを避けて通ることはできなかった。彼女は細かなことでもすぐに指摘する。料理をつくり、味の感想を聞く時、私はいつも緊張した。いつだったか、彼女が「明日から全部私がやるわ」とだけ言ったことがある。ジョークのつもりだったらしい。しかし、私には不平、不服にしか聞こえなかった。時間をかけてつくったことは認めてほしかったから気持ちはへこんだ。

 メイと生活を始めてから、私は思ったことをはっきりと伝えることが得意ではないことに気づいた。私ならば、どんな手料理もおいしいとほめるし、プレゼントをもらうとうれしいと言う。ネガティブなことを言うと、ネガティブな空気を作ってしまう気がする。これは日本社会で生まれ育ったせいだろうか。「人に迷惑をかけないように生きろ」といつも両親から諭されてきたからかもしれない。

 「どうしてへこむの。料理がうまくないって言われたらジョークで言い返したらいいだけじゃない」。さっきのジョークをまじめに受け止めた私に驚き、メイはこう言った。私は、考えすぎていた自分にあきれ、彼女の言葉を気にしないようにしだした。自分からも思ったことをそのまま口にするようになった。それでも相手の気持ちを考え、言葉を選ぶくせはなくならない。

 外国人と交際し、それまで当たり前だったことが実は当たり前ではなかったことに気付いた。メイと一緒だったことで、自分と外国人との違いをいつも考えるようになった。彼女とはオーストラリア最後の日まで一緒に生活し、2人は同じ日に母国へ飛行機で帰った。彼女は帰国後、再び看護師として働き始めた。でも、私も彼女も将来は海外で働いてみたいという気持ちがある。最近は、未来のことを電話で話す。私たちの関係は今も良好だ。(次回は5月5日掲載予定)