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社会的認知の歪み(1)フリーライダーとは

フリーライダーとは

フリーライダーという言葉があります。

フリーライダーとはタダ乗りする人のこと。つまり、無賃乗車のように、自分は負担を負わないのに、集団に紛れて利益を受けようとするズルい人。

6年前に障害福祉分野で働くようになってから、こういうタイプの人に異様に良く出会います。それまでの人生ではほとんど出会わなかったタイプ。

もしかするとフリーライダー気質を醸成しやすい環境が、障害福祉にあるかもしれません。うちの職場に居たフリーライダーはこうでした。

利用者様と私的に関わったり、仕事そっちのけで利用者様と一緒に遊んだり、仕事中にゲームしたり、グループホームの食材を持ち帰ったり…(もっとヤバいの有るけど自粛)もう大変。ほんと気の向くまま、気分のおもむくままのフリーダム。それが何人も…涙

封建主義思想

この方々は、社会に「内」と「外」を持っています。

立場や肩書をひどく気にして、日頃関わりがない人に異様に緊張するけど、身近な人には役目を忘れるほど緊張感が無くなる。そうして他人を「甘えられる他人」と「甘えられない他人」のように区別すると、職場は「内」と感じて、業務時間も家と同じ感覚になります。上司も同僚も顧客も「身内」。だから、仕事の役目を忘れて甘えるのです。

彼らはすきがあれば、すぐズルしたり甘えます。だけど、そんな自分を不誠実と思わないし、そもそも甘えている自分に気づいていません。

これは社会的認知が歪んでいるのが原因。

自分自身も社会を構成している一員であると認識せず、責任は”偉い人”や”上の人”にあると考え、自分自身の社会人としての責任感が未熟です。社会を上下関係で認知する思想は、封建主義でパターナリズム。社会をそう認知しています。

道徳発達の程度

自分は”下の人”と認知するから社会に対して甘えます。社会に甘え、社会を舐めて、職場も同僚も顧客も舐めてかかる。なんでも口に入れるモノ扱い。

だから誰かが忙しいのは気の毒だけど、自分が忙しいのは許せない。自分(または自分たち)が良ければイイから、組織の課題は他人事。そんな態度を繰り返して立場が危ぶまれると、臆面もなく集団にすがる。フリーライダーは、こういう自己中心的な振る舞いをします。

自己中心的な判断は、道徳発達段階に照らし合わせると”段階0”で、幼稚園就園前の4歳レベル。就園前の幼児は口にモノを入れて舐めるように、他人もモノ扱いして舐めるし、社会に甘えて自己中心的な行動をおこします。

でも本人たちも、それ以外の生き方を知らないだけかもしれません。

生きなおす「更生」

映画プリズンサークルは島根あさひ社会復帰促進センターを舞台に、受刑者に対する更生プログラムと、そのプログラムを受けた受刑者の変化を収めたドキュメンタリー映画です。受刑者は、その刑が相応しいほど凶悪な事件を起こしましたが、生育環境の中で”「世の中そういうものだ」という歪んだ社会認知を植え付けられた犠牲者”という側面もたしかにあります。

そう考えると、フリーライダーをはじめ、法に触れなくとも、カジュアルに反社会的な行動を取る人達を、単に「悪」として排除や処罰することは相応しい関わり方ではなく、”生きなおす”意味での真の「更生」の手立てがあるように思えるのです。大人向けの社会認知改善です。

どうあるべきか、日々、思案に暮れています。
思案鉄道は果てしなく続く。

<参考文献>

公益財団法人 日本教材文化研究財団 研究紀要 第39号、特集:習得・活用・探究型学力の育成と評価の理論(子供の認知発達に応じた道徳判断の育て方 ─小学校中高学年を中心に─ 井口 祥子 臨床心理士)

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