“逃げる”と“諦める”は違う

おはようございます。

しゅーとです。

今日は“諦める”“逃げる”この2つの言葉の違いを見ていきます。

こんなん聞いたことないですか??    「学校で全然うまいこといかへん、あたしほんまにどうしようもない人間やわ。」

あたしほんまにどうしようもない人間やわ

この場合、自分に“どうしようもない人間”というレッテルを貼ってしまっています。これが“諦める”、もっときちんと言うと“自分を諦める”という行為です。


でも、みなさんよく考えてみてください。

その子にとって“学校”というのが合わなかっただけで、自分にそんなレッテルを貼るのっておかしくないですか。

だって、その子には“その学校”は向いてないけど、“音楽を奏でる”ならすごく活躍するかもしれない。“他の学校”でうまいことやっていくかもしれない。

などなど、まだたくさんの可能性に満ちあふれているわけです。


中高生は、学校と家が1日のほとんどの時間なので、どうしてもその狭い殻に閉じ込められ、視野が狭くなってしまっている子が多いように思います。学校で馴染めないと、自分はダメだと思い、負のスパイラルに陥る子もいます。

そこで、「あ、学校は向いてない。だから、あたしが輝ける違うステージを探そう。」こう思えたらどうですか??また、自分でアクションを起こすことになるので、悩む・心を病む・自分を傷つけるということからは遠ざかるはずです。これが、“逃げる”です。

逃げてもいい。その代わり、絶対自分を諦めたらダメ。

結構子どもたちって“逃げる”がダメで、そんな自分をダメな人間だと思うってことをしがちです。

嫌だったら逃げていい。しんどかったら無理してする必要はない。そこのステージで生きるのが辛ければ、ステージを変えればいい。

“逃げる”というのは、単にステージを変えているだけです。

何にも悪いことじゃあないですよね。

僕は、そう思います。

小説家の朝井リョウさんの「世界地図の下書き」に出てきたフレーズを紹介します。児童養護施設に暮らす5人の子どもたちのお話です。


「大丈夫」               「私たちは、絶対にまた、私たちみたいな人に出会える。」             「いじめられたら逃げればいい。笑われたら、笑わない人を探しに行けばいい。うまくいかないって思ったら、その相手がほんとうの家族だとしても、離れればいい。そのとき誰かに、逃げたって笑われてもいいの。」

「逃げた先にも、同じだけの希望があるはずだもん。」

「その中でね、私たちみたいな人が、どこかで絶対に待ってる。これからどんな道を選ぶことになっても、その可能性は、ずっと変わらないの。どんな道を選んでも、それが逃げ道だって思われるような道でも、その先に延びる道の太さはこれまでと同じなの。同じだけの希望があるの。どんどん道が細くなっていったりしないの。」


そこで、うまくいかなかったからといって、どうか自分を諦めるようなことはしないでください。同じだけの希望が残っているのだから。絶対にあなたが輝ける場所はあるから。


それでは今日もいい1日をお過ごしください。


ではまた。

One love.