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6年の回顧と、これからは ant-in-giant。

はじめに

■ これはなに?
いわゆる退職ブログです。
2019年2月8日をもって会社員という社会的には安定していた地位を自ら取り払うことにしました。
何年か先の自分が自信を思い返すために書き残すのと、今の不退転の決意を表明するというのが、公開までする意図です。

■ I am ...
とあるITエンジニアです。
1975年生まれの現在43歳で、1999年の就職時からプログラミングを始めてから今年がちょうど20年目。5社を8年-1年-3年-1年-6年と渡って過ごして来ました。
タイトルの6年は、直近の会社にそれだけの長い年月居たということで、この間に長男も長女も小学校を卒業したなあ、と改めてしみじみと感じ入ります。
家族みんな、成長した。ほんとに。
とても、ありがたいことだと思います。


6年の回顧

段落を、2012/10 - 2015/12 (前半の約3年)と、2016/01 - 2019/01 (後半の約3年)とで分けます。

■ 前半の約3年(前のCTOが在籍していた期間)
それまでクライアントサーバーシステムあるいはサーバー側で稼働するミドルウェアの開発もしくはお問い合わせ対応までに留まっていた自分には、Webシステムの「全部やる」文化にこのタイミングで入れたのがとても幸運だったと思います。
事業的に難易度の高い・重要度の高い開発を、次から次へと任せてもらい、課題を乗り越えていくことに成功。代表的な思い出は

・外部へのWebAPIリクエストを「挟む」、アンケート回答完了ロジックのリファクタリング
・仮想環境基盤上の全仮想サーバー約300台のOSを停止してファームウェアアップデート後に起動しサービスを再開していくメンテナンス作業
・アンケート大量配信と大量回答アクセスとのバッディングでDBにSQLが滞留する問題が修正された際に、解消されているかの検証を担当
・多数のソースファイルアップデートを伴う大規模リリース実施の取りまとめ兼デプロイオペレーション

といったものがあります。
エンジニアの誰もがサービスの運用をやれるように、いろいろと整備をして回りました。

■ 後半の約3年(サービス運用ではトップであると自覚していた期間)
サービスの規模もアライアンスも順調に伸びる一方、1つ1つの障害のダメージもそれに比例するかのように大きくなっていった時期でした。
インシデントの数はまあだいぶ減って、1ヶ月に0回だった、ということもあったのですが、クライアント目線からすると「障害の多いサービス」と見られてしまっている、と経営サイドから苦言もありました。いやはや、印象ってついてしまうと抜きにくいことこの上ない。
それでも安定を、インシデントゼロを目指して運用するのを、あざ笑うかのように起きる大障害。仮想基盤や共有ストレージミドルウェアを、なっかなか支配下に置けない日々が続きました。
2018年は、いくらかトラブルはあったものの、その苦しい日々を抜ける成功施策をいくつか達成できました。

・GlusterFS を脱却し、シンプルな物理サーバー2台の DRBD にリプレース成功
・世の中に残り 40枚 となっていたFusion-ioカードのうち 2枚を入手し、DBサーバーに増設成功
・それ、5月に入れたのに、8月にはもう容量が再度危機的になって、もっと容量の大きいエンクロージャをも10月に導入することにして無事に取り付け&データ移動成功

ここまでやり遂げたとき、自分の中で「そろそろ、いいかな」が芽生えました。

■ いま思っていること
6年でやって来たことを、BTS を眺め書き連ねたところ、200行にもなりました。1年で、だいたい33件ずつ(6×33=196)のことがあった・やってきたんだなあ、という概算結果に、いろいろな気持ちが湧いてきたり。
そして、勝手に思ったのが、

・もう十分に、やった
・若手の力も自分単体のそれを越えてきている(「ピンとくる」はまだまだ負けないが)
・あとは、みんながきっと守り切ってくれるだろう(攻めに転じるには、もう少し「パワー」が必要)
・自分の力がどこまで役に立つか、外に、出てみたい
・もっと、ユーザーの課題解決の、実績を積みたい(いつまでも社内だけで頼られていては市場価値が上がらない)

という、安心感と、少し先の自分に対する課題感でした。
ギアを、トップに上げたくなったんです。
間違いなく、今、であろうと。


これからは、ant-in-giant

そうして、早々と、1月末を目処に退職する意思表示をしました。
次は、決まってなかったです。何も。
でも、不思議と「決まる」から大丈夫、と思ってました。根拠は何もなかったですが。

■ CISSPを目指す
今後やっていきたいことの1つに、その頃からセキュリティの分野がありました。
これからきっと重要になっていくに違いないのに、スピード最優先のビジネスにおいては取り組みが薄いように、日常の記事や求職活動の中で話を聞いた範囲では思われました。そこに、今までの自分に沁み入った(はずの)ISMSの考え方や、これから身につけていくつもりのCISSPの論理を、極端に言うと、布教して回りたい、と。
願わくば、世の経営者たちの意識をセキュリティにも向けさせ、安心してITを活用する文化を、広められたらなあ、という野望。

■ 選択肢の拡大
しかし・・・受験料が $699(なかなかの・・・) だし、公式のトレーニング費用は、さらにお高い。。
という情報も知っていたし、生活面も切り崩すわけにはいかない・・・(まだローンが)という事情で、しばらくは、正社員登用を狙いました。
結果は、ある程度予想してましたが、全くうまくいかない。
アピールや説明も、上手にできる程に自分の中での昇華がやりきれてなかった(それなりに多忙であった)し、現職給与保証という余計な前提のある転職市場において、自分の条件はそうそう呑みこまれないであろうと、苦戦を見込んでました。
案の定の状況に、フリーランスという選択肢を持ちました。直接業務委託という形。これが功を奏して、ある日、運命が切り開かれました。

■ そこから自分の気持ちを突き詰めていった
だいぶ、強気になれました。
そして、これから自分がどうなっていきたいのかを再度考えることができるようになりました。契機として、とても大きかった。
結局は今後の働き先はその「運命を切り開いてくれた」ところにしたのですが、結論を出すまで、かなり気持ちが揺れました。

ユーザーの課題解決の、実績を積みたい

これを仕事としてそうなところに正社員として入る、という可能性が続いていたからです。
そんな中、「運命を切り開いてくれた」ところへ、2度目の面談。
この日(・・・いや、1日くらい考えたかな・・・)、自分で閉じていた何かの扉は、完全に開かれました。

誰かの役に、立ちたかった。
「今」、それは、 Corporate Operation Engineering で、きっとやれる。
もしかしたら、CISSPにも、つながるだろうし。
もう1つの方は、惹かれてしょうがないが、「今」ではない。まだ、自分が願うようには、役に立てない。
これも、うまく言えないのですが、自分の中では自然に、固まりました。

■ そして、ひょんなところから、TAG
偶然は重なるものなのか、決意が固まったタイミングでふと目に飛び込んできたのが、TAG(The Agile Guild)のLPでした。Facebookだったかな。
あまり、迷うことなく、ここにも、参加を決めました。
しばらくは、副業として。
世の中の、何かの役に、立てれば、と。

ant-in-giant
GIANT の中には ANT がいる

そんな感じで。


さいごに

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

現職の活動も、誇りだし、消えることのない6年だと思ってます。
これから、新たな活動をやれると思えるのも、間違いなくこのおかげです。
願わくば、共に進化して、違うかたちで、また出会いたい。

そして、これから新たに出会うであろうみなさん、ちょっとカタイところもありますが、なにとぞよろしくお願いします。

自己紹介的なものを、書いてみました。
気恥ずかしいので、熟読されぬよう、あえて英語です。
https://www.ant-in-giant.work

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