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最新の刊行大坂図研究!出版記念座談会『近世刊行大坂図集成』

 編集作業に5年以上を費やし、2015年7月に満を持して刊行された『近世刊行大坂図集成』。

 本書の編集にあたっては、江戸時代に刊行された多種多様な大坂図のうち、現存が確認できた545点について、可能な限りの悉皆調査を敢行、その系譜を従来とは大きく異なる30系統182種に分類。さらに、調査に基づいた最新の研究論文に加え、ほぼ全種の地図を、各図解説とともに見開きA2サイズの超大判フルカラーで収録。

 同系統異種を同定するための細かな改板や改訂を可能にする唯一の図録でもあると同時に、最新の研究論文や所蔵リストなども加え、地図研究としても今後の研究に欠かすことのできないものとなっています。 膨大かつ多岐にわたる情報を集積した古地図としての都市地図は、歴史学や地理学のみならず、文学・経済学・政治学・建築学・防災学・地学など、さまざまな分野での活用が可能です。

 多くのポテンシャルを秘めた『近世刊行大坂図集成』について、本書の執筆者の一人である島本多敬氏に司会をお願いし、編者の小野田一幸氏と上杉和央氏に編集の裏話などを交えながら、肩の凝らないお話をしていただきました。
[*この鼎談は、2016年に発行したタブロイド版からの転載です。]


どのようにして企画となったか

島本(司会) ついにというか、ようやくというか『近世刊行大坂図集成』が刊行となりました。本当に長い道のりでした。私が本書の編集の前提となる大坂図の研究会に参加したのは2011年にさかのぼりますが、じつはそれ以前から、すでに調査は始まっていたんですよね。あらためて、今回の大坂図調査の研究会結成の動機や出版企画の経緯についてうかがえますか。

小野田 近世に地図出版が盛んであった京都・江戸・大坂の三都のうち、これまで江戸と京都は、完璧とは言えないまでもかなり充実した都市図目録(*1)が作成されているのに対して、大坂だけは、どういった地図がありどこに所蔵されているのか、限られた情報しかない状態でした。

島本 たしかにそうですね。

小野田 僕はそれが気になっていて、2001年に大阪人権博物館で開催された特別展〈絵図の世界と被差別民〉に関わった頃から、大坂図を少しずつ調べはじめ、目録化していたんです。本格的に書籍にまとめることについては、5年ほど前、創元社の山口さんからお話をいただいたのがきっかけです。初めは集成などとは考えていなくて、これまでの研究の不足を少し補完できればというほどの、軽い気持ちで考えていたんですが……。まさかこんなに大変なことになるとは(笑)。

島本 えーっと、出版企画書の提出は2011年4月の日付になっていますね。それからさらに5年強……。

小野田 まあ、この手のものは踏ん切りをつけるのが難しいんですよ。これから先もまだまだ知られていない新しい図が見つかるであろうことは目に見えていましたし、あればあるだけ盛り込んだ方が、「集成」の名にふさわしい重みのある本ができますからね。

上杉 しかし、それではいつまでも出版できないので、大坂の陣400年記念の2014年を区切りしようということになったんですよね。

小野田 ええ。冬の陣を目指して、どんなに遅くとも翌年の夏の陣400年までには出版しよう、と。

上杉 あの決断がなかったら、まだやってたでしょうね(笑)。

小野田 結局、当時の企画書に書いたスケジュールは全然守れませんでしたが、やはり4年、5年と時間をかけないと、これほどのものはできなかったですね。


多角的な分析のために

島本 出版するにあたり、執筆メンバーも揃えましたが。

小野田 集成して出版するとなると、一人で研究するには無理があります。そこで、以前からつきあいがあって、京都図も研究している京都府立大学の上杉さんに協力をお願いしたわけです。それに、手描きの絵図に詳しい甲南大学の鳴海邦匡さん、古地図に詳しく大阪の地理にも明るい大阪歴史博物館の大澤研一さん、近代図を研究している吉村智博さん、同僚の三好唯義さん……と声をかけていきました。

上杉 そして僕が、当時まだ学部3回生で、僕のゼミで小型図や地図出版に興味を持って勉強していた島本君を誘いました。やはりただ地図を集めて載せるだけではなく、きちんと研究にしないと意味がないので、そのために必要な人を集めていったんです。総合的な監修は、近世史の大家であり、京都や大坂の都市史にも詳しい脇田修先生にお願いしたわけです。

島本 そうしてこれらの執筆者が揃ったことで、地図史だけに留まらず、都市史、出版史、文化史、社会史など、近世刊行大坂図を結節点として幅広いテーマを扱うことになったわけですね。収録図の種類にしても、「近世刊行」と銘打ちながら、刊行図だけではなく、手描きの絵図や近代の地図も一部含まれているのが面白い。

小野田 木版印刷の近世刊行図と手描きの町絵図の比較は必要だと思って、鳴海さんにコラムを書いてもらったんです。また明治以降の地図にも近世刊行図の影響が見られるので、それがよく分かる系統の近代図を選んで、吉村さんに解説してもらいました。前後の時代の地図も参照することで、近世刊行図の系譜をより大きなスケールで見てもらえると思います。


目標としての故矢守一彦先生

島本 さきほど小野田さんが、今後も新しい図がどんどん見つかるのは当然だと言ってましたが、本書の編集中にも、これまで知られていなかった多くの図が発見されましたよね。

上杉 「大坂図」なので、うまくいけば関西だけで集められるかも、と初めは思っていたんです。しかし大坂図は思った以上に全国に流出していました。結局、関西はもちろん、関東、東北、中部の大学や図書館、博物館を調査し、果てはカナダやオランダからも図版を借りることになりました。

小野田 新しい図の発見ということでは、東京の三井文庫(*2)での調査結果は良い意味でショッキングでしたね。それまで見たこともない、系統も分からないような地図が次々と出てきましたから。

島本 でもそのおかげで、矢守一彦先生(*3)をはじめ、先達が調査した地図や解釈をもういちど一から見直すきっかけになったのではないでしょうか。これまでの研究を自明のものとしてそのまま接ぎ木をするのではなくて、土の底から掘り返し、改めて地図や過去の研究成果をどう位置づけるかを考えることができたわけですよね。

小野田 たしかに僕としては、恩師の矢守先生を超えなければならないという思いはありました。大坂図の研究者といえば、栗田元次先生(*4)や、さらにさかのぼると佐古慶三氏(*5)もいるわけですが、直近の大家は矢守先生です。個人的には僕の院生時代の指導教官でもありました。

島本 関西大学の大学院時代ですね。

小野田 そう……。ですから、矢守先生の成果を膨らませてさらに一歩先に進めたいと思っていましたし、先生が著書(*6)で被差別地名を削除修正して掲載しなければならなかったことも、克服したいと思っていた。

上杉 矢守先生の最大の業績は、日本の都市図をはじめ、古地図を「体系化」したことだと思います。先生の業績以降の四半世紀、個別の研究はあるんですが、古地図を体系化するという作業は、都市図研究はもちろん地図史全体をみてもほとんどなされていない。それこそ小野田さんと三好さんの『図説 日本古地図コレクション』(河出書房新社、2004年)や織田武雄先生(*7)の『地図の歴史』([世界篇・日本篇]、講談社、1974年)くらいじゃないでしょうか。

小野田 上杉さんの仕事もあるじゃないですか。

上杉 ええ、たしかに歴史地理の学界では2000年代後半から再びこれまでの研究をまとめる試みが始まっていて、僕も『日本地図史』(金田章裕と共著、吉川弘文館、2012年)で近世以降を担当しました。しかしその執筆でも痛感しましたが、都市図となると、何を書くにも「矢守によれば……」になってしまうんですよね。だからこそ、より多くの図を調査して体系化した今回の『大坂図集成』は、大坂図に関しては矢守先生を超えたと自負しています。また大坂図にとどまらず、地図史研究全体の流れを塗りかえる重要な仕事だという自信はあります。


古地図出版の慣習を塗り替える試み

島本 地図史研究書の流れを塗りかえたと言えば、もう一点、あくまで地図史研究の図録でありながら、古地図に記載された被差別身分に関する記述を一カ所たりとも改変することなく収録したことは、非常に画期的だったと思いますが……。

小野田 さきほど触れたように、これまで古地図の出版や展示の際には、地図中の被差別地名を隠したり、その部分をトリミングするというような、いわば歴史資料の歪曲にあたる行為が頻繁に行われていました。ですから、2001年に大阪人権博物館で、資料の改変を一切行わない〈絵図の世界と被差別民〉展が開催され、その展覧会図録である『絵図に描かれた被差別民』が刊行されたことは、地図史研究の中では大きな出来事だったのです。あの展覧会と図録を一回きりのものとはしたくないと常々思っていたところでの、商業出版企画のオファーだったわけです。

島本 この図録には、小野田さんや当時大阪人権博物館の学芸員であった吉村さんも論文を寄せていました。

上杉 今回の本がさらに画期的なのは、先の展覧会図録と違い、人権をテーマにした専門書ではなく、あくまで歴史地理学の図録であるということです。そのうえで、差別や偏見がいかに歴史的に形成されたかを理解するためにも、古地図の記載内容は一切改変することなく掲載しました。そのひとつの証として、このテーマに真正面から取り組んだ論文も収録しています。

島本 小野田さんの「刊行大坂図にみる非人村記載をめぐって」ですね。

上杉 被差別身分の問題を正確に認識し、地図史・都市史に位置づけたことは、とても重要だと思います。やはり、都市を研究しようと思ったら、この問題を抜きにしては語れませんから。


社会史と連結させた初めての近世大坂図研究

島本 さて、近世刊行大坂図を体系づける作業は「矢守超え」が目標だったわけですが、個別の地図を解釈する作業についてはいかがでしょう。

小野田 あえて先達を挙げるとすれば、葛川絵図研究会(*8)でしょうか。この研究会では荘園絵図をもとに、単に記載されている事象だけではなく、そこから拡がる世界観を読み込んでいこうという研究がされていた。僕たちは研究会に通っていたわけではないけれど、地図だけではなく、もっといろいろな観点からの文脈を考慮して総合的に解釈していこうという手法は、今回の研究にあたって意識的に取り入れたと言っていいかもしれません。

上杉 特に個別の図の解釈ではそうですね。葛川研究会のアプローチは「地図論」であって、矢守先生のような「地図史」とはまた違う軸なんですよね。いわゆる記号論による地図解釈です。文書史料がないなかで、地図を史料としてどのように読み解いていくかというところから、地図に表れた図像を丹念に読み解いていくという記号論的アプローチが生まれました。

小野田 黒田日出男先生(*9)の歴史図像学の地図バージョンみたいな研究が、1990年代前半くらいまで流行したんですよ。

上杉 ですから僕を含め、絵図研究会のそのろ僕たちは、記号論だけに頼るのではなく、文書などの資料も読んで、当時の社会情勢と地図から読み取れる文脈とを合わせて解釈しようという立場を取るようになったのです。

島本 つまり、地図の系譜をたどり体系化す次の世代の研究者にとっては、記号論的な解釈はもはや当たり前になっていました。むしがクロスオーバーする本書の研究方針は、これまでの地図研究のトレンドを考えると必然る「地図史」と、個別の図に表れる事象を詳しく読み解く「地図論」の、二つの研究方法だったわけですね。

上杉 そうです。

島本 資料を歴史的、社会的文脈と照らし合わせて、さまざまな切り口で研究するというのは、書誌学や文学、それをふまえた歴史学などでも当たり前に行われていますから、地図研究だけというより、人文学全体の傾向と言えるかもしれません。

小野田 織物と一緒ですね。本書で「系統樹」として示した刊行大坂図の系譜を経糸(たていと)とすると、それを「政治」とか「出版」とか、どの観点から読み解くかという切り口が緯糸(よこいと)。2つが織り合わさってひとつの研究になると。

上杉 ええ。しかも古地図を政治史、あるいは文化史のなかで読み解く研究は、今までにもありましたが、大坂図をより広い社会史と明確に結びつけて詳しく論じたのは、本書が初めてではないでしょうか。

島本 私もここまで明確なものは思い浮かびません。


板木から社会を読み解く

上杉 社会史と結びついた地図解釈を考えると、今回の研究で板元論、つまり刊行図の出板元の動向に力点が置かれたのは、当然の流れだと思います。

小野田 大坂図の系統を調べるのにも、本屋仲間の記録(*10)が非常に役に立ちましたね。

上杉 図面をひとつひとつ読み解きながら、社会史ともつき合わせて考えていくうえで、地図の製作者の存在は無視できないんです。出版という観点で調べていくと、地図と政治との深い関わりが見えてくる。当時の都市政策が、一般の人が使う地図の刊行にも大きく影響していた状況が分かってくるわけです。

島本 なるほど。

上杉 たとえば大坂図や江戸図には武鑑(*11)の類が細かく書き込まれていますが、京都図にはあまり書かれてない。これだけでも、当時の都市の役割や性格が見えてきますよね。18世紀の大坂が政治的・軍事的にも非常に重要で、武士の町という側面もあったことが分かります。

小野田 武鑑や蔵屋敷などの情報を盛り込むため、合文(*12)が用いられました。初めは各宗派を表わすための合文が主でしたが、しだいに武士に関する情報が多くなっていきますね。合文は初め地図面に記載されていましたが、後には別紙に刷られて地図の端に貼り付けられる(附紙)ようになりました。情報が更新されたら、この合文だけを作り直して貼りかえるわけです。

島本 それだけ読者がこの情報を重視し、最新版が求められたということですね。

小野田 その通り(*13)。こうして元は同じ板でも、細部に修正が加えられ、多くのバリエーションが生まれることになります。かと思えば、大坂城代(*14)が代わっても、いつまでも修正されずに放置されていることもある。それぞれの地図の用途に応じて、対象読者にとって重要な情報は頻繁に更新されますが、そうでない情報には無頓着なわけです。各図の特徴や改板時に刷り直されている部分を調べていくと、板元の販売戦略や読者の需要まで、ある程度推測できるわけですよ。

島本 刊行図はあくまで商品であり、ひとつの図を板木から作るにはかなりの手間とお金がかかる。同じ板をできるだけ長く使いつつ、誤りや古い情報を効率よく修正するための工夫がなされていたんですね。

上杉 板木の修正に関しては、解説編コラム③に詳しく書きましたが、播磨屋の一件が面白かったですね。播磨屋九兵衛は19世紀前半の大坂図出版の最大手でしたが、おそらく出版許可が下りる前に「増修改正摂州大阪地図全」([増修改正図1])を印刷していて、出版直前になって、お上からクレームがつき、あわてて修正をしたというものです。現在確認されている同図には、きちんと板木から修正されているものと、印刷済みの地図に上から紙を貼って書き直したものとがあり、また書き直した文字の表記がバラバラで、修正作業はかなり慌ただしく行われたことが想像できます。お上から訂正命令が出たことは『大坂本屋仲間記録』の「出勤帳」に記載があり、2種類の異なる修正版を比べることで、その実態が確認できたわけです。文書と地図資料の相互研究が交差したいい例でしたね。

島本 『大坂本屋仲間記録』には、ほかにも大坂図の板木の帰属をめぐる本屋同士の争論の記述がありました。そうした記録を踏まえつつ、刷られた地図から板木の状態を推測し、板木から板元、つまり出版者の意図を推理して、当時の社会の動きを読み解く作業は、スリリングでとても面白かったですね。


原図調査環境の向上

島本 僕にとって今回の悉皆調査で一番面白かったのは、同系統の地図を数多く比較する循環作業の中で、地図を見るたびに、常に新しい発見があったということです。そっくり同じにしか見えない図でも、よく見ていくと表記が異なる部分があったり、印刷時の汚れや板木の継ぎ目の違いがあったりなど、本物を間近に見ることの大切さを再認識しました。

小野田 刷り板の違いといっても、パッと見ただけでは気付かないようなごくごく細かい違いなんですよね。そういう小さな相違点を見つけるためにも、地図を複数の目で見ることは重要だったと思います。ひとりで行なう研究では、どうしても見落としや思い込みが出てくる。今回は複数の執筆者が同じ図を見て解釈を検討することで、テーマを広げることもできたし、解釈の妥当性も向上したと思います。

島本 ちょっとしたマテリアルな痕跡から刷り板の違いが判明したこともありましたね。

上杉 技術の進歩もそれを後押ししてくれたと思います。今回の調査では多くの地図をデジタル撮影したことで、原図調査の際も細部の比較が容易になりましたし、現物を調査できなかった図についてもデジタルデータを入手できたので、細かい検討がしやすかったのは良かったです。

小野田 僕の若い頃とは相当環境が変わりましたよ。

上杉 かつては個人のコレクターが独自に研究していて、それはそれで成果もあったのですが、大勢の研究者が同じ資料をもとに議論するという、かつての時代ではなし得なかった研究方法を実践できましたよね。

「モノ」としての地図の面白さ

島本 地図面だけでなく、袋の種類や料紙(印刷紙)の貼り合わせ方、折り方など、資料そのものに目を向けたことも、地図研究の中ではほぼ初めての試みではないでしょうか。

上杉 これまで地図研究者は地図面ばかりに価値を置いていましたが、今回の調査を通して、「モノ」としての地図資料も重要であることを痛感しました。この違いから、板の違いを判断できることもありました。

小野田 僕や大澤さんのような、日頃から博物館でまとまった数の現物資料を扱っている人間は、地図の素材や外側の形式の違いにも気がつきやすいのですが、学問研究としては、どうしても中身に目がいきますからね。

島本 内容に劣らず形式が重要ということですね。

小野田 解説編のコラム④でも取り上げましたが、折り畳んだ地図を収納する「袋」は大坂の風物を描いた絵や板元の広告が刷り込まれるなど、さまざまな意匠が凝らされていて、出版物、商品としてアピールするための工夫が感じられます。また同じ図なのに、折り方や表紙を変えて別の地図として売ったりしている例もありましたね。あれは刷版の違いなのか、あるいは経師屋の違いなのか、理由は判然としないのですが……。

島本 料紙についても、普通に考えれば板木のサイズに合わせて作れば合理的で、たしかに幕末期にはそういうものが増えます。しかし前期には「長・長・長・短」と寸法の異なる紙を貼り合せた定形を並列に組み合わせたり、端切れみたいな紙を要所要所に貼り合わせたタイプもありました。もったいない精神ゆえか、紙を丈夫にするためかとも思いましたが、推論の域を出ないですね。

小野田 ほかにも板元の印、印刷紙のエンボス加工など、地図には物質的にも様々なバリエーションがあり、資料論的な研究がまたれるところです。本書では十分な分析ができているとは言えませんが、地図の表紙や袋の画像を掲載して問題提起できたことは良かったと思います。


どのように活用するか

島本 こうして体系的な集成ができたことで、逆にますます多くの謎やテーマが発掘された大坂図研究ですが、今後、この本を用いて、どのような分野での研究の展開が期待されるでしょうか。

小野田 さきほどは地図と歴史、経済、政治との関わりに触れましたが、時代が下るにつれ、海岸線が埋め立てられたり河川や土地が整備されて、新地として開発されていく過程が、地図には克明に記されています。また寺院や橋などの主要な建造物の変遷もたどることができます。都市史、都市計画はもちろんのこと、土木建築や、地学、地理の分野にも活かせる情報がたくさん詰まっていると思います。

島本 収録図の資料批判の点でも相当レベルアップしていますので、地図そのものの研究だけでなく、古地図から読み取れる多岐にわたる膨大な情報を、多くの分野で応用していただきたいですね。

上杉 いずれの研究においても、本書に収録した「近世刊行大坂図系統樹」と「書誌目録」が、重要な資料になることは間違いないと思います。「系統樹」は近世刊行大坂図の系譜を家系図の要領で視覚化したもので、各図の刊行時期や期間、バリエーションの多さ、新板や板木継承の関係、板元などが一目で確認できます。

島本 この系統樹は、本当に分かりやすいインフォグラフィックになっていますね。

上杉 また「書誌目録」には、板行元、刊年、推定出版年代などの基本的な書誌情報に加え、法量や板・彩色、所蔵機関などの資料情報、そして城代・定番・町奉行名や資料として扱う際に注目すべき点などの歴史的情報も網羅しており、地図・歴史研究にすぐに役立つデータベースになっています。

小野田 研究によって地図の解釈は変わっていきますが、書誌データは議論の基盤になる、非常に重要なものです。さまざまな研究・議論のために共有するべき、近世刊行大坂図に関する現時点での最大の基礎情報を整理統合し、その作業を通して見えてきた多くの問題提起を行ったということが、本書の最大の成果だと思います。

上杉 この本にはこれから地図をもとに研究をするすべての方にとって、研究のネタが山のように落ちているんです。僕らもできる限り論文や解説、コラムで拾い上げて論じていますが、網羅しきれなかったところもたくさんあります。これから地図史、少なくとも都市図をやろうという人は、必ず本書の内容を消化して、研究をさらに発展させてほしいと願っています。


次は日本図集成をやりたい

上杉 今後も本書に載っていない新しい図が出てくると思います。今回の調査でも、板木の状態からしてきっとほかにもバリエーションがあるはずだと思われる系統が、いくつかありました。新種の地図が発見され、刊行大坂図の研究がどんどん進んでいくのが楽しみです。とはいえ、あまりにたくさん収録できていない図が出てくると、ちょっと悲しい気もしますが(笑)。

小野田 古本屋さん、骨董屋さんはぜひこの本を座右に置いて、古地図が手に入ったら本書と照らし合わせて、同定していただきたいですね。お持ちの古地図がもしかしたらまだ見つかっていない、新種の板かもしれません。それに刊行大坂図は、個人で手が出ないほど高額というわけではありません。古地図ファンの方は、ぜひ古本屋などで本物を入手して、本書の地図と見比べてはいかがでしょうか。

上杉 大坂図だけでなく江戸図、京都図にしても、目録から漏れている図はいくらかあるでしょうし、それらをまた蓄積して、本が作れたらなと思います。とはいえ、これで江戸図・京都図・大坂図と三大都市の目録はできたことですし、次は日本図の集成をやりたいですね。

小野田 日本図かあ、「日本図」はもっと大変やで(笑)。

島本 次はいったい何年かかるのでしょうか(笑)。本当に作るのか分かりませんが、『近世刊行大坂図集成』を眺めながら、気長にお待ちいただければと思います。

(2016年2月8日/於、創元社会議室)


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(注)
*1 都市図目録
京都には、大塚隆『京都図総目録』(青裳堂書店、1981年)が、江戸には、岩田豊樹『江戸図総目録』(青裳堂書店、1980年)、飯田竜一・俵元昭『江戸図の歴史別冊江戸図総覧』(築地書館、1988年)がある。

*2 三井文庫
1903年設置の三井家史編纂室を前身とし、1918年設立。近世の豪商三井家関係資料を保管・研究。初公開を多く含む本書収録の三井文庫所蔵大坂図はすべて、中野区の本館で今回新たにデジタル撮影したもの。

*3 矢守一彦
1927年生。大阪大学名誉教授。古地図の中でも、とりわけ都市図、城下町絵図の研究に優れ、図録の出版にも尽力した。『都市図の歴史 世界編』(講談社、1975年)もある。1992年没。

*4 栗田元次
1890年生。東京帝大史料編纂官補など歴任。著書・論文に『日本古版地圖集成』(博多成象堂、1932年)、「日本に於ける古刊都市図」(『名古屋大学文学部研究論集(史学)』2号、1952年)ほか。1955年没。

*5 佐古慶三
1898年生。著書に『古版大阪地図解説』(だるまや書店、1924年)、『古板大坂地図集成』(清文堂出版、1970年)など。1989年没。

*6 著書
原田伴彦、矢守一彦、矢内昭著『大阪古地図物語』(毎日新聞社、1980年)を指す。

*7 織田武雄
1907年生。京都大学名誉教授。人文地理学会初代会長。地図史関係の著書多数。2006年没。

*8 葛川絵図研究会
1981年、葛川絵図研究を目的に関西の若手地理学者を中心にして結成。成果として、同研究会編『絵図のコスモロジー』上下巻(地人書房、1989-90年)が刊行されている。同書の「高山寺絵図のランガージュ」「聖地のディスクール」といった論題からも斬新さがうかがえる。

*9 黒田日出男
1943年生。東京大学名誉教授。中世史家。『姿としぐさの中世史―絵図と絵巻の風景から』(平凡社、1986年)などで注目され、長らく歴史図像学を牽引する。

*10 本屋仲間の記録
元禄期から明治期までの古文書を翻刻した『大坂本屋仲間記録』全18巻(大阪府立中之島図書館編、清文堂刊、1975~1993年)及び、『享保以後 大阪出版書籍目録』(大阪図書出版業組合編、1936年)を指す。三都のうちまとまった文書が残されているのは大坂のみで、京都および江戸の本屋仲間記録は早期に散逸。

*11 武鑑
江戸時代の大名・幕府役人の情報を収録した名鑑。

*12 合文
宗旨や武鑑などの情報が記号とともに記載された対照一覧表。地図面には記号のみを振っておき、合文と照らし合わせることで、各寺の宗派や、蔵屋敷の持ち主などを特定できる。

*13
たとえば「新板 大坂之図」[明暦図]の場合、明暦3年(1657)の年記のあるものが最も早く、それから約90年間、板元を変えつつ14種(類板を除く)が出版された。その間、大坂市中の新地形成や在坂役人の異動といった変化がある程度反映されていた。

*14 大坂城代
幕府の職名で、大坂在勤の諸役人を統率し、大坂城守護や西国諸大名の監督にあたった重職。


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