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はじめに
中高生のみなさんと話をします。
年が移り、私は87歳になりました。諸事なめらかに進みません。家では4人兄妹の末っ子の星子と星子の母親と私の3人暮らしです。星子はいわゆる重度障害者ですが、47歳で、言葉はなく、目が見えず、食べることをはじめ自分の身の始末をしません。音楽が欠かせず、そして寝ている時も起きている時も、さもおかしそうに、くつくつ笑います。ほんとうに福がやってくるようです。
星子の世話は母親で、母親の世話は父親で、じゃあ私の世話はというと、星子に決まっているでしょ、と言われます。私は自分が自立した個人なのか、ずっと問題にしてきたのですが、ずばり星子頼みと言われるとそのとおりだと思うのです。
「人間」は「ひとのあいだ」と書きます。もとは「人が人といる場所」という意味です。そこから人そのものを意味するようになった。ということは、人にとって〈あなた〉がもともと不可分なのだ。そういうことを10年近く考えて、〈二者性〉という言葉が浮かんできました。私の星子頼みは、まさに〈二者性〉の現れなのです。
Godを「神」と訳したのは大まちがいと言われます。ゴッドは他に頼ることのない万物の創造者です。ゴッドは日本の神とはちがい、あくまでも〈一者〉なのです。ゴッドの御加護を祈りながら戦争をし、人を殺すことは、〈二者性〉からの発想ではありません。
戦争は今や武器の性能の争いが主ですが、愛国心や信仰心による国民の結束が欠かせません。日本も現人神(=天皇)というゴッドのもとに戦争を起こし、朝鮮半島、中国、東南アジアの人々に多大の苦しみを負わせたこと、そして復興期の国家による棄民と言われた、今も続いている水俣病の人々の苦しみを忘れてはいけないと思っています。
とは言いながら、忘れていることがいっぱいあります。それとともに〈わからない〉という思いがつきまといます。どうしてこんなにわからないのだろう。ずっと劣等感につきまとわれていました。
それが、星子がやってきて、一緒に暮らすうちに〈霧が光る〉という想いがやってきました。そして、〈わからない〉ことは希望である、というふうに開けてきました。
わかろうとする努力は、「結局は、わからない」とあきらめるのではなく、〈いのち〉を生きていく希望なのです。
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