そらホシ

自閉症スぺクラム・知的中度の長男と、定型の長女を育てながら、療育施設で働いています。

そらホシ

自閉症スぺクラム・知的中度の長男と、定型の長女を育てながら、療育施設で働いています。

最近の記事

完全な受容〜自閉息子2歳、定型娘0歳〜

そらが2歳過ぎた頃、保育園が始まった。 その頃の私は、妊娠6ヶ月。 初めての母子分離で、当たり前に毎日そらは泣いて保育園に行っていたが、保育園の先生が言うには、バイバイしたら1分もしないうちに泣き止んでいたらしい。 保育園でのそらは、特定の先生以外には寄っていかず、ほとんどの時間を一人でおもちゃで遊んで過ごしているようだった。 だが、遊ぶ時間に遊び、給食は完食し、お昼寝は布団を敷けばすぐに寝るルーティンはすぐに完成したらしく、私としてはそれだけでもかなり頼もしく感じた。

    • だが!それでも!

      前々回の【こだわりに固執させない】からの続き。 今回も、こだわりに固執させる事の危うさをお話したいと思う。 この記事は、実際に私が経験した視覚カードにこだわるEさんを例に。 私がEさんと初めて会ったのは、Eさんが小学3年生になったばかりの頃だ。 Eさんは、中〜重度の知的障害と共に、(口腔内に異常はないが)発音がかなり不明瞭という特性があった。 だが、保護者曰く、発音はゆっくりだが着実に発達しており、慣れれば聞き取れる人も多く、本人も話す事にネガティヴな姿勢はみられない

      • 学びを無視した、なんちゃって多様性

        前回からの続きは次回で書かせていただくとして、今回は【集団行動・生活】について。 ※長文です。 多様性が謳われるようになった昨今、なぜか自閉界隈で、多様性とは全く関係のない集団について疑問をもつ声が多数出るようになってきた。 多様性と、集団行動・生活をしないは次元の違う話なのですが・・・。 興味本位で色々読んでみると、“集団が苦手、適応できなかった結果後”のネガティヴ精神脱却の話ばかり。 その上、「集団ではなく個人にスポットライトをあてて〜」やら、「海外で発達障害が少な

        • こだわりに固執させない

          【こだわり】 これ、自閉症スペクトラムに関わる人が、1番最初に聞くレベルの特性だと思う。 「この子、こだわりが強くて〜」 「このこだわりで安心できるんで〜」 「こだわりのせいでできなくて〜」等、保護者からもかなり聞く事が多い。 なぜなら自閉症児のこだわりは物凄い。 定型の人のこだわりのレベルではない。 数字や絵、物や動物等ににこだわれば寝食忘れて没頭するし、“ここではこうする”とこだわれば、絶対にそれ以外のやり方はしない。 別に誰にも迷惑かける事なく完結するこだわりな

        完全な受容〜自閉息子2歳、定型娘0歳〜

          障害は言い訳にならない

          【心に寄り添う悪者】からの続き。 前回は、【正すべきは本人ではなく行動】について話したが、今回は、実際に正すべき行動とは何なのかについてのお話。 私が支援をする上で決してブレる事のない芯として【正すべきは本人ではなく行動】と【社会として捉える】を挙げたが、正すべき行動とは、この【社会として捉える】に繋がる。 まず、社会として捉えるとはどういう事か。 端的に言うと、それは、子が社会に出る事を見据えた支援である。 これは、決して「定型の人々に合わせた行動をしろ」と言って

          障害は言い訳にならない

          心に寄り添う悪者

          支援・療育を行う上で、私が絶対にブレることがない絶対的な芯として 【正すべきは本人ではなく行動】と 【社会として捉える】の2つがある。 今回はこのお話を。 まずは【正すべきは本人ではなく行動】という点から。 これは、科学的な話になる。 そもそも、機能分析として、人間が行動する動機は世界中のどこを探しても4つしかないという前提的な事実から説明させていただきたい。 1、注目が得られる 2、ものや活動が得られる 3、逃避・回避できる 4、感覚が得られる これ以外の動機づけ

          心に寄り添う悪者

          二人ぼっち〜自閉息子1歳〜

          【サイレントデイズ〜自閉息子0歳〜】からの続き そらが1歳になる1週間前に、私はそらと一緒に療育センターへ行ったのだが、実はこの時期辺りから約半年程の記憶がすっぽり抜け落ちている。 その訳は後述するが、そのせいで、初めての療育センターでの内容どころか、発達検査をしたのかどうかすらもよく思い出せない。 多分、してないんじゃないかなと思う。 ただ、担当の先生との締めの話で、センターで行われている定期的な個別の療育に誘われた事にはかなり拍子抜けたのでよく覚えている。 なんだろ

          二人ぼっち〜自閉息子1歳〜

          エゴイストな街に住む聴覚過敏障害児

          【守りたいのか、解決したいのか】【味覚障害児だった食いしん坊】に続き、今回は自閉症スペクトラムの子でかなり言われる事の多い「騒がしいところが苦手。」に着目したお話。 まず、この話を詳しくする前に、前提とも言える私の考えをお伝えしたい。 皆さんは、この質問になんとお答えしますか? 「自閉症スペクトラムの特性をもつ私が、生活に困らないレベルの支援を充分に受けつつ、とても静かで、自分を傷つけるような人が一人もいない街ってありますか?」 私の答えはこうです。 「そんなエゴイ

          エゴイストな街に住む聴覚過敏障害児

          サイレントデイズ〜自閉息子0歳編〜

          毎日が暇だった〜自閉息子0歳編〜の続き。 そらが11ヶ月を過ぎた頃、私は本格的に(これはやばい)と感じ始めた。 それは家の中の静けさだ。 そらは、この時期に喃語すらほぼなかったのだ。 コミュニケーションの取りづらさは前回書かせていただいた通り感じてはいたが、当時の私にはそれがそらの生まれてからの通常の状態だったので、違和感はあったが決定打にはなっていなかった。 ただ、言葉となると話は別だ。 言葉の発達は、どの育児書にも月齢が書かれている。 喃語の始まりは5〜6ヶ月

          サイレントデイズ〜自閉息子0歳編〜

          味覚過敏障害児だった食いしん坊

          前回からの続き 本人と関わる人に【障害】といえる困り事があれば解決に向けて動く。 それが療育の基本だと私は考えている。 ただ、解決に導くためにはいくつか条件がある。 その一つが【保護者は問題解決に向けて施設から提示された対応をする】 これは必須条件となる。 ここに施設側と保護者側でのズレが生じると、問題は解決するどころかより一層悪化してしまうのだ。 もちろん対応できるか不安な保護者には、様々なシチュエーションを想定した対応を納得がいくまで何度でも説明をする。 こう聞くと

          味覚過敏障害児だった食いしん坊

          守りたいのか、解決したいのか

          「うちの子、感覚過敏で食べれないものが多いんです。白米と特定のふりかけで終わる日もあります。」 「他の子と遊ぶ事はしません。自分の世界が一番の子です。」 「騒がしい所や大きい音に敏感で、そういう場所に行くとパニックになる子です。」 「繊細でとても傷つきやすく、感情が不安定な子です。」 このように施設に見学に来られる保護者の方は我が子の特性についてとても詳しく伝えてくださる。 自閉症についてもとても勉強しており、我が子の事を理解しようと相当努力したのだろうと伝わってくる

          守りたいのか、解決したいのか

          毎日が暇だった〜自閉息子0歳編〜

          息子そらについて。 私がそらに対して確実な違和感を感じたのは生後9ヶ月頃から。 その頃のそらは、 起きる時間も寝る時間も毎日ほぼ同じ。 よく食べる。 よく笑う。 よく寝る。 身長体重もド平均。 首が座るのも寝返りもずりばいとハイハイもつかまり立ちも全て月齢通り。 歩き始めは10ヶ月過ぎで早く、かなり人見知りはあったがとにかくそらが可愛くてしかたなかった。 順調に育っているそらを見て、旦那も両親も嬉しそうだった。 友達にも 「夜泣きないとか本当親孝行な子だね。」 「離乳

          毎日が暇だった〜自閉息子0歳編〜

          自閉を中心に愛を求む〜ver2〜

          加筆・修正しました。 毒を吐いて終わった前回の記事でしたが、この記事では療育業界に対する個人的すぎる毒吐きがほぼですのでご注意を。 実際に自閉症児を育てている親からしたら、あんな記事読まされれば毒の一つぐらい吐きたくなって当然だろう。 やり方としてだけみれば、よくあるABA。 褒めるを強化子にし、環境も配慮し、課題を細分化(スモールステップ)し、プロンプトを駆使し、子どもの“できた!”を増やし、肯定感を高める・・・てなとこ。 わかる。 理想。 とてつもなく理想。 だか

          自閉を中心に愛を求む〜ver2〜

          ただの綺麗事。ふざけんな。

          前回からの続き。 この記事のキーワードとしては 【大人の介入により達成できる目標の設定】である。 おさらいとして、この自閉症男児(推定5歳、発達年齢約2歳半とする)には、家族で食卓を囲む際に以下の能力が備わってない。 それは、 ・自分の皿とその他の皿の役割の認識。 ・個々で食べるもの、家族みんなで食べるものの違いの判別。 ・食事をする際の最低限のルールの理解等。 ・そして、集団行動をする上での状況理解。 だが、この男児は上記の能力は備わっていないが、母親からの個別指示

          ただの綺麗事。ふざけんな。

          癇癪を望んでいる食卓

          前回の記事からの続き。 まず、自閉症児の親が見落としがちな点から。 私が仕事を通して出会った家族の大半に言えるのが、 現在の子どもの能力、所謂、できる事を見誤って認識してしまっているという点。 そんなこと?と思われるかもしれないが、これはとてつもなく多い。 ほとんどの家族が過大評価、もしくは過小評価のどちらかに当てはまる。 リアルな家庭内において、これを知っておかないと親子共々疲弊の毎日に陥るのは確実な上、実はこれは子どもの肯定感に直結するほど、大きな基本となるも

          癇癪を望んでいる食卓

          一見、優しく見える母

          偶然、ある自閉症男児の家族の動画をみた。 男の子は、多分5歳ぐらい。 家族でのご飯中、男の子は、あれがほしい、これがしたいと大癇癪をおこし、文字通り暴れ回っている。 妹は負けじと、これは私の!ダメ!と、同じく暴れて号泣。 母親は「○○もしたかったね。ママが用意してなかったのが悪かったね、ごめんね。」と寄り添い続けてる。 父親は男の子の癇癪と娘の泣き声に疲れ切って、ただ黙って苛立ちを堪えている。 ただただカオスだった。 これが【自閉症児のいる日常】として発信されてい

          一見、優しく見える母