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対症療法ではなく根治(続)

京大卒元メガバンカーの総一郎です。


最近は美容整形が以前に比べてカジュアルに行われるようになってきた。

男性でも二重整形をしたりする人が周りにちらほらいるくらいで、男女ともに整形をするのはわりと当たり前になりつつある。

そして世間もそれを当たり前のように受け入れるようになってきた。

以前は芸能人の整形を叩くということが良く有ったが、今は当たり前すぎて叩くことに何の意味も無くなってきている。

韓国では、日本より何年も前から美容整形が当たり前になっていて、子どもの誕生日に親が美容整形のためのお金をあげるということすらあるらしい。

価格も安くなっているようだし、それくらいカジュアルになってきたから、「こんどはどこイジろうかな?」という人もたくさんいると聞く。


これは僕の偏見なのだが、整形を繰り返す人はきっと自己肯定感が低いんじゃないかなぁと思う。
#本当のところは知らないが

そう考えると、以前『対症療法ではなく根治』と言う記事の中で、「整形は対症療法ではなく根治」だと書いたが、あるいはそうではないのかもしれない。

という話を今日はしたい。

#参考記事

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▼対症療法ではなく根治(続)
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『アイプチで毎日二重をつくるくらいならプチ整形で二重にしてしまった方が楽だし、

毎回加工アプリで写真を盛るくらいなら美容整形してしまっても良いかもしれない。』

と以前の記事で書いた。

「二重ではない」という課題を解決するために、毎回アイプチをするのは”対症療法的”で、整形で二重にしてしまうのが”根治的”だ。

「理想の顔ではない」という課題を解決するために、加工アプリで写真を盛るのは”対症療法的”で、美容整形してしまうのが”根治的”だ。

ただ、これは「アイプチ」や「写真の加工」という作業を毎回するという行為が、「二重ではない」「理想の顔ではない」という課題の根本的解決ではなく、一時的な効力しか持たないということを表現しているだけだ。

だが、そもそもの「課題」は何なのか?

果たして、「二重ではない」「理想の顔ではない」ということは「課題」なのか?

というところを見直してみると違った見え方になってくる。

「二重ではない」「理想の顔ではない」ということを「課題」に感じているのは、多くの場合「自分の顔に自信が無い」「他人と比べて自分の容姿が劣っているように感じる」と考えているからだと思う。
#もちろん例外は有るしただの推測

つまり、「自分の容姿に自信が無いこと」や「他人と比較してしまうこと」が本当の課題で有り、「二重でないこと」や「今の容姿であること」は本当の課題ではない。

まず「自分の容姿に自信が無い」「他人と比較してしまう」という課題の方を解決しない事には、いくら美容整形で容姿をいじろうがキリがないのだ。

「今度は目頭切開だ」
「次は鼻筋を通そう」
「あご削ろう」
「豊胸しよう」

みたいになってくる。

この見方で言うと美容整形が”対症療法的”になり”根治的”ではなくなってくる。


なかなか容易ではないが、

「ありのままの自分で良い」
「ありのままで美しい」

と受け入れることこそが「根治」だ。

美容整形はそれからでも遅くは無い。


実を言うと僕は美容整形はもっとカジュアルで良いとすら思っている。

が、それで自己肯定感を高めることが出来ないのであれば本末転倒だとも思う。


異性にモテたり、同性に褒められたりという他者の承認が無いと今の容姿に満足できないのだとしても、

メイクを勉強して上手になったり、
ファッションを勉強してお洒落になったり、
モテる人に相談してみたり、

出来ることは何だってある。

一度安易に容姿を変える手段に手を染めてしまうと、「自分に自信をつける」ということが下手になる。

「異性が好いてくれるのも、同性が褒めてくれるのも、この容姿だからでしょ?」

と疑心暗鬼になり自己肯定感が下がりすらするかもしれない。

僕も昔整形したいと思っていた。

が、スヌーピーも言うように、まずは

You play with the cards you’re dealt …whatever that means.
「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ」

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