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本音を言おうとすると涙が出る。

私はずっと自分のことを " 打たれ弱い人間 " だと思って生きてきた。

何故か。

涙が止まらないからだ。

しかも、泣きたいわけじゃない場面でも一度涙が溢れると泣き続けてしまう。

しまいには鼻水でグズグズだし、目は充血してるし、「ひっく」という咽び泣き。

「あぁ、また泣いてしまった...」

と自己嫌悪のループ

色んなシーンがある。

・注意された
・優しくされた
・本音を伝える時
・キツい口調や苦手な人と話す時
・感動した

これらのシーンで涙が止まらないのは、自分の打たれ弱さ故だと26年間思っていた

親にもよく言われた

「なんですぐ泣くの。泣いても分からないでしょ。泣いたら許されると思うな。甘えだ。」

26年、これらの言葉が重くのしかかった私は泣くという行為が自分の弱さ故にだと思い込んだ。

でも本当にそうなのだろうか?

自分の本音を伝える時に涙が止まらないのは私が弱いから?


違うと思う。


私はこの点に関してはハッキリと親のせいだと言いたい。責めるつもりはないが、自分が将来親になった時に反面教師にしたいと考える。

子供の頃から自己開示をしようとすると必ずと言っていいほど否定から入ってきた。

肯定されたこと、褒められたことはほとんどなかった。

本音を言うことがだんだん怖くなって

親なのに、家族なのに顔色を伺うようになった。

リビングで金曜ロードショーを観ている時

感動的なシーンがあった。

1人だったら確実にボロボロ涙を溢していた。

でも、親がいた。

泣くことをぐっと我慢した。

何故か。

映画を観て感動して泣いたりしたら「え〜?泣く??そんな感動するかなぁ」と馬鹿にされると分かっていたから。

自分の部屋に戻って小さく声を殺して泣いた。

この時の涙は

・映画の内容に感動した
・親の前で泣かなかったという安堵

こういう話を友達にすると

「え〜、仲良いね家族。リビングで揃って映画みたりなんかしないよ」

と言われた。

そういう人もいる。

でも私にとっては家族の目を気にせず感情のままに泣いたり笑ったりして過ごすことが憧れである。

・・・

何が言いたいかって

科学的にも「泣く」という行為は身体にとって良いということ。

だから、泣くことを我慢するのをやめた。

家族や周りにどう思われても一旦泣き出したら止められないのだからもう仕方がない。

恥ずかしいとかではなくて

私はこういう人間だ。

感情と自分を押し殺してこの先も生きていくくらいなら

さらけ出して自分に素直に生きていきたい。

一人暮らしをしていると好きな映画を観て、好きな音楽を聴いて、好きな本を読んで好きな時に泣くことができる。

本当に幸せ。

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